鬼と華

□胡蝶之夢 第三幕
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傘を携えた異相の集団、そして一橋家の使者を名乗る浪士の登場に、伊賀きっての上忍、藤林家頭首藤林鎧門と百地家頭首百地乱破は、要求通り晋助と面会の場をもった。

忍びの里、不知火には、限られらた者だけが入ることを許される、摩利支天を祀る御堂がある。晋助とまた子はそこに迎えられた。
彼らと対峙するのは、獣のように毛髪を伸ばした大柄の男と、包帯で全身を覆われ、姿形が一切分からないという変わった風貌の忍びであった。広い御堂に距離を置き、晋助と向かい合った百地乱破は、くぐもった声で言った。

「挨拶がわりに我らが里に砲弾を降らせるとは、随分と礼儀知らずな客人よの。江戸の過激派攘夷浪士が、伊賀の里に何の御用か。幕府を相手取るのを止め、忍の里を制圧するつもりか」
「江戸とは遠く離れてるというのに、指名手配犯の攘夷浪士の顔は知ってるって訳か」

晋助はフンと鼻を鳴らして笑った。
伊賀の三大上忍のひとり、服部家が江戸を拠点にしていることもあり、江戸との情報の行き来はさかんなのだろう。諜報活動は忍びの本業とするところである。

「俺の目的が知れているなら話は早い。次期将軍候補として、一橋公の名が挙がっているのは知っているだろう。江戸じゃあ時勢は一橋一色、天導衆の傀儡となり果てた徳川茂茂に、これ以上国を任せておけない。奴から将軍の座を奪うのに、アンタら忍びの力を貸してもらいたい」
「将軍はこの国を統べるものぞ。そんなことが出来るとでも?」
「出来るさ。忍びの力をもってすれば、出来ないことはねェだろう」

暗殺、という言葉は使わないものの、晋助の意図するところは伝わったようだ。彼らの表情が、一瞬にして固まった。

「アンタらが応じれば、この里から夜兎は手をひき、一切の手出しはしない。一橋政権での地位も約束しよう」

恭順すれば悪いようにはしない。だが従わねば、忍びの技の通じぬ夜兎の力でねじ伏せる。晋助が持ちかけたのはそんな取引だった。

暫くして、藤林が地の割れるような野太い声で言った。

「一橋での地位……つまり、将軍暗殺に手を貸せば、我らが次期御庭番となるということか!?」
「よせ、藤林」

息巻いて言う藤林を、百地が制した。

「服部家が仕える徳川将軍家を亡きものにしようとする連中ぞ。そんな法螺に騙されるほど、伊賀の忍は安くないぞよ」
「アンタ方に嘘を言う利がどこにある。一橋公の御意向は、ここに記されてあるぞ」

晋助は一通の書状を、藤林と百地の眼前に広げてみせた。一橋家の家紋、三つ葉葵の透かし模様が入ったものに、直筆で喜喜の署名が記されてある。

「紛れもない、喜喜公本人が書かれたものだ。調べてもらって構わねェ」

書状には、一橋派につくならば、多額の報酬と、新政権樹立後の幕府での地位を約束すること、里の運営には手を出さないこと、等の条件が確かに記されてあった。
勿論、内容は晋助が考えた。喜喜には、忍を使って現将軍茂茂の暗殺に一役買わせると説明しており、彼は何の疑いを持つことなく書状に署名をした。

藤林と百地、二人の上忍は、書状を前に黙り込んでしまった。彼らの心中は晋助にも予想がついた。恐らく、この要求を飲まなかったらどうなるか、を考えているのだろう。
要求を拒み徹底抗戦を選択したところで、それは春雨や一橋派との全面戦争を意味する。そこに勝ち目が薄いことを、彼らは身をもって知った筈だ。春雨の攻撃に屈し、使者を迎え入れた今、伊賀の里は春雨の手に落ちたも同然なのである。

御堂に長い長い沈黙が訪れたが、晋助がおもむろに口を開き、それを破った。

「戦国の時代から三百年……伊賀衆は表舞台に現れず、常に陰の任務をこなしてきた。だが戦国の覇王、信長をして伊賀は化け物の国と言わしめた、まさに忍びの中の忍びだ」

藤林の目線がちら、と晋助に動く。晋助は言葉を続けた。

「信長が明智光秀に討たれた本能寺の変。信長の同盟者だった家康は、大阪からわずか三十名の手勢で三河へ帰郷しようとしたが、明智がいる京を通るのは至極困難。そこで山を越えるのを伊賀の忍が手助けし、家康最大の窮地を救った……誰もが知る、伊賀越えの逸話さ。服部家が御庭番として召し抱えられるようになったのは、家康に先見の明を見いだしたのか、はたまた偶然か……」

そこまで言って、晋助は藤林を見て薄く笑った。

「伊賀に残った忍びにも、一橋公を主君として返り咲く、その道がある。先の伊賀越えで服部家に遅れをとったアンタらにとっては、千載一遇の好機だと、俺はそう思うがね」
「遅れをとった、だと?」

と、藤林がやおら立ち上がり、ぶるぶると拳を振るわせた。それから彼は、御堂の壁が震えるような声で激昂した。

「貴様!服部の小僧なんぞと比べ、我らを愚弄するつもりか!」

彼は腰の鎖鎌を引き延ばすや否や、怒りのままに、晋助に向かってヒュンと投げつけた。
強烈な勢いで、鎖分銅が晋助の顔面へと飛ぶ。だが、それと同時に銃声が響き渡り、鎖は甲高い金属音を立てて床にばらけ散った。また子が銃を撃って鎖分銅を弾き飛ばし、晋助を護ったのだ。

「手を退くッス」

また子は晋助を庇うように仁王立ちになり、両手に構えた二挺銃の的を、藤林の額一点に絞った。銃を突き付けられた藤林は、ちぎれた鎖鎌を構えたまま、ぐっと踏みとどまっている。

「この御方は、一橋喜喜公の正式な使者ッスよ。ソレは収めた方が賢明ッス」
「……藤林、この娘が正しいぞよ」

と、百地が落ち着いた声で彼を諭した。

「敵は一橋公を要する一介の過激派攘夷志士……初めこそそう思っていたが、恐るべき兵士たちをひと声で動かし、一国家に匹敵するほどの抗いがたい巨大な勢力をその手に有するのか。一橋派につかねば、伊賀が根絶やしになるということか……」

絶望したように言う、その声の余韻が消えないうちに、晋助が口を開いた。

「音もなく、匂いもなく、地名もなく、勇名もなし。その功、天地造化の如し」

御堂に彼の朗々とした声が響き渡った。
それは、忍びの存在そのものを表すような言葉である。姿も見せず、名も残さず、しかし天地を造るかのごとく偉業を成し遂げる。それこそが忍びの究極の役割だ。

「時代が動く時、陰には忍の存在がある。新しい時代には、アンタら忍の力が必要なのさ」


藤林と百地から明確な答えがないまま、面会は終了した。御堂を後にした晋助とまた子は、鬼兵隊の仲間達と合流して伊賀の里を後にしたが、ひとり、藤林を呼び止める者があった。

「私、参謀の武市変平太というものですが」

頭を下げ、武市は丁重に挨拶をした。百地乱破がその場にいないことを確認しつつ、彼は声を潜めた。

「上忍の合議制というのも厄介なものですな。一方が是としても、他方が否とすれば事は進みますまい」

藤林は訝し気な視線を武市に向けた。

「以前より上忍三家が里を守って来た所以、致し方なかろう。それより、何の用だ」
「長らく里にあって、里を守り続けてきた貴殿こそ、誠の忍というものです。我々に手を貸していただけるのなら、一橋政権での御庭番頭目は、藤林殿にお頼み申し上げたいと、一橋公が仰せです」

藤林の目の色が変わった。武市は、いっそう声色を低くして言った。

「これは私自身の考えですが、御庭番頭目が伊賀の里の実権をも握るということにすれば、いっそうの統治が図られるのではないかと思いますが……いかがですかな」

武市は、甘い餌を撒くことを忘れなかった。忍は職業傭兵集団、金に飢え職を欲し、権力を望んでいる。御庭番の地位と里の実権、藤林が欲するものをちらつかせ、伊賀衆を恭順に導こうとしていたのである。



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