書斎
□戯れ事
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いつも怠そうに頬杖を付き、気怠い声で判決を告げる上司は珍しく、真剣な表情をしていた。
「やぁ、太子…いらっしゃい。妹(いも)ちゃんと良い別れは出来た?」
手を組み、そう問い掛ける大王に青いジャージ姿の痩せた男は苦笑で答える。
「さぁな、私もまさか死ぬとは思ってなかったし…まぁ、あの芋なら何とか乗り越えるだろ」
心配はしてないでおま、と気の抜けるような調子で言って、黒々とした瞳で大王を見返す。
ただの獄卒に過ぎない僕にも、この人間の魂の清らかさは充分に伝わってくる。
きっと彼はこの清廉な魂のまま、数多の輪廻を廻ってきたのだろう。
「なぁ、妹子は長生きする?」
「何?待ちきれない?」
悪戯っぽく尋ねる大王に相手は「まさか」と首を横に振る。
「あんな口煩くて暴力的な部下から解放されて清々してるんだ。アイツには目一杯長生きして貰わなきゃ困る」
それは果たして本心か、僕には分からなかったが彼の声はとても穏やかなものだった。
「やっぱり太子はオレが思ってた通りのコだね…。安心しなよ、妹ちゃんは長生きして孫と息子夫婦に看取られながら亡くなるよ」
閻魔帳の中身を死人に明かすのは本当は御法度であるが、大目に見よう。
「ハハ…妹子の奴、五位の分際で孫まで作るのか。妹子に似て生意気になりそうだなぁ」
カラカラと明朗に笑い、男はうっすらと浮かんだ涙を長袖で拭った。
「有難う。もう思い残すことはないでおま。で、私の行く先は」
「勿論、天国だよ。おめでとう、良い人生だったね」
血のように赤い瞳は見ようによっては酷く冷たい印象を与えるが、今はまるで燃える火のように力強く温かだった。
このどうしようもない男が閻魔大王たる由縁は、こういうところにあるのかもしれないとぼんやり考える。
男−聖徳太子はもう何も言わず、天国への階段を一歩一歩踏み締めてゆく。
その背中には少しの未練も無念もなかった。
彼は本当に良い人生を送ったのだろう。
パタン、と扉の閉まる音の後、大王は小さく溜息を漏らした。
「あ〜ぁ、残された妹ちゃんが可哀相だな」
あんなイイコを失ったんじゃ、人生もつまんないだろうね、と感慨深げに呟く。
気持ちは分かるがいちいち感情移入していたのではキリがない。
冷たいようだが割り切ることも覚えなければ。
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