薄桜鬼|short

□合い席
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日曜日、青天、にぎわう街、やたら目につくカップルもしくは家族。

出かけてみればそんな光景が嫌でも視界に入る。


確かに私は独り身だけど、それほど寂しいとは思わない。
仕事が充実しているから。


そう思いながらも、何気なく立ち寄った本屋で何気なく手にしたのは人気の恋愛小説だった。


家に帰ってからでもよかったのだけど、通りかかったカフェがお洒落でついつい入ってしまい、そこでコーヒーを飲みながら本屋の袋を開けることにした。


家では決まってブラックコーヒー。だけどカフェで飲むなら普段は飲まないようなフレーバーコーヒーを注文する。
しばらくしてクリームが乗ったシナモンの香りが漂うスパイシーなコーヒーと、一緒に頼んだビターチョコのケーキがテーブルに並べられた。


一口コーヒーを飲んで、本を広げる。
人気の小説で映画になるとか。
内容は主人公の男性が今は亡き学生時代の恋人との想い出を辿る話だっけ。
ありがちな内容だけど、私はこんな経験なんてしたことない。
そういうのを理想とか言うのだろうか。


「ここ、いいですか?」


まだ主人公が社会人としての現在の話のところだった。

かけられた声に驚いたものの「あ、どうぞ」と、店内が込み合って合い席かと思い適当に承諾した。

本から視線を外すことなく。

「ありがとうございます」

前の椅子がガタりと引かれて、そこに座ったのは一人の男性。
店員に「これと同じ飲み物。あとアップルパイも」と注文したところで、ようやく私は目の前の人物に視線を移した。


「久しぶりだね」
呑気で軽い声。
知っているその声の主。

「沖田…」
「覚えててくれたんだ。嬉しい」
「白々しい」

驚いた。
だからそう返すのが精いっぱい。


忘れるはずのことのできない卒業生、教え子。沖田総司。

あの日、私は総司を冷たく突き放した。

あれほど酷くあしらったと言うのにこの男は私に声をかけてきた。

何事もなかったかのように。


こんな小説読んでたんじゃ何を言われるか分ったもんじゃない。
慌てて本をたたんでバッグにしまう。


「いいのに。僕の事は気にせず続き読んじゃって」
「もう帰るから…」
「えー、少し話そうよ。僕の話聞いてほしいし」
「沖田の話って…」
ロクなことないと思った。
「僕の進路…教師になりたいんだ…」
そう思った私のバカ。

総司は真剣だった。

だから立ち上がろうとした身体を椅子に落ちつけた。


「沖田が…教師ねぇ…」
「そう、結城先生みたいな教師」
「私よりも土方先生みない教師になれば…とても素晴らしい教師だと思うけど」
「土方さんみたいな、なんて嫌だよ」
あぁそうか、総司は土方先生にはなぜか悪意を持っていたんだっけ。


「僕大学でもけっこう頑張っているんだよ」
「そう、学業に励むのが学生の本分だからそれで十分でしょ」
「それにね、塾で講師のバイトもやってるんだ」
「自分で給料を得るということを覚えるのも必要でしょうね。学業の妨げにならないように頑張りなさい」


飲みかけのコーヒーを口にしながら淡々と総司に告げる。
あの頃よりも随分大人びたように見える総司。
それもそうだ。総司はとっくに大人になっている。


「それ…やめなさい」
テーブルに置かれたアップルパイ。総司はそれを口に入れて、フォークを咥えて持ったまま。

まるで子供の様。

私が指摘すると「はーい」と間延びした返事をする総司。


成長したのかしていないのか。
不思議な男だとつくづく思う。


「沖田せんせ」
「あ、ほんとだ。沖田せんせー」
甘ったるい声が横から聞こえて、視線を上げると、テーブルの横には女子高生と思しき若い女の子たちの姿。

「あぁ…」
総司の表情が瞬時に曇る。

「日曜にせんせーに会えるなんてラッキー」
「ねー」
総司を映す彼女の瞳はとても煌めいて、その表情を見れば彼女たちの心は一目瞭然だった。
憧れ。
あわよくば…。


若さゆえというか、肉食系というか、野心や下心が、若さの奥に見え隠れする。

私は持ち合わせてはいない”モノ”。

「沖田せんせーはデートですか?」
私にちらりと視線を向けて、また甘えた声で総司に話しかける。

「お姉さんじゃないの?」

クスクス笑いながら私を馬鹿にするような嫌味な一言。
あまりにも失礼でイラっとくるけど、ぐっと堪える。

正直傍から見ればその辺りが妥当なところだろう。

「えーでも似てないよ」
「じゃぁやっぱ彼女」
「沖田先生には年上すぎないー?」
「あははは」

持っていたカップの表面に波紋が揺れる。
眉間にはこの年になると恐怖でしかない皺が寄ってしまった。


そりゃこの子たちと比べたら随分年上だけど、ここまで言われなきゃいけないなんて。
でも私が何か言ったところで年増の僻みでしかない。

「ねぇ君たちが休日なように僕たちも休日なんだ」

総司の表情が凍てつくように冷たい。
本気で怒っている総司の顔。

「勉強で分らないところがあるなら塾で教えてあげるから邪魔しないでくれるかな。
それに彼女は僕の大切な人。若さだけをアピールするような君たちより、彼女はとても素敵で綺麗で可愛いんだよ。分ったらここから消えてくれる?」

総司のとんでもない冷徹無比な口撃に彼女たちは押し黙って、店を出て行ってしまった。

「ごめんね…僕のバイトしてる塾の生徒なんだ。みんながあんなじゃないんだけど…」
「いろんな子がいるんだろうけど…そうやって他をフォローできるなんて成長したのね」

「やっと僕のこと褒めてくれた」

口元が綻び、笑みを浮かべる総司。
そんな顔久しぶりに見た。

途端私は何も言えなくなってしまい、視線を逸らしてしまった。

「郁ちゃん、」
久しぶりに呼ばれた名前に胸がざわめく。

「もう卒業して3年だけど…まだ結婚してないんだね」
私の左手を確認した総司の暴言とも言える一言に、先程のざめきが虚しい。

「…まだって…沖田には関係ないでしょ」
「関係あるよ」
含んだような笑みを見せて甘いコーヒーを口にした総司。

「郁ちゃんの隣には僕がいちばん似合うから」

「また…そんなこと」
コーヒーを飲んで、その香りと共に溜め息を吐きだした。

「僕の日常に郁ちゃんがいなかった3年。僕は何一つ満たされることなんてなかったんだよ。どういう意味か分るよね、郁ちゃん」

微笑んで、私の左手薬指に触れながら、総司は本心を告げる。

忘れようと必死だったのに、そんなに優しい声で名前を呼ばれればまた苦しくなる。


「また私を困らせて楽しんでる?」
総司の顔を見るのが辛い。
だから目を合わせられず逸らしてしまう。


「楽しいよ。こうやって郁ちゃんと再会できて、郁ちゃんと話せて、郁ちゃんに触れられて」

薬指に触れたままの左手をぎゅっと握って笑みを見せる。
あの時と同じような屈託のないそれ。

堪らなく嫌。


「私は…楽しくない」
「なら、どうして手を離さないの?」

指摘されて始めて左手を引っ込めた。
手を握られていることに違和感を感じなかった自分の鈍さが恥ずかしい。

「僕はずっとずっと郁ちゃんの手を握っていたいし、温もりを感じていたい」
「まだそんなこと…」
「もう教師と生徒の関係じゃない。それでも僕は変わらず郁ちゃんが好きなんだよ」
「公衆の面前でそんなこと言って恥ずかしくないの?」
「どうしてさ?僕の素直な気持ちなんだから恥ずかしいわけないじゃない」

そうだこいつはこういう男だった。

「郁ちゃんは僕たちは"教師と生徒"だからって決めつけたよね。僕は違うって言ったけど」
「…そう、だったっ…け?」

忘れられないくらいしっかり覚えているくせに知らないふりをした。


「まぁ、いいや…」
焦る私を見て、ふふと笑いながらアップルパイを頬張る総司。

「美味しいよ」
そう言って総司はフォークに突き刺した一口分のそれを私の目の前に差し出す。

「あーんして」
「絶対、嫌」
「甘いの嫌いだっけ?」
「違う」
「なら、あーん」

私が拒否する理由を知って、総司は尚も私に口を開けることを強要する。

「わかった」

突き出されたそれを総司から奪い取って、私はアップルパイを口にした。

確かに総司の言う通り美味しい。

けど、総司は不服そうに頬を膨らませている。


「食べさせてあげたかったのに」
それでも総司は満足気な表情を見せて笑顔でいる。


「んー、今日はいいや」

「何が?」
意味ありげな総司の言葉に、私の問いかけが刺々しくなる。


「ほんとはね、このまま強引にホテルにでも連れ込もうかと思ったんだけど、やっぱ違うかなって…」
椅子から腰を上げ総司は身を乗り出して、私に耳打ちした。

「ばっかじゃないのっ」
「だから止めたって言ってるじゃん。僕も大人になったでしょ」

総司はそのまま席を立ち、伝票を持つとそのまま会計へ向かった。


「そぉっ…」
「こういう時は男を立ててよね」
そう言った総司の背中はあの頃よりも男らしく見える。


そして私は総司に伝えるべき言葉を逃してしまった。

あの時総司を傷つけたことを謝らなければいけなかったのに。



もし次があるのなら、その時は必ず…



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