久々にのんびりとした穏やかな休日、いつもより遅めの朝食をとったあと、しばらくして携帯が鳴る。 今日は掃除でもしようと思っていたのに、思いもよらぬメールで、財布と携帯だけを持って部屋を飛び出す羽目になった。 『頼む、助けてくれ』 たったこれだけの短いメール、桐嶋さんからだった。詳細が何一つ分からない為、あれこれと最悪なことを考えてしまう。彼の身に何かあったのか、それともひよの方か。 自分に助けを求めてくること自体が珍しくて、あらぬことが頭を過った。いつもよりマンションまでの道程が長く感じられた。 漸く辿り着いて、近隣の住人に挨拶をしながら歩調を早める。ここの住居者ではないが、頻繁に訪れているせいか、顔を見ればみんな気さくに挨拶をしてくれるようになっていた。 桐嶋家とどのような関係だと思われているのか分からないが、この際それはどうでもいい。 勢いよく玄関に踏み込むと、意外にも落ち着いた様子の桐嶋さんに出迎えられて、拍子抜けした。 「ずいぶん早かったな」 「あんたがあんなメールよこすからだろ!で、何があったんだ」 まだ荒い呼吸を整えながら説明を求めると、桐嶋さんは大きな溜め息をついて、そのままリビングに行ってしまった。その後を追いながら、俺は更に続ける。 「ひよはどうしたんだ?」 まだ状況は掴めないが、桐嶋さんは普段と様子が変わらない気がした。となると、まだ姿を見ていないひよのことが気になった。 「そのことなんだけどさ……」 彼はソファーに腰を下ろしながら、また溜め息をついた。どうやら何かあったのは、やっぱりひよの方らしい。 「早く言えよ」 「飯も食わずに、昨日の夜から部屋で鬱ぎ込んでる」 「はぁ?親子喧嘩か?」 「そんなんじゃねーよ。でも俺の手には負えないから、横澤、頼むよ」 いまいち要領を得ないが、取り敢えず様子を見に行くことにした。 ひよの部屋の前で足を止め、声を掛ける。 「ひよ、俺だ。入ってもいいか?」 「お兄ちゃん?」 すぐにドアは開かれて、中からひよが顔を出す。いつものような元気はないものの、具合が悪いわけではないらしく、一先ず安心した。 それでも。やっぱりこんな状態のひよは見たくないし、笑った顔の方がよく似合う。自分にしてやれることがあれば、力になってやりたい。 「どうした、学校で嫌なことでもあったか?パパも心配してるぞ」 「ううん、そうじゃないの……」 「何だよ、言ってみろよ」 ひよは口を閉ざし机の方に歩いて行くと、バックを手にして戻ってきた。それを俺に差し出す。 ピンク色の可愛らしいバックで、ひよが普段から大事にしているのを知っている。 「昨日学校から帰る途中で、金網に引っかけちゃったの。そしたら……これ……」 よく見れば、ちょうど真ん中辺りの生地が破けてしまっていた。それで元気がなかったのか? 「なんだ、それなら俺が新しいのを買ってやるから」 「パパと同じこと言わないでっ!このバッグは、由紀ちゃんとお揃いの大事な物なんだから」 ひよの悲しそうな顔を見ていたら、何とかしてやりたいとは思うが、ただ裂けているならともかく、こうも破れてしまっていたら難しい。 共布があれば裏から当てて、目立たなくすることは可能だと思う。でもそれは出来そうにない。 こんな時、母親だったらどうするだろう。 何かないかと、部屋の中を見回していると、ひよの頭に目が止まった。 「なあひよ、今度もっと可愛いやつ買ってやるから、それ使ってもいいか?」 髪留めを指差すと、ひよは髪から外して不思議そうに首を傾げた。 「いいけど、どうするの?」 「いいから黙って見てろ。あと裁縫箱あるか?」 「うん、ちょっと待ってて」 出してくれた裁縫箱を受け取ると、俺は床に座って、目の前にバッグを広げた。なるべく生地の色に近い糸を選び、針の穴に通していく。 ボタンを付ける程度なら普段からやっているが、正直言って、裁縫が得意なわけではない。 でも可愛いひよの為だ、やるしかなかった。 細心の注意を払いながら、裏側から丁寧に縫い合わせていく。なんとか穴は塞がったものの、やはり表から見ればその箇所が目立ってしまっている。 そこで、ひよから貰った髪飾りの金具からリボンだけを取り外して、しっかりと縫い付けてみた。 「出来た、これで……どうだ?」 バッグをひよに手渡して、反応を待つ。今してやれるのは、これが限界だ。 「凄いっ、お兄ちゃんありがとう!リボンでもっと可愛くなっちゃった」 ひよの顔がパッと明るくなり、今日始めての笑顔を見せた。その様子に安堵の溜め息をつく。気に入ってもらえなかったら、バッグも髪飾りも台無しにするところだったのだ。そうならなくて、本当に良かったと思う。 |