戦国BSR|刻が二人を離つまで

□刻が二人を離つまで|夏
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まだ蓮の花も開かぬ早朝。


庭から聞こえるのはやや上がり気味の息と、空を切る木刀の振り払う音が今日も聞こえる。
そこでは勇ましく木刀を振る小十郎の姿があった。
流麗な剣の腕を持つ生粋の武人で強靭な精神力を持つ片倉小十郎と言えど、そう易々と捨て去れないものがあった。


想い慕う相手の仕合せを願うと言ったところで、内にはまだ蟠りが潜んでいた。そんな己を不甲斐なく思った小十郎は、それを斬り捨ててしまうかのよう一心不乱に木刀を振り続ける。


「今朝はずいぶんと早いのね」
殺伐とした空気を切り裂いたのは優しく柔らかな愛しい人の声音。郁の声が耳に届くと、小十郎の手は途端に止まる。


「おはようございます」
その人に跪き深く頭を下げ挨拶を交わす。
あの雷鳴の夜からそれほど日は経っていない。


顔を合わすことすら気が引けると小十郎は思ったが、郁はそのまま立ち去ることはせずに廊下から降りて小十郎の元へ歩み寄って来た。


「先日の夜は御免なさい。小十郎を困らせるようなことを言って」
「いいえ。そのようなことは…」
「私ね、あれからずっと考えていたの」
地面に膝をつけたままの小十郎と視線を合わすように、郁は着物の裾が汚れるのを気にも留めず屈みこんだ。


「何を…で、ございましょうか?」
「小十郎が祝福してくれるのなら私喜んで真田へ嫁ぎます」
「それはとても喜ばしいことで…」
郁の強い口調は決意の現れ。
麗らかな外見の美しさもさることながら、郁の強い意志や凛とした立ち振る舞いはその美しさを凌駕するものだと小十郎は確信していた。だからこそ惹かれ、今も想い慕っている。


「でもね、私は小十郎を嫌いになんてなれないわ。だって小十郎は私にとって大切な人ですもの」
「身に余るお言葉にございます」
主君の妹君対して、あれほど辛辣な物言いをしたと言うのに、郁はそれもすべて赦して受け入れたのだった。小十郎はその寛裕さ平伏した。


「大切な人に祝福されるなんてとても仕合せなことね」
そう言って、郁は小十郎の手を取り柔らかい笑みを浮かべる。
けれども小十郎は気づいていた。郁の瞳が赤く腫れていることを。どれだけの思いでこの決断に至ったのかということを。


「小十郎、お願い。その時は笑顔で私を送り出してね」
「はい。かしこまりました」
己よりもひと回りも若く、まだ幼さの残る姫君の下した決断に小十郎もようやく腹をくくった。
想い慕う愛しい姫君が仕合せになるのならば、これほど喜ばしいことはない。


「この片倉小十郎、郁姫様の仕合せを心より願っております」
その言葉に嘘偽りなどない。
嫁ぎ行く姫君の仕合せが家臣の己にとって何よりの仕合せであると信じた。



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