PEDAL


□Day by Day
1ページ/2ページ



 ケータイの目覚ましをとめて二度寝を決め込むより先に“おかしい”と思うようになったのは果たして、いつからなのか。
 鼻腔をくすぐる違和感に自己嫌悪しながら布団に潜った。眠気などとうに覚めている。ただ束の間でも現実から目を背けたかった、それだけのことだ。


 大学生になったのを期にひとり暮らしを始めたのは、もう少しだけちゃんとするためだった。
 低血圧で朝起きられなかったり、それなのにパソコンやテレビを見だしたらついつい夜ふかししてしまうところ。面倒くさいことを後回しにしてしまうところ。自分は家のことを何もしていないくせに、与えられるものに文句を垂れるところ。他人の立場になってものを考えられないところ。考えることをすぐ放棄してしまうところ。

 そういう、数え上げればきりがない私の幼稚な部分、理性のなさに自分自身嫌気がさしていた。いつも楽な方へと流されてしまう自分を何とかしないといけないと焦って、こんな決断を下したのだ。


 幼少からの思い出に溢れた場所を離れ、最低限の物だけに囲まれた新しい生活をすれば自然と自立するのだと信じて家を出た。なのに私の部屋には別れを告げたはずの大きなテディベアが鎮座ましましてるわ、台所には買った覚えのない調味料や食器が増えているわ――このベッドシーツだって少しくすんだ柔らかいピンク色の地にいいアクセントになる色で柄が入っていて、嫌いなわけじゃなくむしろドがつくほどストライクで私好みではあるんだけど、理想としてはもっと暗色というか、私は落ち着いた色合いでこのワンルームを統一したかったのに。

 そうだ、全体的にもっと大人になりたかった。そのために髪を短くしたのだし、クローゼットにもシンプルなもの以外新しく入れないようにしている。ピアスも開けた。化粧も覚えた。ナチュラルメイクというのか、少しでも自分の印象をよくして、様々な人間関係を築こうとしている私なりの努力じゃないか。二度寝から慌てて目覚め、その慣れない化粧に時間をとられて朝ごはんがインスタントコーヒーだけになったって、自分としては一向に構わなかったのに、どうして。

 うう、と唸ってから私はがばりと勢いよく起き上がり、布団を撥ね除けた。


「どうして! お出汁の! いい匂いがしてるの!!」
「おっ、起きたのか千佳。今日もいい朝だな、おはよう」
「よくない! そんなカッコで何やってんのよ尽八!!」


 むぅ? と眉をひそめる尽八の片手にはおたまが握られている。割烹着が恐ろしいほど馴染む男も彼の他にいないだろう。しかし私は何も尽八が割烹着を着こなしていることに不満があるわけではない。どうして彼が当たり前のように私の部屋に上がり込んで当たり前のように私の台所を使って当たり前のように煮干しから出汁をとってお味噌汁を作っているのか、それが甚だ疑問なのである。


「何って、いつもと同じだろう。朝メシを作っているんだ」
「いらない! コーヒーだけで充分!」
「そんなワケないだろう。朝を抜くと、1日元気に過ごせんぞ?」

 つい最近までは足の踏み場もなかったはずの床はいつの間にかきれいに片されてしまったから、尽八は真っ直ぐに私のベッドに歩み寄ってくる。
 ああ、起き抜けで大声を出したものだから頭ががんがんする。体育座りで膝を抱え込みそこに顔を埋めたら私の背後、ベッドの枕元に腰掛け、私の頭をさらりと撫でてふっと笑う尽八。彼と交わすそんな全てのやり取りがもう嫌で嫌で、いっそ泣き出したいほどだ。


「どうした? 外はこんなにいい天気なのに何が不満なんだ、千佳」
「…尽八がここにいるのがいやなの」
「オレか? それは聞き捨てならんな。どうして嫌なんだ?」


 尽八は私とふたりきりだと、外でいるときみたいに大きな声を出したりはしない。脅かさないように、言い含めるように。まるで子をあやすような声で話す。それが全くもって面白くない。いくら幼馴染で数ヶ月早く産まれているからといって、兄のように振舞われるのはうんざりだ。周りからも兄妹みたいに思われているのが心外であるし、傍にいるのがさも当前かのごとく思われているのが遺憾なのだ。

 私は尽八と別個の、そして対等の立場でいたいのに、本人を含めた誰も彼もそれを許してはくれない。


「千佳を守るのがオレの務めだからな。何かあればこの部屋の鍵を託してくださったお義父さんとお義母さんに申し訳がたたんだろう」


 答えない私に対してどう思ったのかは分からないが、私の項に唇を落として尽八はそう言った。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ