書斎
□貴方の紡ぐ世界
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時は晩秋。
抜けるように高く青い空を見上げながら、僕は洗濯をしていた。
桶に溜めた水は冷たく、手がジンジンとしてくるが、我慢出来ない程ではない。
今、縁側に座ってボンヤリとしている師に触らせようものなら「冷たっ!?」と大袈裟に驚くだろうことは間違いないが。
チチチ、鵯の鳴く声を耳にしつつ、洗濯板に布地を擦りつけていると、聞き慣れた穏やかな声が鼓膜を震わせる。
五、七、五の十七音。
たったそれだけに集約された圧倒的な世界観に、鳥肌が立った。
僕は洗濯物を絞るのももどかしく、桶の中に投げ捨てるようにして、童子のような男の元へと駆け寄る。
「芭蕉さん、今の…」
突然走り寄ってきた僕に彼はキョトンとした後、照れ臭そうにはにかんだ。
「曽良君、聞いてたんだ…なかなかいい句だと思わない?」
なかなか、だなんてとんでもない。
彼の数ある名句の中でも鮮やかな色彩を放つ傑作だ。
「紙と筆を取って来ます」
普段なら梃子でも動かない僕が、自ら進んで紙と筆を取りに行くなどと言い出すものだから、相手は若干気味が悪そうな顔をしている。
僕はお構いなしに家へと上がり、机の上から紙と硯と筆を取って、縁側へと急いだ。
早く書き付けて欲しい。
あの人の目に映った輝かしい世界を。
「芭蕉さん、どうぞ」
差し出された物を素直に受け取った彼は、筆を構え、ゆっくりと紙の上に滑らせた。
「…よし、出来た」
どう?と問うてくるキラキラした眼。
「もう一度、詠み上げて貰えませんか?」
「えへへ、照れるなぁ… 」
彼の唇から綺羅星のような言葉がこぼれ落ちる。
嗚呼、なんて美しい。
「いい句ですね、芭蕉さん」
本当はもっと彼の句の良さを褒めたたえたかったが、賛美すると返って嘘臭くなる気がして、止めた。
「曽良君に褒めて貰うと、自信湧いちゃうなぁ」
飾らない僕の言葉に頬を染め、目を細める貴方にはこのくらいで調度良いのかもしれない。
「…お茶でも淹れます。後少しで洗濯が終わりますから、待って下さい」
「曽良君が優し過ぎて、なんか怖い…」
後でとんでもない不幸が起こりそう、なんて失礼なことを呟いた師に、軽く手刀をお見舞いし、僕は作業へと戻った。
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