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□09:見送る男
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何度泣かせたか分らない。
それでもアキヲは「ごめんね」と「ありがとう」を俺に繰り返していた。
都合のいい話だと思うが、俺はアイツもアキヲも大切にしている。
週に1度あるかないか。
慣れたように部屋に上がり、夕飯を作り、身体を重ねる。
そんな関係を続けていた。
「良則君、ありがとうね」
この笑顔は俺だけに向けられている。
「いつもそれだな」
「そう?でも良則君には感謝してる。ご飯作ってもらって」
「メシだけの男かよ」
「へへへ、私の支えだよー」
ぎゅっと俺の胸元に顔を埋めて笑う。
ベッドの中で二人寄り添いながらそんな他愛もない会話を繰り返す。
でも気付いていた。
いつも俺の胸元が少し濡れているのを。
精一杯の笑顔を作っていることも。
*
「…後藤さん、それで、この件なんですけど…」
「それでいいんじゃないかな」
アキヲとGMが会話している姿が目に付いた。
俺の目には仲が良さそうに映る。
仕事の話をしているのだろうけど、アキヲの表情は柔らかく、俺の前で見せる顔とはまた違っていた。
ひとしきり話を終えたアキヲがこちらに向かってくる。
「今夜いいか?」
「ごめんねっ」
すれ違いざまに尋ねてみれば、あっさりと断られた。
ヒールを鳴らせて過ぎ去る背中を見れば、また細くなっているような気がした。
このごろ断られることが多くなった。
よくよく思い返せば、俺から誘う事はあってもアキヲから誘う事は未だかつてない。
「ねぇ今夜、大丈夫?」
「あぁ…いいけど」
それが夏の中断期間を目前にした頃だった。
急にそんなことを言われて驚いた。
「ウチでいい?」
「あぁ」
「付き合おう」とかそれらしき言葉を伝えたことはなかったが、合鍵だけはしっかりと渡されていた。
もちろん自宅に持ち帰ることはなく、クラブのロッカーに置いてあるのだが。
練習後の自主トレを早々に切り上げ、1シャワーで汗を流して、久々にアキヲのマンションへ向かう。
クラブハウスで顔を合わせたり、他の選手も交えてだが、食堂で昼を共にすることはあった。
けれど、こうやってアキヲの部屋へ上がるのは久しぶりだった。
シーズンが開幕してから、ここへ来たのは片手で足りるほど。
先にスーパーに立ち寄った俺が、夕飯の支度をする。
勝手も分っている。久々とは言え、慣れたものだった。
しばらくしてガチャリと玄関のドアが開く。
「お帰り…」
「うん、ただいま」
気恥かしそうに答えるアキヲも変わっていない。
「ありがと、また夕ご飯までしてもらっちゃって」
「自炊してないんだろ。また倒れられたら迷惑だから気にするな」
「へへ、良則君らしいね」
昼間のスーツから、ラフなTシャツと短パンに着替えたアキヲは、キッチンを覗きこむ。
「今日は冷しゃぶだ」
「絶対、自分で作らないやー」
「だろうな」
「勘違いしないで、自分で作る気がないだけ。その気になれば…」
「わーった、わーった。そっちで待っとけ」
こんな冗談も、普段のアキヲを見るのが久々で新鮮に感じた。
二人分をアキヲの待つ、ソファの前のテーブルに並べる。
「おいしそー、いただきます」
「お前、また痩せてるだろ。しっかり食って太れ」
「痩せてるのバレた?」
「見りゃ分る」
「ただ夏バテだよ」
「甘く見るなよ。だからぶっ倒れんだ」
「はいはい」
適当に俺をあしらってアキヲは箸を口元へ。
「なぁ、俺明日からキャンプなんだけど」
「うん知ってる」
「こっちに来れないのか?」
「手伝いも言われてないし、多分行かないと思うよ」
「そうか…」
「可愛い奥さんに差し入れしに来てもらいなよ」
自虐的な一言。
そう発したアキヲはサラダを食べながら俺と目を合わそうとしない。
「何だ、それ」
アキヲの態度に苛立った。
俺は投げ捨てるように箸を置くと、アキヲの身体をこちらに向ける。
「何怒ってるの?」
「どうしてお前はそう言う事を言うんだ?」
「だって良則君、奥さん居るんだよ」
「分ってる、分ってるけど、俺はアキヲの事もっ…」
「私は良則君みたいに器用じゃないし、割り切れない」
別に俺だって割り切れている訳じゃない。
家に帰ってアイツの顔を見る度に心が痛むのは事実だ。
「ねぇ、良則君…こんな関係…もう止めよう」
「えっ…?」
俺の理解の範疇を超えた。
「今ならまだ何とかなるかなって。良則君と奥さんが仲良くいられるんじゃないかなって」
アキヲは泣きながら俺との終わりを告げる。
「良則君の奥さんを傷つけたり、苦しめたりするのって違うと思うの。勝手だけど…」
また俺はアキヲを泣かせた。
俺とアキヲの関係は誰も幸せになれない。
それどころか、アキヲを傷つけている。
「ごめんね」
そしてアキヲは涙をぬぐい謝った。
「俺の方こそ…」
「いっぱい、いっぱいありがとうね…堺くん」
最後の晩餐。アキヲの笑顔を初めて見た。
*
2年後、ETU夏キャンプ。
珍しく結城の姿がそこにあった。
「急に呼び出さないでください」
「クラブハウス戻ってたんだろ」
ジャージ姿の面々とは対照的なスーツ姿の結城。
「クラブハウス戻っても仕事あるんですっ。てか何でそんな格好なんですか、達海さん」
「うん、俺今はミスターTだから」
大学側のジャージに身を包んだ監督の元へ現れ、唇を尖らせ文句を言っていた。
「もう何でもいいですけど、持ってきましたよ」
「だからミスターTって言ってるじゃん」
「そんなの知らないです」
結城は封筒を監督に渡していた。
「ちゃんと押しといて下さいね」
「わーったよ、明日取りに来て」
「自分で出してくださいよっ」
俺がそれが何かを詮索する必要なんてないが、小言を言いながらも結城はどこか楽しげで、贅沢にも監督が羨ましく思えた。
きっと俺にはそんな顔させることなんてできない。
立ち去る結城の背が眩しくて目を細めた。
真夏の太陽はジリジリと妬けつくように暑く痛い。