「トリお帰り〜」 定刻で仕事を切り上げ、家に帰って玄関のドアを開けると、吉野がパタパタと音を立てて駆け寄ってきた。俺の手から鞄を取り上げると、リビングへと向かう。その後ろ姿を眺めながら、あとを追った。 「何か、新婚みたい。ご飯にする?それとも風呂?」 いつになったら気付くのか。その言葉も笑顔も、俺の心を掻き乱して、頭の中はお前で埋め尽くされていく。いい加減、やめてもらいたいものだ。その度に俺は、必用以上に期待をしてしまうから。 きっと腹を空かせているに違いない。今日は何を食べさせようかとキッチンに目をやると、朝部屋を出る時にはキチンと綺麗に片付いていた筈の鍋やら皿が、乱雑に置かれていた。 「あれは何だ?」 きっと険しい顔をしていたのだろう。吉野の顔から笑顔が消えて、申し訳なさそうに俯いた。 「あぁ……えっと、勝手にごめん……トリの負担を少しでも減らそうと思って、パスタ作ろうとしたんだけど……上手くいかなくて」 鍋は吹き溢れ、ザルに上げられたパスタはまだ芯が残っていて固い。 「慣れないことをするからだ」 「反省してる。何とか……なる?」 「大丈夫だ、そんな顔するな。俺の為にしてくれたんだろう?ありがとうな」 ここを綺麗にするには時間がかかりそうだ。でも吉野が俺のことを考えてしてくれたこと、怒れるわけがなかった。 頭を撫でてやれば、少しずつ笑顔が戻る。触れた髪は湿っていて、微かにシャンプーの甘い香が鼻腔をくすぐった。 「髪濡れてる。風呂に入ったのか?先に乾かさないと風邪ひくぞ」 「うん、何日も風呂入ってなかったから」 「風呂ぐらい毎日入れよ」 「わ、分かってるよ。だから……トリに嫌われないようにこうして……」 さっきから何なのだ。料理といい、風呂といい……。風呂に関して言えば、その何日も入っていない状態で、人のベッドに平気で寝ているくせに、今更だろうが。 「安心しろ、そんなことで嫌ったりはしない。だいだい昔からじゃないか。何故いきなりそうなる」 「だって……」 全く……今日に限って、どうしてこうもいちいち可愛いんだ。 それに────。 「なぁ、他の選択肢はないのか?」 「え?何が?」 「ご飯か風呂かって聞いただろ?俺は千秋がいいんだが」 「はぁ?何言ってんだよ、そんな選択肢はねーぞ!」 「普通もう一つあるだろう、それに続く定番の台詞が。新婚、なんだろ?」 「なっ……そういう意味で言ったんじゃ……んんっ……」 俺は堪らず、吉野の身体を壁に押さえ付けて、薄く開いた唇を塞いでやった。歯列を割って舌を絡めれば、押し返してきた腕は次第に力が抜けて、抗うことを諦める。 「舌、出して」 「ふぅ……んっ……はぁ……」 「そんなに気持ちいい?」 「ばかっ、ちょ、ちょっと油断しただけ……だ」 「ほんと、素直じゃないな」 耳まで真っ赤にさせてのその言葉は、全く説得力がない。それでも、あまり苛めすぎて機嫌を損ねられるのは困る。 「トリがどうしてもって言うなら……三つ目の……でもいいけど……」 本当にどうしたんだろうな。俺のシャツの端を掴んで頬を染める吉野が、可愛くて堪らない。腰を引き寄せて抱き締め、もう一度唇を寄せた。 「千秋────」 * 後に発覚したことなのだが、どうやら吉野はアシスタントの女の子達に「先生、羽鳥さんに全部やらせてるんですか?そんなんじゃ、恋人にだって愛想尽かされますよ?」なんて言われたらしい。その「恋人」が、まさか男の俺だとは思うまい。 それよりも、周りの言葉に触発されたとはいえ、吉野がこんなことをするとは想定外だった。しかしこれは、些かやりすぎなのではないのか? 今俺は、皿に盛り付けられた黄色い物体を突き付けられている。ご丁寧にケチャップで描かれた、鳥のおまけつき。 「……もしかして、……オムレツなのか?食えるんだろうなぁ」 「何だよその顔はっ。まぁ見てくれは悪いけど、今度は大丈夫だって!」 「…………」 「ほら、遠慮しないでどうぞっ」 俺は何を試されているんだ?玉子だから食べられなくもないと思うが……いや、今までの経験上、油断してはならない。 無邪気な笑みが、この時ばかりは悪魔に見えた。 「……??……ゴフッ……ゲホゲホ……おまっ、玉子に何を混ぜた!?」 「普通に砂糖と……あとは何入れたかなぁ」 「砂糖と塩間違えただろ!塩辛いっ」 「えー?おっかしいなぁ、完璧だと思ったのに」 こんな調子で、見た目も味も全てにおいて微妙な料理を作っては、部屋に呼び出す吉野。可愛く健気ではあるが、正直不味いものは不味いのだ。 「お前は仕事のことだけ考えてくれればいい、他に無駄な労力を使うな」 「平気だって、次は頑張るから!」 「…………」 傷付けないように遠回しに言ってみるも、功を奏さず。こうなればもう、吉野の料理ブームが早急に去ってくれることを願う他ない。 END. *20130324〜20120904までお礼文として使用 |