PEDAL
□身勝手な人間ばかり
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頭上で青々とした葉を揺らせているのは、確か桜の木だったはずだ。さすがに3年目ともなれば、ここに咲いている花が何だったのかくらいは憶えているらしい。
その白い花が散ってからまだ1ヶ月と経っていない昼休みの裏庭で、オレは千佳を待っていた。2限が終わった休み時間に送られてきた、今日の昼メシを一緒に食ってほしいという唐突な内容のメールを二つ返事で承諾したのにはそれなりのワケがある。
弁当箱の入った小さな鞄片手に現れた千佳はそれとは反対の手を上げ、「やほー」と慣れ親しんだそんな挨拶をして大股でこちらに向かってくる。千佳が傍に腰を下ろすのが早いか、オレは口を開いた。
「何があった」
「えっ?」
普段より数割増しにキツい言い方だったせいか、千佳は戸惑ったように顔を上げた。目が合ったが、すぐに逸らされた。
「あ、いや、…あのさ、来てくれてありがとう。ごめんね、こんな事に、」
「何があったって聞いてンだよ」
弁当箱を取り出しながら早口で喋りだした千佳に今度こそキツく言う。一瞬手を止めたものの、再び昼メシを食う支度の続きに戻った千佳は目を伏せたまま呟いた。
「言わなくても分かってんでしょ? ほんっとにイヤミだな、靖友は…」
寿一と違って。と、どこを見ているのかも分からないその眼がオレに語りかけていた。
千佳がこの時間帯をオレと過ごしているのは大きな“間違い”だ。“正しくは”福ちゃんとふたりで食堂だか教室だか学校内のどっかしら一緒にいて、メシを食ってる。
今日に限ってそうじゃねェ理由――千佳がオレを誘った理由なんて、ひとつしかない。
「理由は。福チャン何つってた」
「…両立、できないからって」
「ンなことでか」
「んなことって。同じように自転車に乗ってる靖友が言っていいセリフじゃないでしょ」
「ンなことだよ、バァカ」
「…寿一が大変なのは、靖友が一番知ってるくせに」
はは、と声を漏らして、千佳は笑いたかったらしいが、今にも泣き出しそうな表情だった。そして張り倒したくなるようなそのツラで深みのある焦げ茶色の木の箸を差し出して、「ごめんね、これしかない」と言った。それはおそらく、いつも福ちゃんが使っていたもので悪い、って意味の謝罪だったんだと思う。
オレは無言で箸を受け取るや否や、弁当箱の中身にがっつき始めた。
きっと福ちゃんなら自然に、バカ正直に、おかずの見た目や味を褒めたりしていたんだろう。手を合わせて、イタダキマスもゴチソウサマも言っただろう。
対するオレは心の内で思うことがあったとしても何も言わない。つくづくサイテーな男だヨな。
オレだって、もし女だったら迷わず福ちゃんを選んでる。むしろ、その2人を比べる必要がどこにあるのかと疑問にすら抱いたはずだ。
「でもさ。もうずっと、何となく思ってたことだからいいんだよ」と、膝の上で箸を両手で握ったまま千佳は言った。
「去年のインターハイの頃から忙しくなって、秋に主将に任命されてからはもっと時間がなくなって。…それでもわたしは寿一となら大丈夫だろうって思ってたんだけどな。冬になったらメールの返事が遅くなりだして、会ってるときも上の空で、…ああ、もうだめになるかもしれないなって、ずっと…ずっと思ってたけど、自分から別れは切り出せなかったんだよ、ね」
「そりゃァ福ちゃんにベタ惚れだったしなオメー。千佳が毎朝ベントー作るホド女子になんのかヨ福ちゃんやっぱ最強だな、つって思ったぐれーだヨ」
「うるっさいなぁ…」
ジロリとオレを睨んで、千佳はようやくメシに手を付けた。千佳はもそもそと、大してうまくもなさそうに咀嚼して、まるで苦ェモンを喉に押し込むように飲み下す。
つかよォ、ンなツラしなくてもオメーのメシちゃんとうめぇヨ。マズいんだったらオレだってマズいっつってるだろ。こんなうめぇ弁当手放してまで自転車に専念してぇっつー福ちゃんの方がバカなんだよ。
確かにインハイの後から福ちゃんの様子はおかしかったけどヨ、オレはずっと落車の一件で何か引っかかってンだと思ってた。
福ちゃんは弱音なんてゼッテー吐かねぇって分かってはいるけど、こいつにも何の相談もしてなかったんだって悟ったら胸が苦しかった。
どっちもカワイソーだし、きっとどっちもオレに同情なんてされたかねぇだろうけど。
「靖友しか、こんなこと頼めるやつがいなくて。食堂に行きたくなかったんだ。ごめんね、こんな嫌な事に付き合わせて、って、さっき言いたかった」
「ハッ。メシ粗末にするよかマシだろ」
「…ワガママきいてくれて、ありがとう」
「ハァ? 礼とか言ってんじゃねーよ、千佳のクセにキモイっつの。ワガママなんて元々だろォがヨ」
「うん、知ってる。でも靖友がいなかったら私たぶん、ひとりでめそめそ泣いてたと思う。だから、ありがとう」
「うっぜ。要らんコトくっちゃべってねーで食えヨ。でねーと全部食っちまうぜオレ」
「…え、そんなにおいしい?」
「…フツーだっつの」
「ははっ、靖友から聞いた中で最高の褒め言葉だ!」
「っせ!」
ひとしきりオレを笑い飛ばしたあと、千佳は涙の伝った頬を手のひらで雑に拭った。そして、「ワガママついでにもうひとつ、いい?」とぎこちなく微笑んで言う。
「いつもみたいにさ、思いっきり頭を叩いてほしいんだ」
「ハァ?」
「そしたら私、元気になれると思うんだよ。…だめ?」
「頼まれたらその気なくすっつーの。慰めなら他あたればァ」
「…そっか。うん、いや、ごめん変なこと言って」
まァたそのツラかよ。思いっきり張り倒してェ。けど相手が福ちゃんなだけにできねーんだよ畜生。
何で福ちゃんなんだ。もっとクソみてーな男なら、オレが二度と女に手なんて出せねーくれぇ再起不能にしてヤンのに何で、こいつを泣かせるのが福ちゃんなんだ。
「ったァくよ! ンっとにしょーがねぇワガママチャンだヨてめーはァ!」
行き場のない怒りはうな垂れたその小さな頭上に落ちて、千佳は反射的に「ぐっ」といつものように唸った。それから。
「や…靖友?」
「頭叩かれたら元気出るって、Mかヨてめーわ」
「えっ、ちが……ふっ、はは…ありがと…」
「っせ、黙ってじっとしとけこのボケナス」
福ちゃんとオレなら即答で福ちゃんだし、コイツをこんなツラにしちまうのも福ちゃんだけだ。知ってる。
言わなくても分かれよって身勝手な言い訳してヘタレてやがるオレがダメなんだ。知ってる。
でもこんなときに一番に頼ってくれて嬉しいなんて、言っちまったらよ、それこそサイテーじゃねぇか。てめーにトコトンまでは嫌われたくねーんだヨな、オレもさすがによォ。
だからって「好かれたい」って、ゼータクは言わねー代わりにオレのワガママも聞いてヨ。
オレだって今までずっと千佳だけを見てたんだって、不器用にオメーの頭撫でてるこの手で、気付いてくんねーか。
( 20140423 // ワガママを言うのは決まって、哀しい人間か、救いようのない愚か者ばかりだ )