お題小説

□Je t'adore(君が)大好き
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バレンタインが過ぎ去り、社内の浮ついた雰囲気もようやく落ち着いた。その後仕事がバタついて、なかなか吉野の所へ食事を作りに来てやれなかったのたが、今日ようやく時間がとれたのでこうしてマンションを訪れている。
それなのに何が気に入らないのか、目の前に座った吉野は表情を曇らせたまま、口を閉ざして視線を合わせようともしない。
こうやって口を利かないときは、大概何かを隠している時だ。

「いい加減にしろ、何を怒っているんだ?」
「怒ってない」
「じゃぁ、何を拗ねている?」
「拗ねてないってば!」

否定はするが、機嫌の悪さは明らかで。今日は、だし巻きたまごを作らなかったからか?それとも、あのことをまだ気にしているのだろうか。

それは一週間前の2月14日まで遡る。
バレンタイン当日、社内ではチョコを配る女子社員の姿が目立っていた。我がエメラルド編集部も例外ではない。
高野さんや小野寺程ではないが、俺もそれなりの数のチョコを貰っていた。
担当作家からのものもあるが、勿論全て義理チョコで、それ以上の好意を窺わせるようなものは、一切受け取っていない。
一之瀬先生は、俺が甘いものを好まないのを気にして、代わりにプレゼントを差し出してきた。が、当然そんなものを受け取るわけにはいかなかった。
彼女に関しては、吉野に勘違いさせてしまうような行動だけは避けたい。

そもそも女が男にチョコを贈るという制度は日本独自のものであり、海外でのバレンタインとは少し意味合いが違ったりする。ホワイトデーと対になっている時点で、単なる商業イベントにすぎない。これに義理チョコなんて厄介なものまで存在するのだから、正直面倒なだけで。意中の相手がいる場合は、殊更対処に慎重になってしまう。

その日は珍しく、仕事を定時に終えて吉野に連絡をすると、俺の部屋に来ていると言う。今思えば義理だとはいえ、彼の目に触れさせるべきではなかった。
経緯は嘘偽りなく説明をしたが、直後から様子が少しおかしかったように思う。急に「いいネタを思いついた」と言って、引き止める俺を振り切り帰ってしまったのだ。その時は、気分がのっているうちに形にしたいのだろうと思ったのだが、あのまま帰すべきではなかった。
もしかしたら吉野も、何か用意してくれていたのかもしれない。でもそんな確証は何もなくて、チョコなら自分が用意しても良かったのだ。それをしなかったのは、吉野自身今日という日を意識してないと思ってしまったから。
別にそんなもので愛情の深さを測るつもりはない。が、少々期待をしてしまうもので、結局は自分も商業イベントに踊らされた一人であることに嫌気が差した。

「一体どうしたんだ」

吉野の横に腰を下ろし、頭を撫でながらもう一度問う。

「どうもしないって」
「とてもそんな風には見えない。黙っていたら分からないだろ?何が気に入らないのかハッキリ言え」
「……もういい………過ぎたことだから」
「過ぎたこと?」

やはりあの日か……。ならば、理由は分かりきっている。

「なぁ吉野。この前も説明したと思うが、あれは全部義理チョコだ。編集部の他の奴等にも、同じように配られたものだから」
「分かってるよ、そんなのっ!」

何故か今度は、頬を赤く染めながらプイっと顔を背けた吉野。
そのことではないのか?ますます真意が分からない。どうしたら良いのか思い倦ね、結局は宥めるように、華奢な身体を抱き締める。

「千秋、頼むから機嫌を直してくれ」
「ごめん……ホント、それに怒ってるわけじゃないから」
「でも何か理由があるんだろ?」
「そうじゃなくて……」

回した腕に力を込めると、また口を閉ざしてしまう。吉野は嘘をつくのが下手で、すぐに顔や言動に出る。隠しきれないのならば、詮索される前に吐露してしまえばいいものを。
首筋にキスを一つ落とし耳朶を甘噛みすれば、吉野は小さく反応した。

「んっ……トリ、やめろって……」
「何を隠してる?」
「別に何も……やっ…」

シャツの端から手を滑り込ませて、薄い胸を愛撫する。

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