鬼と華

□胡蝶之夢 第三幕
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朝晩の風に秋の到来を感じる頃、薫は些か体調が落ち着き、文机の前で筆を走らせていた。

『風に揺れるコスモスが美しいこの季節、いかがお過ごしでしょうか』

そんな挨拶とともに書き出したのは、手紙だった。一橋家の側室、咲に宛てたものである。彼女達が頻繁に行き来できない間柄であることを気遣い、佐々木異三郎が手紙のやり取りを勧めてくれたからだ。薫が書いた手紙は晋助の手に渡り、異三郎が預かって一橋家へと密かに届けられる。

コスモス、そう書き出してはみたものの、四六時中船で過ごしている薫にとっては想像の風景に過ぎない。ただ、秋に咲く花というと、白や赤、ピンクといった色鮮やかな花が揺れる、コスモスの清純な佇まいが思い浮かぶのだ。彼女の好きな花であった。

『久久様も健やかに成長されていることでしょう。秋晴れの清々しい気候に、外遊びなども……』

久久の話題に触れたところで、自らの妊娠を咲に告げようかと迷いが過った。悪阻が酷い時は一日のほとんどを横になって過ごしていたが、少しずつ落ち着いている、いい状態だった。
だが、船にいる仲間でさえ、晋助と万斉を除いてはまだ打ち明けていなかった。こういった類のことはなかなか言い出せない、緊迫した空気が船の中には漂っている。なぜなら、鬼兵隊の船は今宵江戸を発ち、伊賀へ向かうからだ。伊賀の忍びと接触を図るためだという。未知の地へ赴く緊張感からか、隊士たちの顔つきもどこか険しかった。


筆を置いた薫は、外の空気を吸いたくなり外へ出た。日が傾きかけ、ちょうど甲板に明かりが灯ったところだった。
船員たちが積み荷の運び込みに勤しむ、その向こうに、明かりの下に陣取る人影があった。また子が地べたに座り、二挺銃の手入れをしているのだった。目を細めながら銃に油を差す、その真剣な様子を、薫は遠巻きにじっと見守った。

普段は明るく快活な女性だが、一たび銃を手にすれば“紅い弾丸”と恐れられる攘夷志士の顔になる。彼女は既に、戦いに行く目をしていた。また子も伊賀へ乗り込むのだろうか、そう考えていると、また子が薫に気付いて声を上げた。

「姐さん」

彼女は心配そうな面持ちで手を止めた。

「起きてて大丈夫なんッスか?ずっと体調悪いみたいッスけど……」
「ええ。それより、伊賀にはあなたも?」
「はい!晋助様の御供に行ってくるッス」

また子は誇らしげに言って、油をさし終えた銃を、布切れで丁寧に磨いた。
使い込まれた二挺銃、すっかり手に馴染んでいるであろう相棒を、彼女は大切に大切に扱っていた。京にいた時代から二挺銃は彼女と共にあり、彼女を語るうえでは、まるで代名詞のようなものだ。

「懐かしいッスね。昔、晋助様が私を助けてくれて、私はこの命を晋助様の為に使うって決めたッス。何年も昔のことなのに、そんな気がしないのが不思議ッス。いつその時がきてもいいと、覚悟が決まっているからッスかね」

また子がそんな風に言うので、薫は眉をひそめて首を振った。

「そんな、死ににいくような言い方は止めてください。あなたが居なくなったら、困るわ」
「ふふ。昔から変わらないんスよ、私。銃だって、いくら自動式の拳銃が主流になっても、コレじゃないと駄目なんッス」

彼女が扱うのは昔ながらの回転式の銃だった。自動式の銃と比べ、構造が単純、堅牢という利点もあるが、もちろん欠点もある。

「弾数は少ないし、いちいち弾薬を補填するのが面倒だけど、コレは引き金を引くだけで次の弾を速攻で発射できるッス。私の早撃ちは、コレが相棒じゃないとできないッスから」

また子は引き金に指をかけ、素早く銃を回転させると、グリップを握り夜空に向けて銃を構えて見せた。今、すぐ目の前に敵がいるかのような俊敏な動きだ。

「闘いに行く前は、こうやって銃の手入れをして、昔を思い出すんスよ。あの時の覚悟を忘れないために……」

甲板に灯る電球の明かりが、また子の端整な横顔を照らしていた。昔、京の町で出逢った少女は、晋助とともに未知の地に乗り込むほど、頼もしい仲間に変貌を遂げていた。
薫は彼女の肩にそっと手を添えると、無事を願って言った。

「昔から変わらないと、あなたはそう言ったけれど、昔よりもずっと立派になったわ。どうか、気をつけて」
「はい。行ってきます!」


その晩、船はひっそりと船着き場を発ち伊賀へ向かった。
晋助や参謀の武市らは、伊賀衆との交渉に備えて夜更けまで相談をしている様子だった。薫は彼らの無事を祈りながら、寝室でひとり深い眠りに落ちた。



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