鬼と華

□水天一碧 第五幕
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鷹久が逝った日、晴れ続きだった白浜の地に雨が降った。普段は真っ青に澄みわたる空が一面灰色に染まり、暗い雨雲がどんよりとたち込めていた。春林軒には日がな雨が降り注ぎ、草木も空も哀悼に沈み、悲しみに泣いているのだと誰もが思った。


母屋の縁側では、鴨太郎がひとり踞り雨音に耳を澄ませていた。通りがかった晋助は、死を悼む横顔に、何と声をかければよいのかと思案した。
鴨太郎とは一度剣を合わせたものの、大した会話を交わしてはいない。彼の見立てによれば、名門道場の塾頭という立場に見合った気位と教養を持ちながら、虚栄に裏打ちされたような自尊心を持ち合わせているように思えた。どのような生い立ち、境遇が鴨太郎の人物像を作り上げたのか、彼は興味を持ち始めていた。

「……まだ若ェのに、残念だったな」

晋助はそう声をかけ、鴨太郎の隣に腰をおろした。縁側に来てみて気付いたが、ここからは、晋助と鴨太郎が剣術試合をした場所が一望できた。つい数日前、二人の激しい闘いを、鷹久が目を輝せて見いっていたのが思い起こされる。

降りしきる雨に浸る敷地を眺めながら、鴨太郎は試合に思いを馳せるように言った。

「あなたと剣を交わした時、僕は模範的な技で一本をとり、さっさと試合を終わらせたいと思っていました。でも、あなたに挑発され……」

と、彼はふっと笑みを浮かべて続けた。

「途中からは、何としてでも打ち負かしてやろう、絶対に負けるもんかと躍起になっていました。いつしか僕達の試合を見る兄と、あなたの姿が重なって、初めて兄弟で本気で競い合った……そんな風に感じていました」
「そりゃあ、兄貴も同じだったんじゃねェかな。あんたの兄貴は、ずっと俺の一挙一動を追っていた。心の中で、あんたと本気で戦っていたんだ」

鴨太郎は小さく頷いて、大粒の雨を注ぐ天を仰いだ。

「剣術を見せることは出来たけれど、白浜海岸の美しい景色を見せることは叶いませんでした。華岡先生から、この療養所で亡くなった方を葬る墓が高台にあると聞きました。兄は伊東家の墓ではなく、白浜の地で眠らせてやりたいと思います。海や空を、存分に眺めることが出来るように……」

伊東鷹久、若くして生涯を終えた兄の名を思う。同じ母から、同じ時に生まれた双子だというのに、こうも運命が異なるとは何と不遇なことだろうか。そんなことを思いながら、晋助は言った。

「あんた達兄弟は、兄は鷹、弟は鴨の字を名付けられたんだな。鷹は地に眠り、鴨は空高く翔ぶって訳か」
「僕は、鴨という字を気に入っていますよ。鴨の水掻きという言葉を、薫さんが教えてくれましたから」

鴨太郎は瞼を閉じ、口許に決意を滲ませて呟いた。

「これからは、兄の分まで、強い翼で飛び立ちたいと思います」


それから、鷹久の葬儀はひっそりと執り行われ、海を望む高台に彼は眠った。鮮やかに晴れた淡青の空、同じ色をした大海原、その境目のない水平線を一望できる場所で、彼は永遠に眠り続ける。



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