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□鳴り止まない心臓
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「もしかして、凛ちゃん!?」
「あぁ?」
誰だよ。コイツ。
俺のこと馴れ馴れしく"凛ちゃん"なんて呼びやがって。

「覚えてないかな?私、遥のねぇちゃんの伊紅」

「あっ!」

偶然の再会。

「ほんと見違えたよ。そんなにかっこよくなっちゃって」

にこにこ笑いながら話しかける伊紅は、俺の記憶の中にある伊紅よりも数段女らしくなっていた。

「鮫柄って聞いたけど水泳やってるの?」
「まぁ」
「はるとは仲良くやってる?」
「さぁ」
「ふ〜ん、何か相変わらずね」

買い物帰りだと言う伊紅は両手にスーパーの袋を持っていた。
方向全然違うけど、あまりにも重そうだったし、再会ついでに何か会話も弾めばと思って、荷物を持ってやった。

「優しいね、凛ちゃん」
「ったく、何でちゃん付けなんだよ」
「昔っからそうでしょ」

伊紅ははると姉弟なだけあって外見こそ似ているが中身は全くの正反対。よく喋るし、よく笑って、感情を表に出す人だった。

そして今も昔も変わらず俺の憧れの人。

「で、そっちは何してるんだ?」
「大学生、今は夏休みだし、はるも一人心配だから帰ってきてるんだけどね」
「心配って」
「主に食生活がね…」
「あぁ、」

「女子大生が夏休み里帰りって、彼氏は?」
もし俺の入る余地があればと少し踏み込んでみた。
「あー、別れた」
急に立ち止まり、空を見上げて、妙な間を作って、大して傷ついていませんよと言うかのように答えた。

「わりぃ」
「いいよ、別に。終わったことだし…てかね、浮気するんだよー。何回されたか分かんないよ」

入る余地どころか俺は地雷を踏んでしまった。

「…わりぃ」
「もういいって言ってんでしょー。何回も謝らないでよー。惨めになるじゃない。泣いちゃうよ」
「泣いたら、俺が慰めてやる」
「やっだー、凛ちゃんたらオトコマエ」
「だからちゃん付けで呼ぶな」
「凛ちゃんは凛ちゃんなの」
そうやって俺をからかって、俺をガキ扱いするんだよな。伊紅は。

そんな会話を続けて、気づけば七瀬家に上がって台所まで荷物を運んでいた。
「暑いのにありがと、冷たいお茶出すね」
「いや、もう帰るから」
「はるなら居ないよ」

アイツがいると確かにこの家に上がるのは気が引けるが、それよりも伊紅と二人きりの空間が耐えられそうになかった。

「何なら夕飯食べてく?」
「それこそ…」
男を家に上げてどれだけ危機感のないヤツだ。

「えっ?」
居間に座っている俺に冷えたお茶を差し出す伊紅。
俺の顔を覗き込んで「いいでしょ」と言わんばかりの微笑みを見せるのは少々タチが悪い。


「あのさっ」

グラスから離れた手を掴んで、伊紅の身体をそのまま畳に押し倒した。

「あれ、私このまま獲って食べられちゃうの?」
なんて呑気な声。

「男、家に連れ込んで、誰もいないとか、夕飯食べてけだの、誘ってる以外に何があんだよ」
「男って…凛ちゃんは男っていうか弟みたいな…」
「俺だって男だっ」
俺は前から意識していたのに、伊紅には始めから眼中になかったことが悔しい。
思わず唇を噛み締めた。

「ごめんね…」
俺の頬に伸びてきた白い手。
優しい伊紅の瞳。

「そうだよね、もう小学生の頃とは違うもんね…」
「当たり前だろ」
伊紅をじっと見ていられなくて目を逸らしてしまった。
「ダメ、ちゃんと見て」

押し倒してがっついてりゃガキと一緒だ。かと言ってこのままってわけにもいかない。

伊紅より優位な体勢なはずなのに、伊紅には敵わない。
これが三つの年の差なんだろうか。どうしたら埋まるんだよ。

やっぱり俺はあの頃と何も変わらないガキってことか…

「私のこと慰めてくれるんでしょ」
「そ、それは泣いたら…なっ」

「凛…」

そう呼ばれて伊紅に視線を戻してみれば今にも泣きそうなほど瞳が揺れていた。
「…チッ」
エラそうなこと言って置いて、後にも引けず、前にも進めずにいる情けない俺自身に苛立ってしまう。

「…ごめん、凛のこと誘って困らせて…」
「お、俺、年下だし伊紅からすれば頼りねーかも知れねぇけど、伊紅のこと泣かせねぇ自信はあるっ!!」
俺だったら伊紅にこんな悲しい顔させない。
ガキが何言ってんだって思われるかもしれないけど、伊紅に本気だから、だから、絶対にっ、

何度も目を瞬きさせて伊紅は俺の顔を凝視した。

「ありがとう」
優しく笑みを浮かべ、伊紅は俺の身体を避けて起き上がる。
このままうやむやになって逃げられそうで、機会を逃しそうで、つい叫んでしまった。

「俺は伊紅が好きだっ!だ、だから付き合わないかっ!」
「…あ、えっと…私で、よければ……」

嬉しさのあまり顔がニヤけるのを隠せなかった。

「どうする?夕ごはん食べて帰る?」
「いや、遠慮しとく…」
もう少し伊紅と一緒にいたい気持ちはあったけど、何より寮に戻らないといけない。

「そっか、じゃぁまた今度ね」
これ以上一緒にいたら自制が効かなくなる。

「まだ、こっちにいるんだろ」
「しばらくはね」
「じゃぁまた来る」
「うん」

玄関まで送り出してくれる伊紅に「じゃぁ」と別れを告げた。
「あっ」
「えっ?」
思い出しかのように伊紅は俺に駆け寄り、背伸びして唇を重ねる。
ちゅっと短いキスの間に唇を舐められた感触。

「じゃぁね、バイバイ」
笑顔で俺に手を振る伊紅。
俺はというと、平然を装うのに必死でぶっきらぼうに「またな」と言うのが精一杯だった。
かっこわりぃ。





「松岡先輩。何か顔赤いですよ?」
「何でもない」
「熱でもあるんじゃないですか?」
「大丈夫だ」
「風邪だったら大変ですよ」
「大丈夫だって言ってんだろー。もう寝る」
「えー、松岡せんぱーい」

寮じゃなかったら、はるも帰ってこなかったら、あのままどうなってたんだ俺たちは。



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