鬼と華

□胡蝶之夢 第二幕
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小型船で宇宙(そら)へ発った万斉が目指したのは、春雨第七師団艦隊であった。伊賀との交渉、そして将軍暗殺に協力を得るため、彼らと面会の場を設けたのである。
艦隊で彼を出迎えたのは、副団長の阿伏兎だった。鬼兵隊と同盟を結んでいることを差し置いても、処刑される筈だった神威を助けたことに恩義があるのか、阿伏兎は事情を知るなり二つ返事で了承した。

「そちらさんの指示に従うよ。侍だろうが忍者だろうが、おおかたの地球人に比べりゃ夜兎は頑丈にできてる。多少の残業位はサービスしてやる」
「かたじけない」

万斉は頭を下げたが、団長の神威が姿を見せないことを訝しんだ。

「失礼だが、神威殿は何処に」
「悪いな兄さん。団長はあいにく留守だ。力試しだとかほざきやがって、ひとりで戌威星に遊びに行っちまった」
「艦隊を置いてでござるか。今の春雨は、神威殿が仕切っているのではなかったか」

以前、晋助は春雨内の派閥争いを利用して、春雨十二師団を元老、提督から切り離し、その指揮権を春雨最強の神威に握らせて同盟を結んだ。それ以降、組織の支配権は神威にあり、第七師団は春雨の頂点にある筈だった。
ところが阿伏兎は呆れ顔をして、

「あの喧嘩バカが大人しく提督ヅラして、十二師団に指示を出してると思うかい?」

と、肩をすくめて苦笑した。

「十二師団は自分らの利権を守ることしか頭にねえ連中さ。てめえの縄張りで、薬物や武器の売買で金儲けができりゃあそれでいい。元老や提督の支配から切り離されても、連中のやることは何も変わらねェ。海賊ってのは自由気儘な生き物なのさ」

阿伏兎の話では、神威は興味のある大仕事や戦闘には自ら飛び込んでいくものの、組織の管理や細々とした仕事は阿伏兎に一任しているという。

「副団長というのも苦労が絶えぬでござるな」
「全くだ。組織の二番手ってのは嫌な役ばっかり回ってくる」

二番手、それが万斉にも当てはまることを知ってか、阿伏兎はどこどなく親しみをこめた視線を向けた。

「人斬り万斉、あんたの二つ名は聞いているよ。抜刀術の使い手だそうだな。あんたの背中のモンは、ただの飾りじゃねえんだろう。妙な気配がプンプンするぜ」

背中の三味線に仕込んだ弦や刀に気付いたらしい。万斉は小さく頭(かぶり)を振った。

「人斬りなどと呼ばれていたのは昔の話にござる。それに、宇宙最強の戦闘種族の前では、拙者の剣など楊枝(ようじ)も同然にござるよ」
「謙遜するねえ。白兵戦なら夜兎は敵なしだと自信を持って言えるが、一対一(サシ)の真剣勝負なら勝敗は分からねえぜ」
「ならば、一手合わせてもらいたいものでござるな」

同盟を結んでいる以上、鬼兵隊と春雨がやり合うことなどないが、もしそうなった場合、万斉の抜刀術の一撃が先に届くか、傘の一撃が届くか。お互いに相手を牽制するよう見合ってから、彼らは同時に、低い笑い声を漏らした。



◇◇◇



艦隊まで足を運んだ万斉を労って、第七師団艦隊は宴を催そうと申し出たが、万斉は酒を飲めぬと断った。その代わり、彼は船の中で最も広い一室を貸してほしいと頼み込んだ。彼の日課である刀の手入れ、そして三味線を弾くためである。

万斉に与えられたのは、船の中心部に位置する、広々とした会議場だった。贅沢な空間に遠慮することなく、彼はその中央に胡坐をかき、三味線を構えて撥(ばち)を握った。
宇宙に漂う巨艦で奏でる音色がどのようなものか、弾いてみたかったというのもある。探るように、戯れに音を弾くと、音色はまるで水が行き渡るように、驚くほどよく響き渡った。


暫くして万斉は、ふと人の気配を察して手を止めた。背後を振り返ると、壁面に背を預けて阿伏兎が立っていた。 喧しくしてしまったかと思い中断すると、

「構わねえ。そのまま弾いてくれ」

と彼は演奏を催促した。

万斉は再び集中した。撥を操る右手、棹(さお)の勘所をおさえる左手の三指に、全神経を傾ける。耳に入るのは、だた己の奏でる音色だけ。
三味線は繊細な楽器だ。棹の握り方、絃への指の当て方、ほんの寸分ずれていると、思い描いた音が出ない。まるで女性に対してそうするように、愛情を込めて丁寧に音色を導く。

そんな風に、美しい曲を奏でたいと思うようになったのはいつの頃だったろう。思い出せば昔、人斬りと呼ばれた己の手を、数多の人を殺めてきた手を、汚れてなどいないと言った女がいた。美しい音色を奏でられるのだから、彼女はそう言って、日々三味線の音色に耳を傾けていた。
それはもう何年も前、薫と出逢った時のことだ。

(どうして、あいつの顔が)

船を離れて宇宙まで来たというのに、何故薫の面影が浮かぶのか。それは万斉の心を乱し、否が応でも胸をざわつかせた。
その理由を、彼自身がよく分かっていた。出立の直前、晋助からそれとなく、彼女の体の変化を告げられたからだ。なるべく考えないようにと思考の隅においやっていたのに、三味線の美しい音色が、彼女の記憶を運んでくる。

「っ……!」

棹を握る手が汗ばんでくる。万斉は手を滑らせぬよう力を込めて、一心に曲を奏でた。絃を弾きおろす、指先の動きひとつひとつに、胸の奥に渦巻く複雑な感情をのせる。それは時に荒々しく、時にもの悲しく、幾重にもなって船に響き渡った。宇宙の彼方まで届くような、熱のこもった音色に惹かれて、いつしか艦隊にいた夜の兎たちが万斉の元へ集まっていた。

「はっ……」

弾き終わった時には、万斉の呼吸はすっかりあがって、汗で背中が湿っていた。額から滴る汗の飛沫が、ぽとりと手元に落ちてくる。ふと我に返って顔を上げると、集まった夜兎たちが思い思いに立ち去っていくところだった。中には疎らに拍手をする者もいた。
そうして最後には万斉と阿伏兎だけが残り、阿伏兎は感服したように手を叩いて言った。

「音楽を聴くのなんざァえらく久し振りだった。聞き入っちまったよ。何て楽器だい、そりゃ」

万斉が背負った三味線を指して、妙な気配がすると言っていたのを思い出し、万斉はふっと笑った。

「三味線でござる。古くに異国から伝わったものでござる」
「激しいようで、どこか哀しい唄だな。何を思ってあんな音色が出せるんだか」
「何を思って、か……」

万斉は額の汗を拭うと、ハ、とひと息をついて、強張っていた肩の力を緩めた。

「拙者は以前……京にいた時がある。牢に囚われ死を待つのみだったが、晋助に会って人生が変わった。奴は拙者にこう言った。面白くもない腐りきった世の中、ただ身が滅ぶのを待つよりも面白い事は、掃いて捨てるほどある……とな。あれから奴と共に歩み、まさか本当に、国への復讐を実現させるとは思わなんだか」

万斉は口許に笑みを浮かべて、撥をしまい、三味線を元の通り背中に担ぎ上げた。

「おもしろきこともなき世をおもしろく。晋助は常に時代に抗っているのでござる。時代に翻弄された人斬りが、奴の法螺に付き合って波乱の人生を歩んだ……そんな数奇な運命を、曲にしたのでござる」

言い終わると、それまで黙って聞いていた阿伏兎がにやりと笑った。彼は顎にたくわえた無精ひげを撫でながら、訝しげに万斉を見た。

「兄さん、俺に嘘をついたな。ありゃあどう考えても、野郎を思って弾いた唄じゃねえよ。昔の女でも思い出していたんじゃねえのか」
「……そう感じたなら、それでも構わぬ。音の感じ方など、人それぞれにござる」

万斉がそう言って踵を返した時だった。会議場の上から、少年の声がした。

「女は女でも、二度と手に入らない女を思って弾いたのかな。少なくとも、俺にはそんな風に聴こえたよ」

万斉がハッとして上を向くと、そこには第七師団団長、そして春雨の指揮権を握る男、神威の姿があった。
戌威星に出かけたきり戻らなかった彼が、ようやく艦隊に帰還したらしい。阿伏兎は額に青筋を立てて、天井に向かって怒鳴り散らした。

「団長!!帰ったなら一言いいやがれ!勝手に出ていきやがって、このすっとこどっこい!!」
「やっ、阿伏兎。ただいま」

神威はにこやかに片手を挙げると、ひょいと一回転して床へ降り立った。

「鬼兵隊から使者が来るって通信をちょうど聞いてね、急いで戻って来たのさ。で、何の用なの」
「話なら粗方終わった。今更団長ヅラして帰ってきても遅えよ!」
「いや、間に合ってよかった。だって、帰っちゃう前に戻って来れたんだから」
「……どういうことだ?」

顔を顰める阿伏兎をよそに、神威は万斉に向かって言った。

「俺も連れてってよ、地球に。今の唄を聴いてたら、逢いたくなった人がいる」



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