鬼と華

□黄鶯開v 第四幕
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雪の中を走り続け、晋助と薫はやっとのことで旅籠に到着した。
サキはすっかり疲れ切って、久久に乳を含ませてすぐに眠ってしまった。久久も薫が抱いてあやすうちに寝入り、暖めた部屋の奥で、二人は小さく寄り添って寝息を立てていた。

晋助と薫は、行燈の明かりをひとつ灯して、不審者の侵入がないか見張っていた。

「爺さんの家に行って、正解だった」

と、晋助が小声で言った。雪を被って濡れた髪が、束になって頬に張りついていた。

「この母子に思い入れがあるのはいいが、いつまで子守をしているつもりかと、お前を連れ帰るつもりだった」
「……晋助様」
「俺達には、話さなきゃならねェことがある」
「そうでしたね……」

薫はふっと笑って、眠る久久を見つめた。暗がりの中、小さな頬が行燈の明かりに照らされていた。
大人たちはやっとのことで死地をくぐり抜けた思いだったが、そんなことなど彼は知る由もなく、安らかに眠っていた。

(よかった。あの子が無事で……)

不思議な気持ちだった。他人(ひと)の子どもでも、何としてでも護らなければと思う。子どもというのは、小さくてか弱いもの。そして、これからの時代を背負って生きていくもの。これが己の子であれば、どれほど強い愛情となるのだろう。

母が子へと向ける眼差しは、この世の何よりも慈しみに満ちていて、優しさが溢れている。母親は命を懸けて、護り育てていくのだ。己自身が命を運ぶ船となって、幾多の荒波を乗り越えて。
己の血を、愛する者の血を、受け継いだ子を。


「晋助様」

薫は決心して、晋助に向き合った。

「私は……いつか母親になりたい。晋助様の子どもを、育てたい。それが、どんな形になってもいいのです。晋助様のお側でなくても……独りでもきっと、育ててみせます」

晋助の隻眼は揺らぐことなく、己の意志を打ち明ける薫を、しっかりと見据えていた。

「私達は、戦を経て色んなものを失って、それでも何とか生き延びてきました。あなたの側にいて、様々な人と出逢い、別れ、喜びも悲しみも共に分かち合ってしました。そんな時代を私達が生きたんだと、あなたが時代に抗って必死に生きて来たんだと……その証を、次の時代に繋がるものを遺したいのです。それは私にしか、出来ないことだから……」

お互いの瞳に、行燈の赤い明かりが揺れている。それは迷いでもあり、躊躇でもあり、怖れでもあった。けれど薫の目の奥に見えるのは、強い決意の光だった。


晋助はその眼からふと視線を逸らし、己の手許を見つめた。

「……薫」
「はい」
「俺が今までやってきたことは、決して褒められるようなことじゃねェ。この世界に復讐を誓い、国を敵に回し……ろくでなしの悪党には、父親になる資格なんざァありゃしねェよ。悪党の……いや、鬼の子どもは、また鬼さ」
「たとえ、鬼の子でも」

ゆっくりと首を横に振り、薫は言った。

「きっと私達とは別の、己の道を見つけるでしょう。あなたが自分の道を選び、切り拓いてきたように」

そして、晋助の答えを待つ。心臓が不規則な鼓動を刻み、手のひらにじんわりと汗が滲む。部屋に響くのは、サキと久久の、小さく重なる寝息だけだ。

暫く経って、晋助がようやく口を開いた。

「薫、俺は……」

その時扉の向こうから、タン、と小さな音がした。薫が怯えた瞳で晋助に縋り、彼は後ろ手に薫を庇いつつ、腰を上げた。刀に手をかけ、慎重に問いかける。

「……誰だ」
「私です。佐々木です」

声がして、異三郎が現れた。加賀山邸から、二人の足取りを追ってきたのだろう。
薫は加賀山のことを思い出し、真っ先に彼に尋ねた。

「佐々木様……先生は……!?」
「重傷ですが、命に別状はありません。アナタ達のお仲間に付き添っていただき、私の隠れ処で手当をしております」

お仲間、とは万斉のことだ。

「本当は、咲様と久々様もお連れしたいのですが」
「野郎の棲み家にいちゃあ、母親は休めねえだろう。旅籠の主人とは懇意にしている。少しの間世話になっても、構いはしねェさ」

異三郎と晋助が互いを知ったように会話するので、薫は怪訝に思ったが、彼らは一度顔を合わせているようだった。

「まさか、過激派攘夷志士と云われるアナタに窮地を救われるとは。見廻組局長の肩書も、形無しですね」

異三郎が自嘲気味に言うと、晋助はフンと鼻を鳴らして笑った。

加賀山邸にて、異三郎は薫とサキに逃げるよう指示した後、身で襲撃者を止めにかかった。刀と拳銃で食い止めようとするものの、相手の数は二十名超。数名がかりで動きを封じられ、その間に、襲撃者たちは屋敷中に散らばってサキと久久を捜していた。
ちょうどその時、薫を連れ戻そうと、晋助と万斉が屋敷を訪ねてきた。玄関先で倒れた加賀山と、屋敷の中から響く銃声に、彼らはただならぬ事態を察した。そして晋助は薫を捜しに向かい、万斉は異三郎に応戦。襲撃者を一掃し、屋敷を後にした訳である。


「御二人とも、よく眠っておられる……」

異三郎は、サキと久久を起こさないように足を忍ばせながら、二人の元へ膝をつき安全を確かめた。ぐっすりと眠る久久の、柔らかな髪を、異三郎の手がそっと撫でていく。片眼鏡の奥の瞳は、我が子を見つめる父親のように、優しさに満ちていた。

薫はその様子を眺めながら、墓地で彼と再会した時、子どもがいると話していたのを思い出した。彼の子どもは会津にはおらず、遠くにいるという。確か、彼はそう話していた。

「思い出しますか?お子様のことを」
「ええ。天国に昇った、我が子の顔をね」

と異三郎が答えた。薫は一瞬、彼が何を言っているのか分からなかった。
だが、確かに聞こえた。天国に昇った、と。




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