群雄繚乱
□胡蝶之夢
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さて、時は少し流れ行く。
蝮がその牙をちらつかせ、虎と軍神は己の正当性を誇示しあう。そんな、そんなある日の事である。
帰蝶14歳の年、彼女は稲葉山の庭で幼馴染であり、従兄弟でもある明智光秀と会っていた。
「久しぶりね、光秀。」
華麗という言葉が良く似合う、年の割には落ち着いた雰囲気の少女が口を開く。
「私を呼び出したのは貴女でしょう…何です、帰蝶?用というのは。」
こちらは美麗、妖艶といった言葉が似つかわしい、若い青年だ。
「ああ…ね、光秀。私たちこうやって会うの何年ぶりかしら?」
「さあ…4,5年ぶりでしょうかねぇ…」
青年は長く伸びた髪を耳にかける。
「別れる際、貴女が切るなと言ったから髪を伸ばしたんですよ。お忘れですか?」
クククッと喉の奥で青年は低く笑った。
「あら、だからそんなにも長かったの。今、そのことを思い出したわ。あなたも律儀ね。」
少女も艶やかに笑った。ああ、と光秀は思う。しばらくぶりに会ったが、幼い頃と変わらず、帰蝶の笑顔は美しい。光秀は彼女といるだけで満ち足りた心になる。
「で、話なのだけれど…」
少し目を伏せ、城下を見下ろす。
少女は一呼吸置き、
「光秀。私、結婚が決まったの。」
ただ、小さくそれだけ呟いた。
一瞬、長髪の青年には時間が止まったように感じられた。
少女の風になびく髪も、羽ばたく鳥も、何もかもの。
光秀は震える自身を押さえ込み、
「…今、なんと?貴女はまだ、14ではないですか…?」
声がわずかに上ずる。
青年は、否定したかった。理由は彼自身にも分からなかったが。ただ、目の前の現実は嘘だと思い込みたかった。
彼の願いは叶うことはないのだが…
「別に…珍しい事でも何でもないでしょうに…織田の、信長とかいう、うつけ者らしいけど。」
少女は普段の調子で語る。
光秀は改めて目の前の少女を凝視した。
彼女は斎藤家の一人娘。
政略結婚で織田と手を結ぶのは悪くない。
斎藤家の繁栄を望むなら喜ばしい事ではないか。
光秀は理屈っぽい事を自分に言い聞かせ、無理やり納得する。
「織田…ですか。よかったですねぇ、祝福しますよ。帰蝶。」
光秀も何とか普段の調子で語りかける。
帰蝶にこの得体の知れぬ動揺を悟れたくはなかった。
「ああ、有難うございます。わざわざ私にそれを伝えてくださって。安心してください?丁重に祝わせて頂きます。何しろ貴女の貴重な門出だ。おめでとうございます。」
少し皮肉めいた言葉しか出ない自分に、光秀は苛立った。心から祝福すべきはずなのに。
それを聞いた帰蝶は、一瞬目を見開き、
「そう…。有難う。光秀。」
そういうと、足早にその場を去った。
「っ!帰蝶?」
光秀は急に立ち去る帰蝶に驚き、追いかけようとする。
しかし、すぐに自分は追いかけた所で何もできないと気づく。
庭に残されたのは、光秀と、帰蝶が先ほどまで立っていた場所に伸ばされた光秀自身の手。
彼は自分でも気づかないうちに、帰蝶に手を伸ばしていたらしい。
「…私は、いったい何を手に入れたかったというのでしょう…」
空を掴んだ手を凝視する。
その疑問に対する答えは返ってくるはずもなく、ただ綺麗な蝶が庭を舞い続けているだけだった。