校了まではまだ少し日がある今、編集部内は穏やかだ。たった一人を除いては……。 こういう時は、下手に近付かないに限る。 「羽鳥さん、高野さん機嫌悪くないですか?」 「そうか?いつもと変わらん気もするが」 気のせいかな……何だか、向けられた視線が痛い。特に怒らせるようなことをしたつもりはないけれど、刺すような視線を感じているのは事実。 チラリと彼の方を見ると、視線がかち合い慌てて目を逸らした。 何ビビってんだ、俺。別にどうってことないし。 「それはそうと、この前教えてもらったレシピなんですけど、もっと簡単なものないですか?ハンバーグとか、俺にはハードル高すぎますっ」 「ハンバーグを選んだのは俺ではない。誰のリクエストだ?」 「すみません……俺、ですね」 最近こんな風に、羽鳥さんからレシピを教わったりしているのだけど。どういう訳か、これが一度もまともに完成したことがない。 高野さん曰く羽鳥さんは「手際が良すぎて笑える」らしくて。 まぁ何となくわかる気もする。 「材料をセットしたら勝手に出来上がるとか、便利な調理器具ないですかねぇ」 「機械に頼るな。お前、全くやる気ないだろ」 「羽鳥さんは何でも出来ちゃうから、俺の苦労が分からないんですよ」 容姿端麗、おまけに仕事も料理も出来てって……神様は不公平過ぎるだろ。 完璧と言えば、高野さんだって。 違う、違う、違うっ!何考えてんだ、あの人は性格に難がありすぎるだろ! 頭をぶんぶん振りながら羽鳥さんに向きなおすと、半ば呆れ顔で腕組みをしていた。 「もう諦めたらどうだ?」 「うー…………」 そもそも羽鳥さんにこんな相談をしているのは、元はと言えば全部高野さんのせいなのだ。 度々彼の部屋に泊まっては、温かい食事を食べさせてもらっている。 や、勘違いしないで欲しい。決して「お泊まり」ではなく拉致されたのであって、断じて俺の意思ではない! それでも、高野さんの作ってくれたご飯が美味しくて、あろうことか感動してしまった。 こんなの普通だ、とか、お前には無理かもな……なんて言うから、急に悔しくなって。だから羽鳥さんにお願いしたんだ。 高野さんに食べさせて、絶対にうまいって言わせてみせる! 「俺だって何か一つくらい……「お前ら、いつまでもキャッキャ言ってねぇで仕事しろ」 何か一つくらい出来るはずだ……言いかけたところで、高野さんが割って入ってきた。 「これ今日中にヨロシク」 そう言って、ドサリと俺達の目の前に置かれたのは書類の山。思わず羽鳥さんと顔を見合わせてしまった。 「何、出来ねぇの?」 「は?そ、そんなわけないでしょ!これくらいパパっと終わらせますよ!」 「あっそ。今から絵梨佳様と打ち合わせだから、終わったら俺の机に置いといて」 顔色一つ変えずに、要件のみを吐き捨てて、高野さんは出て行ってしまった 。正直、二人でやるには結構なボリュームだったりする。 溜め息をつきながらも、羽鳥さんはすでにデスクに向かって書類の山を崩していた。俺もやらなきゃ……いつ帰れるか分からない。 「あれ〜律っちゃん、まだ帰んないの?」 「木佐さんに美濃さんっ」 「何その書類の山。あ〜分かった!小野寺君、また高野さん怒らせたんでしょ」 席を外していた二人が、デスクの山を見つけるなりケラケラと笑う。 「別に俺は何もしてませんよ」 「お前らも手伝え、明日の昼飯奢ってやる」 「昼飯代とかケチくさーい、パーっと飲みに行きたいなぁ、副編集長っ」 木佐さんが甘えるように言えば、今度は美濃さんがそれに同調する。 「いいね、最近飲みに行ってないし賛成」 「そういうのは高野さんに言ってくれ」 「チッ、ダメか。しょうがないからデザート付きで手を打ってやるよ」 こうして木佐さんと美濃さんも加わって、理不尽な残業をすることになった。人数が増えたことで、それほど苦戦することなく進んでいく。このペースなら早めに終われそうだ。 どうでもいいけれど、こういった残業の時にはいつも羽鳥さんが絡んでいる気がする。何故だ? いつの間にか手が完全に止まっていることに気付き、俺は再び書類に目を落とした。 |