黒子のバスケ 小説

□陸を歩けない人魚と駆け落ちしようか
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普通、通常、ノーマル、平凡。

それらが世の中で求められていた。
異端者には厳しい目を向けられ徹底的に排除される。個性が崩壊していた。

そんな世の中で密かに広まる噂が一つ。


【人間によく似た、だが人間では無いものが存在している】と。


ゆっくりと、ゆっくりと、その噂は毒が体を巡るように街に広がっていった。今も。じわりじわり、蝕むように。


















鳥の鳴き声が聞こえてきそうなほど、爽快な青空。
だが、緑間の機嫌は零を下回っていた。

原因はおは朝である。今日のラッキーアイテムが未だに見つからないのだ。
因みに今日のラッキーアイテムは【野生の狸】である。街中で見つかるわけがない。
見つからないでは困るのだ。
緑間は稀に見るほどの不幸体質でおは朝のラッキーアイテムが無いと冗談ではなく死にかける、運が悪ければ死ぬ。
なので、緑間は学校に連絡をいれて…山に来ていた。
既に手に持っている方位磁針は先ほど落としたせいで針が歪んだのか北を指していない。
地図は熊に襲われたときに落としてしまった。

財布も…その時に…。






今思えば簡単なことだったのだ。

ラッキーアイテムもないままに己が山へ入るとどうなるかなど。


簡潔に言うと緑間は今、遭難していた。


がくりと膝をつく緑間の前に黒っぽい生き物が通り過ぎていった。
——狸である。
数秒間呆然と狸を見ていた緑間だが、せっかく見つけた狸を見失うわけにはいかないと野生の狸の後を追い始めた。

ぐんぐんぐんぐん山の奥へ入っていく一匹の狸。
緑間もそれに続いて山奥まで入っていく。
途中【立ち入り禁止】と書かれた看板を通り過ぎて、フェンスの破れた穴を屈んで通り…行き止まりまできた。
立ちはだかる白く高い壁。

「森の中に何故こんなものがあるのだよ…?」

こんこん、と軽く壁を叩いてみるが特に変化はない。当たり前だ。
狸は緑間の隣で砂を掘っている。(もしかして、もぐら…なのか?)
暫くすると狸は掘るのを止め、右側にダッシュしはじめた。地面を掘った意味を問いたいのは緑間だけではないだろう。


仕方なく緑間は狸についていく
。こうなればヤケだ。どこまででもついていってやるつもりである。
狸はぼろぼろに錆びた鉄格子の前でくるくると二回ほど回るとぴょんと隙間を器用に通り抜けた。人間には出来そうにもない。

だが、そこは緑間である。鉄格子をひょいひょいと登るとあっという間に向こう側にたどり着いた。
一応敷地内なのだろうが、いかんせん人気が無い。さっぱり無い。
閑散とした雰囲気の空き地の真ん中に白い大きな…三十メートル四方の建物が建っていた。

「…こんなものがあったなんて、今まで知らなかったのだよ」

緑間が感慨深くそう呟いている間に狸は先へ先へと走っており、それに気付いた緑間は慌てて足を動かした。
立方体のような形の建物を更に囲むように張られたフェンス。狸はその前にちょこんと座った。
緑間はそれを少し離れた距離で眺めながら目分量でフェンスの高さを測る。
十メートル近くあるフェンスは遠くから見るとそれほどでもないが、近くから見るとその高さがわかる。

流石に登れそうにないな、なんて考えたところであの狸がフェンスの中にさえ入らなければ自身が入る必要が無いことに気がついた。
狸はずーっと何かを待っていて、緑間は狸をずーっと追っていた。
幾分が時間が過ぎたとき、狸に変化があった。
何かを見つけたようにふさふさ揺れるしっぽ。フェンスに頭を擦り付けている。(いきなり何してるのだよ)
狸の突然の奇行に内心緑間がドン引く。
狸の周りに特に変わった様子は無い。

じっと狸を見てみると狸の頭を撫でる白い何かが見えた。
びくっと体が意図せず震えた。
こちらに気付いたのか白い何かが撫でる動きを止めた。

良く良く見てみると白い何かは…人の腕だった。

目を瞬かせ、緑間がフェンスに近く。
フェンスの向こうには真っ白な服を纏った一人の人間がいた。
髪は長いが、女性かどうかはわからない。
淡い空色の髪が風に揺られてふわりと流れる。
そして僅かにだが、柔らかく微笑んだ。
緑間はそのあまりにも幻想的な光景に暫し我を忘れて見とれていた。
そんな緑間の意識を現実に戻したのは指の痛みだった。驚いて指を見ると狸がそこにいた。

そこにいて緑間の指を噛んでいた。

「っ!?…!…かなり、痛いのだよ」

緑間が痛みにしゃがみこんでいる間に、狸がぺしりとその頭を叩かれていた。
「こら、ぽんた君。噛んじゃ駄目でしょう」

叩かれたぽんた…と呼ばれていた狸はしょんぼりしてこちらに歩いてきた。
傷痕をぺろりと一舐めするとまたフェンスの方へ走る。狸というより緑間には犬に見えた。穴も掘ってたし本当に犬かもしれない。
彼(彼女?)はぽんたをよしよしと撫でると緑間の方を見た。撫でていた腕にはぐるぐると何重にも包帯が巻かれており、痛々しいほどだった。

「…貴方は…?」

「緑間真太郎なのだよ」

「そう、ですか。僕は黒子テツヤと言います」
狸を撫でる手を止めると黒子はぺこりとお辞儀した。緑間も軽く会釈する。
黒子テツヤ…名前からするにどうやら男のようだと緑間は考える。
それよりも何故こんなところに?、そう聞くよりも早く黒子が緑間に質問を投げ掛けた。

「あの、緑間さんは…どうしてここへ?」

「……この狸を追っていたらここに着いたのだよ」
殆ど本当で少し嘘である。

一つ、遭難していたら狸を見つけた…という言葉は緑間のプライドの為に伏せておいた。

「ぽんたを追って…ですか?」

こてんと首を傾げる黒子。緑間は(どこかおかしな部分でもあったのか)と内心ヒヤヒヤであった。
「…それより腕、怪我しているのか?」

あまりその話題にふれてほしくない緑間は半ば無理矢理話題を変えた。黒子は目線を下に落とすと首を軽く横に振った。

「そうか、すまなかったな」

何となくだが、緑間にはその話題が黒子にとって触れられたくないものなのだろうと感じられ、思わずぽろりと謝罪を口にしていた。
その謝罪の言葉に黒子は弾かれたように上を向く。まるで謝られたことが不思議なように。

「…あの、見ても叫んだり殴ったりしません
か?」
数分の沈黙の後、恐る恐る黒子から吐き出された言葉は緑間にとって予想の遥か斜め上なものだった。

「俺がそんなに暴力的に見えるとしたら、それは少し…いやかなり衝撃を受けるのだよ」

黒子はその返答に一瞬呆けると小さく笑みを溢した。そしてきつく縛られた包帯を丁寧に外すと緑間の方へ差し出す。

フェンスの間から差し出された黒子の腕には十枚程の鱗が張り付いていた。
青っぽく透明なその鱗は光に反射してきらきらと輝いており、黒子が異質な者だということをはっきりと示していた。

「……人、魚…なのか?」

緑間の問いに黒子は首を横に振った。
首を振った為に、腕の角度が変わったのかまるでお伽噺でも出てきそうなほど美しい鱗が色を変化させる。淡い翠へと。

「…では、一体何なのだよ」

「緑間さんは先祖返りを知ってますか?」

「話だけなら、知ってるのだよ」
先祖返りについては言葉の意味のみ世間に広まっていて、詳しくは噂として流れるものぐらいしかない。
…それはあまりにも、少なすぎた。緑間が違和感を持つほどに。
まるで情報規制でもかけられているかのようだと冗談混じりに考えたのはいつだったか。

「ボクがそうです」

はっきりとそう断言する黒子の目に曇りはない。
あの噂は本当だったとでもいうのか。緑間にはまだ確信を持てずにいた。否、思考が感情に邪魔されて動きづらかった為だ。

「どういうことなのだよ」
先ほどから質問してばかりなのだよ、と内心己を呆れるがわからないものはわからない。「つまり、ボクは人間が水の中で暮らしていた時の皮膚を僅かに持って産まれた異端者なんです」
きつく唇を噛みしめる黒子。きっと【異端者】であることに苦しめられてきたのだろう。緑間にはそれを想像することしかできない。理解することはできてもわかり会うことは難しかった。
「だからこんなところで閉じ込められているのか?」
「…おそらく」

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる黒子。緑間には一瞬返答に迷いが感じられた。
「誰がこんなことを」
「ボクは、ボクには何も聞かされていません」

「何故逃げないのだよ」
フェンスが張り巡らされていようが、おそらくこの杜撰な警備体制のなか逃げるのは容易いことのように緑間は思う。
周りを見ても誰もいる様子はないし、地面も土だ。なのに何故。
「逃げてもどうせボクはここ以外では生きれませんから」
黒子の全てを諦めた目が緑間を見る。それはある意味真実であった。人は己と異なるものを受け入れがたい。少なくとも今の世の中では生きづらいに違いない。だが、生きづらいと生きれないはイコールではないのだ。
「誰がそんなことを決めたのだよ」
「ボクは普通ではありません」
「普通じゃないから生きれないのか?」
言葉がどんどんキツくなっていくのを緑間は自分でも理解していた。
腹が立ったのだ。こんなところに人閉じ込める誰かにも、逃げ出そうとせず諦める黒子にも。
「それが世の中の常識なんでしょう?」
儚く笑う黒子に緑間は唇を噛んだ。
「…っ!そんな常識を気にする必要などないのだよ!」


「駄目なんです、緑間さん。異端者は…ここ以外では生きていけない」

その言葉が緑間の何かを切った。

「…そう言って、ただ…外に出るのが怖いだけなのだろう?」
きっとこの言葉は黒子にとって刃となる。そうわかっていても止められないのが、感情だった。激情だった。
「…ッ!…貴方に、貴方に何がわかるんですかっ!」
その言葉のナイフは黒子の柔らかい部分を切り裂いた。
「皆、他人のことなどわからないのだよ」
「なら、知った風な口をきくなッ!」
黒子の敬語が外れる。フェンスを血が滲むほど強く掴んだその手に緑間は自分の掌を乗せる。
「だからこそ、教えてはくれないか?俺はお前のことを知りたいと思ったのだよ」
緑間の視線が真っ直ぐと黒子を射ぬいた。

「…っ!?……何なん、ですか…何でそんなこと言うんですか…」
戸惑う黒子。緑間は己が言った台詞の恥ずかしさにずり落ちてもいない眼鏡を上げた。

「別に、知りたいから知りたいだけなのだよ」

「それじゃ…答えに、なってません」
黒子の声は涙声だった。
大粒の涙を落としながら黒子地面に座り込んだ。
けれど、黒子はその時初めて知った。
悲しみ以外で流す涙があることを。
感情が混ざり混ざって流す涙を。

「…知ってるのだよ」
ぽつりと呟かれた台詞は気恥ずかしさによるものか、また別のものなのか本人にすらはっきりとはわからなかった。

















黒子の涙が止まると緑間は何か決心をつけたように黒子の手に優しく触れた。
「俺はお前が外に出たいと思うまでここに来ることにするのだよ」

そう言って黒子の手に口付けた緑間に、黒子はそっぽを向いて、小さく「勝手にしてください」と呟いた。

一匹の狸だけがそんな二人を見つめていた。


 

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