GK|背中あわせ

□case of T 2
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次節対戦相手のこれまでの試合を見ながら部屋に籠るのはいつものことだった。
試合のDVDを見始めると周囲のことなんてまったく気にならないが、今夜は少し違った。

カツ、カツカツ…

深夜、無人のクラブハウスに響き渡るヒールの音。

「ん?」

幽霊とかそんな類のモノじゃないだろう。
んなもんいるわけねーじゃん。

第一、鍵をかけたクラブハウスに出入りできるのなんて、クラブの人間。
だから、スタッフの誰かだろう。

特に気にはしなかった。


「っ…、くっ…ひくっ…っ」
微かに聞こえるすすり泣くような女の声。

え、何、コレ、何てホラー?
てか俺の仕事の邪魔すんなよ。

さすがに気になり、俺も部屋を出て薄暗い廊下を声のする方へ向かった。


女子トイレ…


声が聞こえる。
誰かのすすり泣く声が。

「誰かいんのー?」
さすがに中に入るのは気が引けて、外の廊下から声をかけた。

「ひくっ…っ……誰もいません」
おいおい、誰もいません。ってどういう答えだ。
俺の知ってる声が聞こえた。
「何だよアキヲか…どーした?」

「どうもしてないです」
「どうもしてないやつが泣くか?」

「帰ってください」
「帰るってここ俺ん家でもあるし」

「部屋に戻ってください」
「ヤダ。ってか入るぞ!!」

変態でもあるまいし、普段なら当然こんなところには立ち入らない。
けれど今は状況が違う。

「きゃ、ぅわっ!変態っ!!」
「ちげーよ」
泣いてるくせに、この俺を罵るとはなんて女だ。まったく。

強引に腕を引っ張ってトイレから連れ出した。

「離してくださいっ」
「ヤダ」
こっちを向かせるとやっぱり泣いている。

俯き涙を流すアキヲの姿を見ていると大よその察しがついた。
纏めてた長い髪は乱れ、皺だらけのスーツに、胸元の肌蹴たブラウス。

確か今夜はは新商品を製作する会社のヤツと会食でとか言ってなかったけ?
金銭面で何とか折り合いつけたいって言って、出かけたのは数時間前。

ひでぇことする奴もいるもんだな…

アキヲの身体が小刻みに震えている。

「貸してやるよ」
着ていたジャージを脱いでアキヲに羽織ってやった。

「あー寒みぃ、やっぱ夜になると冷えるよなー」
「……」
「アキヲもちょっと休んだら?ベッド使っていいから…あ、俺徹夜で対戦チームのDVD見るから俺ベッドいらねーしさ」

半袖のTシャツ一枚の俺は両腕を擦りながら部屋に戻る。
少し距離を取って、元気のないヒールの音が俺の後を付いてきた。



「散らかってっけど」

分ってると言ったふうにアキヲは頷いて部屋に入る。
とりあえず俺は適当に手近にあったパーカーを羽織ってDVDを再生した。

「無理やり引っ張りだして、何も聞かないんですか?」
「あー?言いたくねぇだろ」
「笑っちゃいますよね。また一からです」

「んにゃ」

ぽつり、ぽつりと喋り出したアキヲの声を逃せなくて、俺はリモコンの停止ボタンを押す。
ベッドのアキヲに向き直り、アキヲの顔を捉える。

「身体張って仕事すんのはいいけど、そう言う意味で身体張られると軽蔑する」
「……」
「アキヲはアキヲの力でウチの良さを伝えてくれてんだろ」
黙ったままアキヲはコクリと頷く。

「結局駄目でしたけど」
俯いたアキヲの白い手が震えていた。

「大丈夫だ。大丈夫だかんなー」
さっきは堪えた。でも二度目は無理だった。
ぎゅっと抱きしめてしまったのは俺がアキヲを特別視しているから。

ぽんぽんと頭を軽くたたいて、撫でてやると、アキヲはまた泣きだした。
「監督ぅー」
「泣け泣け、思う存分泣いとけ」
肩を震わせ、涙を流して、それでも俺に顔を見られまいと、アキヲは俺の胸に顔を埋めて泣き続けた。

ひとしきり泣き終わるまで待ってやる。
アキヲの為だったら他を後回しにしてもかまわない。

「……ズルイ。達海監督はずるいです」

鼻声のアキヲが俺の腰に腕を回して呟いた。

「何が?」
「こんな時に優しくするなんてズルイって言ってるんです」
「さすがに泣いてるヤツ無視できねーだろ。事情が事情なだけに…」

「弱みに付け込んでる感じが嫌」
「何だよ、その言い方」
優しくしてやればこんなこと言われるのか俺は。

「でも…流されそうな自分がもっと嫌」
兎の様な眼が俺を見た。
潤んだ真っ赤な瞳は揺らめいて俺を映す。

思わず唾を飲んだ。

「いっそ流されとくか?」
「それは嫌です」
間髪入れずの即答。この雰囲気でまさかの否定。
無残に砕け散る俺、達海猛35歳。

俺の腰に腕を回したまま、どうしろって言うんだ。

「監督…」
「何?」

潤んだ瞳に見つめられて、不意を突かれた。

「好きなんです」
「へっ?」
「だからこんなことで辞めたりしません。この仕事」
「あ、はぁ…がんばれよぉー」
俺の気持ちはジェットコースターだ。

てかもうハートブレイク。35歳俺。
グッバイ俺。
紛らわしい言い方すんなっつーの。

「仕事頑張ります」



「あの…終電逃しちゃったんで、始発までここに居させてもらっていいですか?」
「あー、どうぞ、いいよ。全然いいよ。俺DVD見るからご自由に…」
何たる生殺し。





ここで打ち明けたらきっと無様な自分を曝け出してしまう。
そんなの嫌だから、今日は言わない。

達海さんに背を向けて寝転がる。

「ありがとうございます…達海さん」

私、ずっと前から……



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