薄桜鬼|short

□一抹の夢
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眩い日差しに目を細め、一筋の涙が頬を伝った。
塗り込めた空色にぽつりと浮かぶ、ほの白い月に手を伸ばしても届くはずもなく。

こんなにも感傷的になるなんて思ってもいなかった。
これも病のせいなのだろうか。

「郁…、郁」

縁側から愛しき名を幾度も呟いた。
想いを馳せて、焦がれても郁が現れるはずもなく、呟いた名と共に面影が幻となる。

病で倒れ江戸に戻ることを余儀なくされてから、どれほど月日が流れただろうか。
養生しながら移ろう季節を感じてはもどかしさを抱えていた。

きっと郁は僕がこうしている今も刀を振るって、皆を…近藤さんを支えているのだろう。
近藤さんの役に立てない苛立ち、郁の傍に居ることのできない歯痒さ。

瞳を閉じて瞼の裏に映る郁の姿。
白々と光る中に浮かぶ郁の笑顔が、その声が、側にあるようだった。

「じ…総司…総司」

ゆっくりと目を開ければ眩い光とともに浮かび上がる影。

「郁っ」

庭先に佇むのは紛れもなく郁その人で。
縁側に座る僕の元に歩み寄る。

まるで夢でも見ているのかと思った。

「総司、久しぶり」
「どうしたの?」

柔らかく笑いながら僕の隣に座る郁はいつものよう。

「どうしたのって…会いたいから来たの?駄目だった?」
「そういう聞き方するのってズルイよね」
「ズルさなら総司には負けるけど」

いつものような会話が懐かしい。

「…ねぇ総司、待ってるから…」

待っているから。
新撰組の一員として。
僕の愛しい人として。

「そうだね…」

僕の想いも同じだった。

郁の元に早く行きたい。
出来ることなら今すぐにでも…

僕たちを引き離したこの病が憎い。
空に浮かぶ月のようにほの白い郁の手を握り締めた。


「でも今すぐは無理かな…きっと総司も心残りがあるでしょ」
淡い記憶の中で郁が寂しげに笑った。






ふと、眼を開ける。

敷かれた布団の上で寝ていたようだった。
開け放された障子から見えた空。
黄昏色が闇に溶け込む。


「郁っ!」


郁が来ていたはず。
思い出したように飛び起き、郁の名を呼んだ。
けれど返事はなく、僕の声は空を彷徨った。

あれは夢だったのか。
あんなにもしっかりと郁の手を握りしめていたのに。

握っていた掌をひらくと、燃えるように紅い花弁が一片。
掴んでいたはずの手は霞むように消えて行き、郁を残して虚しく時だけが過ぎてしまうのだろう。

郁と紡いだ幾多の想い出も、いつかは色褪せてしまうのだろうか。
紫色の中に瞬く星々を見上げて、郁との日々を永遠と胸に綴じて静かに想いを馳せる。

掌から零れ落ちた一片は、吹きこんだ一陣の風にゆらゆらと彷徨い、縁側に留まる。
郁が座っていたはずのそこへ。


あぁ。
そうか。

散ったのは僕ではなく郁の方だったんだね。


もうすぐ岸辺を渡り、眼醒めを知らずに郁に辿りつくだろう。
僕も朽ち果てる定めだから。

夜空に放った願いはとても綺麗で、郁に届いているのだろうか。
溢れだすようなこの想いが。


すぐに追いつくから…

待っていて…


瞬く星に手を伸ばした。



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