PEDAL


□柔らかい色の無い幸せな憧憬を語る宇宙人の骨音が響く部屋で
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 他の何にも喩えることのできないその奇妙奇天烈なかたちをした物体を不満げに見つめたあと、荒北靖友は「うっぜ」と一言悪態をついた。つくづく人類の発明は不格好だ、と思う。どんなに画期的な機能を備えていようと、どれほど時代の最先端と謳われようと、ダサいものはダサい。
 繰り返し目にすることによって定着してしまっているだけで、シーソーでも受話器でもシュノーケルでも掃除機でも、身の回りにあるものを今一度改めて考えてみてほしい。異常な形貌だとは思わないだろうか? そしてそれらを僅かな戸惑いも、ましてや躊躇いもなく、むしろ真面目くさった顔で使う人間の姿の何と間の抜けたこと。更には嬉々として活用している場合など、最早目も当てられないほどに滑稽である。
 彼がロードレースを始めるより前に自転車に対し抱いていたのはそういう蔑視感だったのかもしれない。だがしかし彼は、歩くよりもっと速く移動するために創られた自転車がいつしか速さを追い求めてより細く軽く進化したロードレーサーに跨っている自分を、それほど嫌ってはいなかった。同様に、音の振動をより鮮明に美しく再現しようと進化してきたこのヘッドフォンを被っている知古千佳のことも、それほど嫌っているわけではなかった。

 その異形の代物に始まり彼女の顔面上を彷徨っていた彼の焦点は他より格段に薄い皮膚に留まった。
 全神経を鼓膜に集中させんとばかりに目を瞑った彼女の、闇に浮かぶ景色を眺めるようにゆったりと動く眼球をその奥に隠した目蓋には青紫とも緑ともつかない細やかな線が通っている。普段は気恥ずかしくて露骨に眺めていられないものだから、彼は今しがたになってそんな新しい発見をしたのだろう。
 人混みの中で遠くから。ふたりきりの距離で。彼女を見る度に、靖友はこうして息を呑む。一見だろうが隅から隅まで観察しようが、千佳はどこを見ても美しい。たとえ彼女が今現在、宇宙人を連想させる外見を呈しているとしても、だ。

 千佳がもしも宇宙人だったなら。

 と、靖友は考える。全く異なる情報を持ち合わせたふたりが出逢ったとして、こんな風に当たり前のように傍にいる状況は果たして巡ってきたか? 恋を、していただろうか?

 結末に辿り着くより前に彼は、にべもなく鼻で哂った。自分にしては、えらくまた突拍子もない発想だ。

 不意に。
 前触れと呼べるものは一切なかった。ぱちっ、と、まるであらかじめ設定された時刻を迎えればそうするようにと仕掛けを施されたみたいに機械じみた動作で千佳が目を開け、靖友は慌てて視線を手元の漫画雑誌に戻す。
 ベッドに横たわる千佳は今度はゆっくりとその細い首を反らせて上を向き――より精確に言えば頭上の少し斜め右に向けて――巷で大流行している漫画の主人公が表紙を飾る隔週の分厚い雑誌を、先ほどと変わらず壁に背を預けた姿勢でそれを読み耽る靖友を見ると静かに、とても静かに安堵の微笑みを浮かべた。
 彼の眼が直前まで文章や画を追っていたのではなかったことを、彼女は知らない。
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