鬼と華

□黄鶯開v 第五幕
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襲撃で重傷を負った加賀山は、異三郎が住み処としていた一軒家に運ばれて手当を受け、一命をとりとめた。
晋助が見舞いに訪れると、床に伏した加賀山は、薄目を開けて瞳だけを微かに動かした。

「……晋助さんか」

乾いた唇から、蚊の鳴くような声が聴こえた。

「こんな老い耄れが、まだ生きているのが不思議だよ……。あの時俺ぁ、死んじまったんだと思ったが……」
「商売道具の手は、無事のようだな」

晋助はだらりと投げ出された彼の腕を取ると、皺だらけの手をしっかりと握り締めた。

「江戸にはあんたを待ってる連中が大勢いる。早く良くなって、また俺の船に来てくれ。あんたが来ないと、薫が悲しむ」

彼の言葉に、加賀山はうっすらと微笑んで頷いた。
障子越しには、麗らかな春の陽ざしが差し込んでいる。加賀山邸が襲撃された夜に降った雪を最後に、暫く晴れの日が続き、残雪は跡形もなく消えた。ようやく、会津に本当の春が来たようだった。



晋助が旅籠に戻ると、建屋の周囲を武装した浪人が固めており、物々しい雰囲気だった。サキが旅籠で産後の回復を待つことになったため、急遽江戸から見廻組の隊士らが駆けつけて護衛についたのである。
晋助と薫が使っていた部屋をそのままサキと久久に明け渡し、晋助は別の部屋に寝泊りしていた。そこへ戻る途中で、異三郎が中庭の景色を眺めているのに出くわした。

彼から少し離れた場所で、晋助が煙管を取り出し火をつけると、

「すっかり、雪が解けましたね」

と異三郎が言った。

「“雪の果ては涅槃(ねはん)”という言葉をご存知ですか。涅槃会(ねはんえ)の時期に雪の降りおさめがあるので、そう言われるらしいのですが」

涅槃会とは、釈迦の入滅の日に行われる法要のことだ。そして涅槃という言葉には、一切の煩悩から解脱するという意味がある。

「雪の果てが降って、すべての煩悩が吹き消されたその先に、本当の春がある。きっと昔の人はそんな風に考えていたんでしょう。でも私にとっては、待てども待てども次の春は巡ってこない。……妻子の命日が、春でしたから」

異三郎にとっては、春が来ようと季節が何度巡ろうと、最愛の人々を亡くしてから、時の流れが止まっているのだ。彼が夫や父親でいられた時間はあまりに短かく、約束された筈の幸せが、春に置き去りにされている。そんな風に虚ろな時間を生きる憐れな人間は、この世にごまんといるのだろう。

「戦争の頃、俺が率いてた義勇軍があってな。身分は様々、二十歳にも満たねェ若い奴らがほとんどだったが、粛清にあって、こぞって打ち首になっちまった」

晋助はかつての仲間に思いを馳せ、静かに目を閉じた。

「忘れちゃいけねェのは、奴らにも親がいるってことだ。志を掲げて国の為に闘った息子達を、誇らしいと思う親もいるだろう。親に先立つ不孝を悔やんで、馬鹿息子と罵る親もいるかもしれねェ。だがどっちにしても、未来のある若者の命を奪った幕府への憎悪は、尽きることがねェだろうよ……」

事実、今なお攘夷志士として市中で活動を続ける者の多くが、幕府への憎しみや時代の流れへの反抗を理由としている。

異三郎は、自身の立ち上げた見廻組に攘夷志士の力をも取り込み、一橋派を定定派に匹敵する勢力まで育て上げた。彼の根底にあるこの世への憎悪が、彼にそれだけの大事を為させたのだ。

「佐々木よ。俺達は同じ側の人間だ」

と、晋助は言った。

「あんたが定定を凌ぐほどの勢力を築いたように、俺は国を相手取るために一国を潰せる力を手に入れた。宇宙海賊春雨、奴らとの同盟があれば、この星に戦争を起こせる。連中の力を使って、俺は世界を相手に喧嘩を仕掛ける。復讐を遂げ、この世界をぶち壊す」
「世界を、ですって?」
「政敵を潰すのも国を壊すのも同じことだ。どうせやるなら、でけェ事をやろうじゃねェか」
「この私に、そんな馬鹿げた大法螺に付き合えと?以前にもお伝えした通り、私は鬼と手を組むつもりはありませんよ」

異三郎は冷笑して、ゆっくりと首を振った。

「私の敵は、妻子の暗殺を指示した国の上層でも、天導衆でもない。命に代えても護らねばならないものを救えなかった、自分自身です。アナタが仲間を奪われた憎しみに突き動かされて国獲りをするというのなら、私達は、違う敵を見ています」
「あんたの見定めた敵があんた自身だというなら、その胸に小太刀を突き立てて復讐を為せばいい。あんたの政敵の首は、俺がもらおう」

政敵の首、つまり定定のことである。異三郎がぎょっとして晋助を見ると、彼は事もなげに紫煙をくゆらせ、空に向かってふう、とひと吹きした。

「俺にとっても憎い相手さ。罪無き者の処刑を命じ、奴の判断で多くの命が散った。アイツの首は、必ず獲ると決めたんでね」
「見廻組局長である私の前で、先代将軍の暗殺宣言ですか。大した人だ」

異三郎は呆れたように溜め息をつき、晋助の横顔を見る。

「一介の攘夷浪士のアナタが……全てを失い、国に復讐を誓い、そして強大な力を得て国獲りに王手をかけるとは。その果てに、アナタは何を望むというのですか。国と心中でもするつもりですか?」
「まさか。俺は国と共に壊れるつもりなんざァ、さらさらねェよ」


その時、旅籠の離れの方から、微かに薫の声が聴こえてきた。
薫は加賀山邸にいた時以上にサキに寄り添い、襲撃で受けた精神的な傷を癒そうと、一日のほとんどをサキと久久と共に過ごしていた。久久に語りかけでもしているのだろうか。ゆったりとした穏やかな声に、晋助は耳を澄ませた。

「雪の果てに春があるなら、復讐の果てには、一体何があるんだろうな。それが分からねェうちは、当分死ぬつもりはねェよ……」

暫くして、薫の声は子守唄へと変わった。彼女が久久を抱き、優しく揺らしながら歌う様子を思い浮かべ、晋助はひとり微笑んだ。




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