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□溺れもがくイルカ
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だから言ったのに。無理して背伸びした結果がこれだ。
だから言ったのに。泣きを見るのは始めから分かりきっていた。
だらか言ったのに。本気にした方が悪いに決まってる。

だから言ったのに。

「姉ちゃんには似合わない」

って。


ぶくぶくと水の中に身体を沈めて平静を保つ。
水に心を寄せ、水を感じるだけ。
そうすれば何もかも考えなくてすむ。心を乱す何もかもが泡となって消えてしまう。
無音に包まれ、思考を停止させれば、燻った感情さえなかったかのように消えて泡になる。



いつの間に帰ってきたのか、姉の姿が居間にあった。
酷く弱々しい笑顔を取り繕って「ただいま」と、濡れた髪を拭く俺に告げる。
「…おかえり」
「大学夏休みだから帰ってきちゃった」
「…」
へへと、それでも必死に笑顔を作る。

帰ってきた本当の理由なんてすぐに見当がつく。
これで何度目だ。

「はる…」
俺に駆け寄り、抱きついて、涙を流す。
長い髪が揺れて、姉の…伊紅の甘い匂いが鼻をくすぐる。
勢いがついた反動で座り込んでしまうが、拒む理由もなく伊紅の細い身体を抱きしめた。

「また?」
俺の胸に埋まったままの頭が「うん」と縦に揺れた。
やっぱり、と思いながらも宥めるように艶やかな髪を何度も撫でてやる。

失恋。

新しい彼氏と言われるたび、いつも思う。"姉ちゃんには似合わない"と。
泣かされる羽目になるのは目に見えているのに、伊紅はいつも「彼が一番」だと幸せそうな顔をする。
そしていつの間にか裏切られて俺のところに戻ってくる。
似合わないとは言っても止めろとは言わない。

結果を知っているから。

泣きたいだけ泣けばいい。
いつでも俺を頼ればいい。

「はるは…優しいね…」
俺の胸で涙混じりの声が呟く。
熱い吐息に胸が波立つ。
「姉ちゃんだから…」

何度も荒波に飲み込まれ、地上を求めてもがき苦しんだ。だがそれも時が来れば凪がやってきて穏やかな水面に戻る。
だから今日もそっと鎮まるのを待つ、だけ。

ひとしきり泣き終え、震える背中を摩ってやっていると、いつの間にか伊紅は寝息を立てていた。

「…伊紅」

頬に伝う涙をぬぐってやり、細く白い肩口に唇を寄せた。


どうせまた懲りもせず、新しい誰かを見つけるんだろう。

それでも構わない。


最後はいつも俺の胸に戻ってくるから。

だから構わない。




息もできず溺れるようにもがくだけ。見上げた空の煌く色に手を伸ばす。


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