かれこれ一時間、紙に文字を書いては消しての繰り返し、全くと言っていいほど頭の中は空っぽだった。 「吉野、少しは進んだのか?」 「あ〜ダメだ、な〜んにも思い浮かばない」 握っていたシャープペンを転がすと、クッションを抱き締めながらソファーに身を投げた。 このプロットが出来なければ、何一つ進まない。どうにもならずに、トリに助けを求めてこうして来てもらったのはいいけれど……。 はっきり言って逆効果だった。 言い訳するわけじゃないけど、トリのことが気になってしまって、仕事が捗るどころか少しも進まない。 「お前が相談したいと言うから、仕事を切り上げて来たんだぞ」 「そんなの分かってるよ!」 「いつ終わるんだ?」 「も〜、そうやって追い詰めんな。トリが横で煩いから、出てくるもんも出てこないんだよ、集中出来ない」 「はぁ?」 しまった、八つ当たりもいいとこだ。そう思って慌てて弁解しようにも、すでにトリの眉間には深い皺が刻まれていた。 「邪魔したな」 冷ややかな声でそう言うと、呼び止める俺の声に振り返ることなく、出て行ってしまった。 あぁもうっ…何でこうなるんだよ!喧嘩するつもりなんてなかったのに。でも集中出来ない…と言うのは本当で、決して嘘ではない。 最近のトリは、他の担当作家さんの新しい連載に向けて、いろんな資料集めや調べものとかで、忙しそうにしている。だからと言って、俺のことを放置しているわけではなくて。顔こそ見せないが、ちゃんと連絡はしてくれていた。 ただトリは、自分のすべき仕事を全うしてるだけ。そう、とても勤勉に。 もちろん抱えている担当が、俺だけじゃないのは百も承知だ。でも、でも、でも!作家と担当である前に恋人なわけで、その恋人に、寂しい思いをさせるのはどうなんだって話。 「あーあ、トリのご飯……食べ損ねた」 そんなことを呟いても虚しくなるばかりで、寂しさが一層増しただけだった。 たった一言「寂しい」と言えば、きっとトリは寝る間を惜しんででも、時間を割いてくれるだろう。 だけどそれを言わなかったのは、俺がこんな状態なのに対して、トリが余りにも平然としていて悔しかったから。 「トリのバカ……」 どう考えてもあの言い方はまずかった、と一度は携帯を手にしたけれど、結局番号を表示させただけで発信はしなかった。単なる意地かもしれない。 取り敢えず、まずはこれを終らせなければ。俺は再びシャープペンを手に取り、ローテーブルの前に座り直した。 数日後、自然とトリのマンションへと出向いていた。きっと今俺は、顰めっ面をしているに違いない。だけどこうでもしていないと、トリの顔を見た瞬間、涙腺が簡単に緩んでしまう気がした。 それだけは嫌だ。気持ちを落ち着かせたくて、ドアの前で深呼吸をしてからインターフォンを押す。 やっぱり怒っているのか、一度では出てこない。二、三度押してしばらくしたところで、ようやく鍵の開く音が聞こえた。 「お前何やってんだ」 「遅いっ」 歓迎されていないのはトリの表情を見れば分かる。目を合わせないまま勝手に中に上がり込んで、どかりとソファーに腰を下ろした。 ここまで来たのはいいけれど、会ってからのことは全く考えていなかった。何しに来たのか、何をしたいのか……自分でもよく分からない。 俺はどうしたいんだろう。 「何しに来た?」 「何しにって……」 「こんなことしている暇なんてないだろ、やるべきことをやれ。俺がいたら邪魔だと言ったのはお前の方だぞ」 「邪魔だなんて、そんな言い方してない」 あぁ……言ったようなものか、追い出したのは俺だ。でもそれには、ちゃんとした理由があるわけで。 「しょうがないじゃん……トリが近くにいると、気になりすぎて仕事に身が入らない。でも近くにいないと……もっと気になる」 あぁーもう何言ってんだ俺。いてもいなくても気になるとか、頭の中がトリでいっぱいってことだ。 「ずいぶん勝手だな」 「だいたい、ぜーんぶお前が悪いんだからなっ!長いこと俺をほっとくから」 「千秋………それはすまないと思っている。だから連絡はちゃんと入れていたつもりなんだが」 「それは担当編集としてだろ。トリは俺の恋人……じゃないの?」 い、言ってしまった……。恥ずかしくて、顔に熱が帯びているのが自分でもよく分かる。もうどうにでもなれと、ギュッと目を閉じて反応を待ったけれど、何の言葉も返ってこない。 バカトリ、何とか言えよ! そう思った瞬間、俺の身体はトリの胸に引き寄せられていた。 「悪かった……」 「や、ごめ……ただの我儘……だし」 「嬉しいよ。寧ろ、もっと言って欲しい」 「ば、バカだろお前っ」 「千秋だから」 俺……だから? トリの顔を見上げたら、不意を突かれて唇が重なり合った。心臓の音が煩く鳴り響く。ただキスをされただけなのに。 千秋だから……────トリ、それって反則だよ。一人で勝手に拗ねていたのがバカみたいで、俺はトリの身体を強く抱き締めた。 それは反則 END. →あとがき。 |