戦国BSR|short

□あれも口実
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陽が落ちた頃、私は政宗様の下へ夕餉を運ぶ。いつものように朱塗りの膳を持って入り、政宗様の前へ並べる。

「おい、郁風呂にしろ」
「はっ、はい。かしこまりました」

膳を運んできたそばから別の用を命じられ、慌てて風呂の用意をするべく部屋を出た。

仕えている立場からして言うべきではないと重々承知していたが、あまりにも勝手すぎる。

なぜ、いつも私だけがこんなにも振り回されなければならないの。

初めはその秀麗な容姿に惹かれもしたけど、今となっては鬼畜の所業としか思えない。私を扱き使って嘲笑っているに違いないんだから。

政宗様お気に入りの露天風呂は岩づくりで、掃除するこっちの身にもなってほしいくらい。

凍えるような夜風に晒され、不満を口には出さないが、おもむろに顔には出して準備する。


夕餉が終わるころにはお風呂に入れるはず。


走るわけにもいかず、摺り足でいそいそと政宗様のお部屋へ戻れば、不機嫌な政宗様の視線が刺さる。

「お待たせいたしました」
「遅せぇ」

あんたに振りまわされるこっちの身にもなれ。と心が叫ぶが、そんなこと政宗様の知ったことではない。

「着替え持って来いよ」

そんな言葉を残して、風呂へ向かう横暴主に「かしこまりました」とだけ返事し、膳を片付ける。

遅いと何を言われるか分かったものではない。慌てて空の膳を運ぶ私は廊下で片倉様とすれ違う。

片端に避け、一礼する私に対して「お守も大変だろう」と言って苦笑する片倉様に少し心が和んだ。

過ぎ去る片倉様の背を見つめ、大人の男だと確信する。

夕餉の膳を下げた後は、露天風呂まで着替えを持って行くと、

「遅せぇ」

やっぱり言われた。


小さくため息を零す私にさらなる追い討ちが。

立ち上る湯けむりの中から響く声。

「背中流せ」
「他の者を呼んでまいります」
「アンタがいい」

よりにもよって、なぜ私を指名するのだろうか。元より拒否する権利を与えられていない私は「わかりました」と返事をし、しぶしぶ湯着に着替えた。


政宗様の背を流すのは始めてだった。齢十九で奥州を治め、民を守るという使命を背負った背中は酷く傷ついていた。

「しっかり洗え、手が止まってる」

私と違って命を懸けて国や民を護らねばならない主には、多少の我儘や傲慢さは許されていいのかもしれない。

この主がいるからこそ、私が今ここで生きていられるのだから。
そう感傷的に思うと自然と涙が零れ落ちた。

「おい、手が止まってる」
「…、はいっ」

振り返った政宗様に涙を見られまいと、咄嗟に顔を伏せたが、あからさまに様子のおかしい私に政宗様は気づいたようだった。

「何だ?泣いてるのか?」

端正な顔を近づけられて、私はうろたえた。

「泣いてなんか…」
「泣いてるじゃねぇか」

両手で正面から顔を固定され、その左目でまじまじと見られる。

「こっ、これは…湯気でございます」
「嘘つけ」
「では…湯がはねて顔にかかった…」
「くだらねぇ嘘つくんじゃねぇよ」
「いえ、その……こんなにもたくさんの傷を負いながら国や私たち民を護ってくださっておられるのかと思うと…」
「えらく感傷的だな」

言葉に詰まり何も言えなくなった私に政宗様は己の胸元に引き寄せる。いっそう近づいた距離に私は動揺を隠せない。

「こんだけ傷を負っても俺が生きていられるのは郁たちがいるからだろ」

頭上で囁かれる声音はそれまでとは違い優しさを感じさせた。

「アンタらがいるからこそ、俺はこうやって天下を目指せる」

夜風は冷たく濡れた身体には堪えられそうもないが、政宗様の言葉に思考は停止し、顔が上気しているのは明らかだった。

「政宗様、何を仰って…」
「ここまで言わせておいて分からねぇのか。もっと分かりやすく教えてやるよ」

引き寄せられた身体に顔まで距離が縮まる。
「郁なしじゃぁ生きてる意味がねぇ」

真っ直ぐな視線を投げられて身体が硬直する。そして私に隙を与えないように唇が塞がれた。

深くどこまでも離すまいとする動きに私は全身の力を奪われる。

「っ…政宗さま…」

「嫌か?」
「嫌ではございませんが…政宗様の方こそ私を嫌っておられるのでは?」
「郁見てるとつい嫌がらせしたくなってくるんだよ。特に小十郎と一緒にいるところなんか見てるとな」
「ただ挨拶程度に二言三言話してるだけで、特別親しくはございません」
「そんなことは分かっている。それでも苛々すんだよ」

きまりの悪そうに本音を明かす主君はともて愛らしく思えた。

嫌われてるものだとばかり思っていたけど、どうもこの若い主君は、気になる相手にはまるで幼子のように意地悪をしてしまうみたいだった。その意地悪も度が過ぎるけど。


しかも重度の焼きもち焼きときた。
奥州を束ねる龍は恐ろしくもあるけれど、このように愛らしい反面を持っていることは私だけの秘密にしておこう。

そんなことを考えて思わず笑ってしまう私に政宗様の瞳が鋭く妖しく光を宿す。

「笑ってんじゃねぇよ。真剣に言ってんだ」

なぞる様に私の身体の線を政宗様の指先が辿る。

「なかなかいいじゃねぇか…」

鼻を鳴らして笑うその瞳に身の危険を感ずれども、時すでに遅しというやつで…。

濡れて身体に張りついた湯着はすっかり透けきって素肌が見えていた。

「あの…政宗…さま…?」
「それとなく期待はしていたがな」
まるで夜空に浮かぶ眉月のように歪んだ口元を見て、改めてこの主の恐ろしさを知った。

「変態!!」
「Ha、何とでも言え。そんな生意気な口もきけねぇくらいに俺に溺れさせてやるからな」

主君に対して有るまじき発言。首を斬られても仕方ないというのに、今目の前に居る私の主君はそれを咎めるどころか、私の腰元に這わせた手が妖しい動きをとる。

私など政宗様の優位に立てるはずもなく、他に人のいないこの露天風呂で私はその言葉通り、龍に溺れ虜にされるのだけど…

結局は全部私を離さないための計算?


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