鬼と華

□胡蝶之夢 第一幕
1ページ/6ページ


江戸城下の町は、江戸城を中心として、城の近くから外側へ向けて階層毎に家臣の屋敷を配置していた。古くはその周囲に鍛冶町や伝馬町などの職業人居住地を割り振り、計画性の高い都市が形成されていた。
江戸城に最も近い、上級家臣たちの住まう広大な敷地の一角に、一橋邸があった。屋敷からは城下町を一望でき、昔は職業人の町が四方に広がっていたものだが、開国以降その街並みは消え失せ、近代的な高層の建物が立ち並んでいた。そんな時代の移り変わりを、一橋邸は長らく見続けてきたのだ。


ある晩、一橋家の頭首一橋喜喜は、展望のよい客座敷にひとりの男を招いた。豪勢な膳に上等の酒で客人をもてなしながら、喜喜は残念そうに深い吐息をついた。

「そうか。池田夜右衛門の名は、君の妹分が継ぐことになったのか」

客人は公儀御試御用、公儀で預かった罪人の首を斬る処刑執行人一族のひとりだった。

「“お前の剣は、人の罪など斬れはしない”、か……先代当主がそう言ったのか。何を思って、君の妹分に家督を継がせたのかは知れないが、君は十六代目の実子だろう」

喜喜が心外そうに尋ねると、男は人のいい笑顔を浮かべて頭を掻いた。

「池田家当主は世襲ではなく、公儀処刑人に相応しい、より剣の腕のたつ者が家中より選ばれます。私と朝右衛門……いえ、十七代目は、父から才能を見込まれ、幼少の頃より互いに技を高め合ってきました。どちらが夜右衛門の名を継いでもお家は安泰。家中のものも皆納得しております」
「君自身は、選ばれなかったことに異議を唱えなかったのかい」
「ええ」

男は笑顔を浮かべてはいるが、感情のない、まるで紙に書いて貼り付けたような笑いだった。それはまるで、内側にひしめく様々な感情を、無理矢理に作り笑顔で押し殺しているかのようだ。

喜喜はじっと、男の目の奥を覗き込むようにして言った。

「僕は驚いているよ。剣の腕、処刑人としての気構え……何をとっても、君こそが当主に相応しいと思っている。優れた者の才を潰してしまう古い因習にとらわれていては、いずれ家督も終えてしまうだろう」

喜喜と男は揃って席を立つと、窓辺に立った。
江戸の町を見下ろすように聳えるターミナル。西の空低く、上弦の月が仄明るく輝き、今まさにビルの陰に沈もうとしていた。

男は月を眺めながら、まるで己のようだと思った。上弦の月は夜明けを見ることもなく、不完全な形のまま、暗闇に押しやられるように西へと消える。本来であれば、月は丸く満ちた完全な形で、真夜中の闇を照らし輝けるというのに。

「消してしまえばいいじゃないか。二人の夜右衛門ごと」

と、喜喜の声がした。彼の目もまた、沈みゆく月を見つめていた。

男は、彼が何を意図してそう言ったのかが一瞬分からなかった。ただ、“二人の夜右衛門”と彼が言った瞬間、先代である実父、そして此度家督を継いだ、池田朝右衛門の顔が脳裏に浮かんだ。
彼らに夜右衛門の名がある限り、自分自身が夜右衛門を名乗る時は一生巡らないだろう。そんな考えが浮かんだ時、喜喜が言った。

「その剣で僕と新時代を切り拓く盟友は、君だよ。十八代目」



  〜 胡蝶之夢 〜



次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ