マジシャンの野望。

□野望 0
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あれは忘れもしません。
僕が人生で2番目に落ち込んでた時の話です。
その年の9/11にアメリカで世界貿易センタービルのテロがありました。僕はニュースを、朝方、ゲームをしながら見ていました。
当時の僕は、寝ては起き、ゲームをしながら、部屋をカーテンで閉め切り、昼夜逆転の生活を送っていました。
その時の僕は、自分の将来に夢とか、希望とかを見れず、
情けない自分の姿を目の前にしながら、現実を受け入れずにいました。僕がゲームが好きな理由の一つは、そんなことを少しでも忘れたかったからだと思います。いわば、現実逃避とでもいいますか。
外にも出たくないそんな状態が続いてたとき、父が出張に出かけるということになりました。父親は僕を見かねてか、「一緒に来ないか?」といい始めたのです。
場所はフロリダ。その当時テロの影響で、NYいきなどのアメリカ便が不人気だった時です。僕は即座に断りましたが、
「おまえ、フロリダっていったら、でかいディズニーランドがあるんだぞ。」
「気分転換。気分転換。」
という言葉にのせられて、いくことになってしまいました。
てなわけで、フロリダのディズニーランドの近くのモーホテルで1週間過ごすことになりました。
父と仕事仲間の方と一緒にいったのですが、これは僕の父の見方を変えた一つの転機でした。僕は父があまり理解できていませんでした。なぜなら、彼は仕事に熱中してて、夜もいつも遅く、食事を一緒にできて週1回ぐらいだったので、正直、家や家族のことを考えてるのだろうかと疑ったこともあります。しかし、彼の仕事仲間の方とお話しさせていただいていると、父がいかに仕事熱心で、仕事仲間から慕われている存在かよくわかりました。それだけでも、いって価値のあることでした。
話がずれましたが、ディズニーランドを回ることができた5日間は、何かにのっていたり、食べたり、見ていたりすれば、つらいことを考えずにすんだ、ゲームをしてる時と変わらない時間でした。
5日目に僕は父と仕事仲間の方と一緒に回りました。
開演早々、スプラッシュマウンテインに向けて走りました。係りの人が「転ぶと危ないので、走らないでください。」といってるのも関わらず、それを振り切り、父が僕を追い越しながら走っていったのですが、やはり、こけました。笑
スプラッシュマウンテインにのることができたのですが、心の中のもやもやが、消える訳でもなく、ただ考えずに時間を過ごせました。朝を食べてなかったので、その後、近くのピザやさんでcokeとピザを頼み、BRUNCHをとっていました。そのピザ屋さんは西部地区にあるようなmodernな作りをした、建物でした。なかで、ピザをオーダーし、中央にある机と椅子で食べることができます。
そのときです、いきなりピザ屋さんの中のステージで、
おっさんらしき人が出てきました。
「誰だろ?」
「ショーが始まるんじゃないか?」
「なんの?」
「西部地区だけに、カウボーイとか出てくるんじゃない?」
(内心…つまんなそー早くここから出ようぜ。)と思ってました。
しかし、彼が始めたのはお客さんとのトーク。ギターを持ちながら、お客さんをステージに乗せて、掛け合いをしてました。
子供連れの家族をステージに呼び、
「坊や。どこから来たのかな?」
「お父さんもお母さんも優しいね、ここにつれてきてくれて。」
ギターに合わせながら、
「Xmas休みには早すぎるし、EASTER休みには遅すぎる〜〜〜、
君はSCHOOL SKIPER〜〜〜〜〜」もう、会場大爆笑です。
彼は観客とのおしゃべりを終えた後、必ずその観客を使って、マジックをしてました。ただし、初めは一回は失敗するの。けど、最後にばしっと決める、そんなコメディーマジックを見て、僕は大感激しました。今まで僕の中で「マジック」っていうのはイリュージョンとかとても遠い存在だったけど、彼がこんなにも近くにマジックを持ってきてくれた。こんなばかばかしいこと(失礼)で、人の心を動かすこんな素晴らしい力になるんだ!その時、僕はコメディーマジックに引かれていきました。これが僕とコメディーマジックの出会いです。
コメディーマジックは自分が間抜けなシーンから始まります。
最後にはびしっと決まることもあるし、そのまま失敗しつづけることもある。
だけど、ドジな部分、成功した部分、全てを会わせてコメディ−マジックの魅力なんです。僕は自分のだめな姿、それは自分にあってはいけないものだとではなく、それは自分の中で素晴らしいものへと変わってくマジックパワーみたいなものを秘めている。だと感じました。
僕はすかさず横にいた父親に、
「将来、こういう、人(の笑顔)と関わる仕事をしたい。」
マジシャンの野望の始まりです。

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