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□ 強引に手繰り寄せた感情
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コン、コン

俺の部屋をノックする音に飛び起きた。どうやら本気で寝ていたようで、窓の外は陽が落ち始めていた。

「江か?」
「私…開けていい?」
「あぁ」

遠慮がちに開くドアからそっと伊紅が顔を覗かせる。

「江ちゃん…寝ちゃったから帰るね」
「何だそれ」
「勉強はちゃんとやってたんだけど、疲れてるみたいでね…あ、起こさないであげて」
「あぁ分かったよ」
「じゃぁ…」
そう言いながらドアを閉めようとする伊紅を制止した。
「危ないから送って行ってやるよ」
「いい、気にしないで」
「コンビニ行きたいし…ついでだ」
「あっそ」
遠慮するというか嫌がる伊紅を半ば強引に納得させて俺と伊紅は家を出た。

伊紅よりも俺の歩幅の方が大きく並行して歩いていても自然と差が開いてくる。それは当然のことなんだが、よく見てみると伊紅は周りを見ながらフラフラと非常にゆったりとした足取りで進んでいた。

「おっせーな、早く来いよ」
立ち止まり、数メートル後ろの長く伸びた影に声をかける。自分から送って行くと言い出しておいて勝手だが腹が立つ。
「いいよ、ゆっくり帰りたいから」
すると伊紅の長い影も止まり、俺との距離は縮まらない。
「はぁ、何だよ。俺と並んで歩くの嫌なのかよ」
「どうせコンビニ行くんでしょ」
伊紅はすぐ目の前にあるコンビニを顎で指して言う。
その態度に少し苛立った俺は、頭を掻きながら無駄な後戻りした。
「送って行くって言ってんだろ」
「頼んでないよ…」
ぽつりと呟いて伊紅は俺から目を逸らすと、夕陽色の波打ち際に視線を移した。
潮風が伊紅の髪を撫で揺らす。

「私に構わないでって言ったらどうする?」
「あの時のことっ…」
やっぱり、気にしてたのか。
「最近あの時のこと事情聞いて…別に気にはしてないんだけど…」
「だけど?」
「でも今はほんとに構わないでほしいかな…そんな感じ」
見たことないほど伊紅が悲しく笑った。

「何だよそれ」
「複雑な家庭環境っていうやつ」
ハハっと伊紅は空笑う。これ以上は伊紅の傷を抉るようで触れられない。

「凛が気にするようなことじゃないでしょ。それにこれから行くとこあるし、ほんと大丈夫だから凛は先に帰って」
「どこ行くんだ?」
そんなふうに言われていい気はしない。
「……はるん家」
「こんな時間からか?」
思わず眉間に皺が寄る。
ひと呼吸間を置いて伊紅が渋々口を開いた。

「もうずっと、何年も前から、ウチの両親の仲がギクシャクして二人共家開けるようになってから…私が一人ぼっちで泣いてたらはるが『寂しいなら家へ来ればいい』って言ってくれて、それから頻繁にはるん家行くようになったの…だから今夜も…」

「……お前ら付き合ってるのか?」
「そういう関係じゃない…」
俺の目を見ようともせず、何かやましい事でもあるかのように目を逸らす伊紅に腹が立った。
「じゃぁ、どういう関係だよっ」
刺々しくなる口調に伊紅も不快感を顕にする。
「凛には関係ない」

確かにそうだ。俺には関係ない。伊紅が頻繁にはるの家に出入りしていようが、二人が付き合っていようが、ましてや何をしていようが俺には関係ない。

「じゃぁね、ありがと送ってくれて」
スカートの裾を翻し伊紅は笑って手を振った。

遠ざかる後ろを見つめる。

悔しくて唇を噛んだ。

橙と黒の狭間に紛れて見えなくなる背中。

「伊紅っ!」

消える前に、はるのところへ行く前に、追いかけて、呼び止めた。

「何、どうしたの?そんな怖い顔して」

「行くぞ」
「どこへ?」
「俺ん家」

伊紅の腕を引いて歩き出す俺。伊紅は訳も分からず困惑している。

「何で、はるん家行くって言ってんじゃん」
「俺ん家来いって言ってんだよっ」
「はぁ、意味分かんない」
確かに伊紅の言う通りだ。俺自身もよく理解できていない。

はるに負けたくないから?
はるに伊紅を取られたくないから?

違う、はるは関係ない。

俺は伊紅を…


伊紅の腕を掴んだまま、元来た道をさっきよりずいぶん早いペースで戻った。
階段を上がり、俺の部屋へ。
招き入れるというよりも、連れ込むという表現の方がしっくりくるほど強引に、腕を引っ張り、背を押した。

「俺が居てやるよ、伊紅のそばに。だからはるんとこなんか行くな」
解かれた腕を摩りながら伊紅が俺を睨む。
「何それ。私がどうこうっていうより、単にはるに負けたくないだけでしょ」
「…確かにはるには負けたくねぇ、伊紅がはるのとこに行くのが気に入らない。それに…」
「それに?」

言葉に詰まる。

「伊紅が好きだっ」
「はっ?」

きょとんとした顔で俺を見る。

「凛は私のこと嫌いでしょ?」

思い切って告白してみれば思いもよらない返答というか疑問が返ってきた。

「俺そんなこと言ってねぇ…」
「俺に構うな、消えろってあの時言ったから…てっきり嫌われてるのかと思ってた」
「はぁ、俺そこまで酷いこと言った覚えはねぇよ」

「言った」
「言ってねぇ」
「言った」
「言ってねぇ」
「言った」
終わりのない平行線の押し問答につい苛立つ。
じりじりと近寄り、後ずさる伊紅に影を落とす。

ベッドの淵に足を引っ掛けた伊紅がそのまま俺のベッドに背中から倒れ込んだ。
ふわりと俺のベッドの上に伊紅の長い髪が広がると耳たぶに青い目のシルバーのイルカが光る。
さっき江が言ってたやつか。
「…言ってねぇっつてんだろ」
そのままベッドに体重をかけて伊紅との距離を詰める。

「言っ…」

何度も何度も俺の言葉を否定する伊紅の口を塞いだ。

「…言ったとしても、嘘だ」
「好きってことが?」

どうして伊紅には俺の言葉が通じないんだ。
キスしておいてこっちが恥ずかしくなる。された伊紅は赤くなるどころか、何食わぬ顔で俺の顔を見ている。

「違う、伊紅のことは好きだ、昔からっ。だから絶対に消えろとか言ってねぇ」
無言で俺の顔を見つめる伊紅。表情が読めない。
ベッドに押し倒して、キスまでしておいて、この奇妙な沈黙。とてもじゃないが耐えられない。

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