PEDAL


□狡い大人は始まりの合図を撃たない
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 どうして、と呟いた私を一笑して「どーしてェ?」と荒北さんは私の問いをそのままこちらに突き返した。彼の眼が据わっているように感じられるのは、見上げられているためか、それとも。

「千佳チャンまァさか、オレが気づいてねーとでも思ってたのォ?」

 熱い吐息と共に再び与えられる柔らかく甘い刺激に、背筋がぞくりとした。その微かな震えが彼にとって望ましい反応だったのか、荒北さんは、唇や歯で私の胸の突起を愛撫しながら喉の奥で笑った。

 ――にわかに信じられない光景だ。

 私は視覚が捉える映像を、どこか他人事のように眺めていた。
 いつも感情豊かに動く荒北さんの薄い唇が、そして彼が吠える時に覗くその獰猛な歯が私の胸と本能を弄んでいる。ずっと目で追っていた彼の身体の、その一部が、私を翻弄している。そんな映像――この事実を。


 つい数分前のことだ。
 ウォームアップを終えた私は、これから外に向かうべく控え室でボトルの補充を行っていた。そこへ外から戻ったばかりらしく汗を流しながらやってきた実業団の先輩――荒北さんが、ちょうどいいと言って私の手から大きなペットボトルを奪い取った。
 ごくりごくりと音がする度に上下する尖った喉仏を横目で眺めていたら、残りを飲みきった彼は不意に私を見下ろして、「ハッ」と嘲笑い、私の手首をすぐ後ろの壁に縫い付けた。何が起こっているのかも解らず落ちたペットボトルの方に気を取られていたら、頬に水が当たるのを感じた。
 それが荒北さんの濡れた髪だと理解するのと、首筋を何か湿った柔らかいものが這うのは、ほぼ同時だった。

 驚愕に始まり、抗議を経て、最終的に無抵抗を装う沈黙を決意したはずの私の口はいつの間にかだらしなく開いていて、不規則にも程がある呼吸と、時折耐え切れない喘ぎ声を漏らしている。それどころか、ジャージとスポブラ、2枚の生地越しでは物足りないと感じ始めている自分もいた。

「ずっとモノ欲しそーな眼でオレの身体ジロジロ見てたヨな? カオ合わせるたんびに、えっろいニオイプンプンさせてヨォ」

 違う、と、嘘でも言わなければならなかった。けれど口から出たのは彼の言葉を認めるかのような、はしたなく欲情した女の嬌声だった。

「こんなんでめろめろンなっちまってヨ。やらしーカラダだヨなァ、ったァく」

 片手が自由になった、とぼんやり思った直後、襲ってきたのは強い快感だった。荒北さんが指でぐにっと乳首を押しつぶしたのだ。
 彼の罵倒に加え、悲鳴にも似た高い声が出てしまって羞恥に泣きそうになっていると、荒北さんが顔を上げた。

「声デケェよバカ」

 不機嫌に歪められた唇を近付けて私のものに重ねると、すぐに舌を捻じ込んできた荒北さんは口内を下劣に這い回った。
 ひとたび彼の舌に絡め取られてしまえば、私はすぐにキスに夢中になる。貪られるようなキスに、どんどん溺れる。


 我に返ったのは、衣服の上から乳首を乱雑に摘んでいた指が、お腹に直接触れたときだ。彼の手がジャージの中へと侵入し、スポブラに指をかけたところで、私は慌ててそれを制した。
 大きなリップ音をたてて唇を離し、呼吸の乱れた私を見る彼の表情はこう物語っていた。“めんどくせーなァ”。

 舌打ちをひとつした荒北さんは私の手を束ね、頭上の壁に縫い付ける。そしてスポブラの下から指を差し入れてそれを躊躇いなく託し上げられると、自分のコンプレックスでもある、レーサーにとって邪魔なだけの胸が揺れながら落ちた。

「コレさァ、こんなデッケェの、スプリントんときジャマじゃナァイの?」

 無邪気を装って言った彼に直に触れられ、快感とも羞恥ともつかない涙が私の目から零れた。

「こんなんでピッチピチのうっすいジャージ着てたら、もォ襲って下さいっつってるよーなモンだろ。なァ千佳チャン?」

 意地の悪い声と表情で、荒北さんは私を非難するみたいに言った。
 私の胸が大きいのは私のせいじゃない。絶え間なく与えられる鋭い刺激に身をよじりながら何とかそう絞り出すが、荒北さんは「あっそォ」と興味なさげに返事をして、突起を口に含む。自分の甲高い喘ぎと彼の荒い息と水音に、聴覚を犯される。

 こんなにひどくされているのに、触らなくても判る。下はすごく濡れている。
 どこかでこうなることを――こんなふうに荒北さんに触れられる日を、待ち望んでいたからだろう。その証拠に拘束から解き放たれた手は彼の頭を押し戻すではなく、縋るように、ねだるように抱き込んでいた。


 腰のあたりやお尻を触ったり揉んだりしていた荒北さんの手がするりと後ろに回り、湿った秘部をゆっくりとなぞる。思わず自分の腕に力が込められると彼は「窒息させる気かヨ」と言ってそこから抜け出し、締まりのない顔で私に告げた。

「なァ、ココ何でこんな濡れてんのォ? レーパンの上からでもわかんだけどォ」

 答えない私の、首筋から耳を舐めあげて更に卑猥な言葉で彼は責めてくる。

「トンだ淫乱チャンだなァ。いつ誰が来るかもしんねーのにヨ、まさかコーフンしちゃってるとかァ? 」

 どーなんだヨ、と耳元で囁かれ、脳が融けた気がした。
 膝が笑う、というよりは膝に哂われているみたいに継ぎ目が折れ、がくりと崩れ落ちると自然と彼の指がそこに食い込み、その瞬間に自分の理性は、決壊した。


 触ってください、と、私は泣声で、怯えたように懇願する。

「ハ! やァっと本性出したじゃナァイ?」

 私を支えるためか、もしくは自身の熱い塊を主張させるため、荒北さんは私の股に脚を割り入れた。

「ンで、千佳チャンは触られるだけで満足すんのかなァ」

 唇の動きが分かるほど耳に近付いて、ねっとりと呟かれた言葉。それだけでも全身がぞわりと粟立つのに、荒北さんは腰をいやらしく使って、私の腿に固く勃起したそれを押し付ける。身体中に、快感の棘が刺さるような感覚がした。

「コレ、欲しくナァイの?」

 欲しい。荒北さんのが欲しい。
 自分の熱を慰めるときに何度呟いたか分からない台詞が、私の耳に届いた。

「こんなトコでそんなコト、マジで言うかフツー? ンっとにどーしよォもねェ子だねェお前わ」

 笑いながら言われるまで、ここが団の控え室だということは頭から完全に抜けていた。自分の中の雌が恐ろしく、おぞましかった。

 彼の言う通り、自分はどうしようもない女だと思った。
 どうしようもなくあなたが好きで、あなたの全てが欲しい。あなたが私を好きかどうかなんて二の次で、私はただこの気持ちを受け容れてほしいだけ。


 不意に荒北さんは顔を上げ、部屋のドアをじっと見つめていたかと思えば、ぱつん、と私のスポブラとジャージを本来あるべき位置まで下ろした。

「ハイ、終わりィ」

 そう言って私からぱっと離れた彼へ追い縋るように、無意識で手を伸ばしていた。
 こんな唐突に行為を中断されるなんて拒絶されたも同然だ、とは思ったけれど、頭と体は全く別物だった。まだもう少しだけ荒北さんの熱を感じていたいのだと、肌が吸い寄せられるように彼へと向かっていた。

「…続き、してェヨな?」

 私の未練を取って、そのてのひらに荒北さんは口づける。そうしながらも私と目を合わせてくる彼の色香に圧倒されつつ頷くと、唇をゆっくりと、勝ち誇ったように歪ませて荒北さんは言う。

「じゃ、メール見ろヨ」

 えっ、と戸惑う私を振り返りもせず荒北さんは足元のペットボトルとキャップを拾って捨て、部屋を出ようとした――その直後、

「つかれっしたァ、お先っす」

 荒北さんと入れ違いに他の先輩たちが入ってきて私はぎょっとする。その驚きかあるいは先ほどの不埒な戯れの最中からずっとだったのか――汗の滲む額を拭いながら挨拶をする。
 彼らはいくらか不思議顔で、「今日はアラキタと一緒に走ってきたのか」と私に尋ねた。冷蔵庫から新しく出したペットボトルを彼らに差し出し、否定の後にどうして、と付け加えると、首を傾げられる。

「いや? 何か知古疲れてるみたいだから」

 適当にごまかしたものの、うまく笑えていたかどうかは定かではない。


 彼からのメールにはこうあった。

『オレもガマンすっから千佳チャンもひとりですんなヨ』

 しないですよ、と叫びながらケータイを投げ捨てそうになり、寸でで踏みとどまる。
 本音を言えば荒北さんの感触を生々しく憶えている今、してしまいところではあった。でもその前後に書かれていた待ち合わせの約束によって彼がまだそのつもりでいることが暗示されていたので、しないつもりでいたのだ。


 指定された最寄りのコンビニ前で待っていると、集合時間とされていた30分後から5分遅れて彼はやってきた。

「わりーわりー、シャワー行くまで時間かかっちまってヨ」

 勃ったまま脱げなかったから、と私の耳元で付け加えた荒北さんは彼のビアンキと私の自転車とをコの字型の鉄棒と共にロックすると、軽快な足取りで店内に入る。

「オレんちベプシしかねーから、何か飲むモン買えヨ」

 そう言われて私が悩んだ末に手を伸ばした甘いカフェオレを彼は横から奪い取り、お弁当やらパンやらスナック菓子が乱雑に積まれたカゴの上にぽいと放り込む。数秒呆けたのちに私が再びそれを取ろうとしたら、「バカじゃナァイ? コレおめーのだヨ」と頭を軽くはたかれた。

 私の言うことに聞く耳持たず手早く勘定を済ませてしまった荒北さんは自転車を開錠すると、ふと思いついたようにこちらを振り返った。

「アレ? つーか千佳チャンもうオレのカノジョってことでいーんだヨな?」

 へっ、と固まった私の真似をするみたいに荒北さんは口を開けたまま呆けている。
 どうして、と呟いた私を一笑して、「どーしてェ?」と荒北さんは私の鼻を摘んだ。彼の眼がひどく優しく感じられるのは気のせいか、それとも。

「オレ今日まで散々アタックもセクハラもしてきたつもりだったんだけどォ」

 その言葉を信じられない気持ちで聴きながら、いつも感情豊かに動く唇が今は呆れたように歪みながら距離を縮めてくるのを、私はやっぱりどこか他人事のように眺めていたのだった。





( 20140508 // 意気込んでR指定書こうとしたのに何故こうなったし )

( 20141010 // 続きました
  聡い大人は手札の全てを明かさない )



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