TENNIS


□限定的な愛情言語の形成
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「なあ、エクスタシー、って言うてみて」

 白石くんは真剣な顔で、ときどきこうやって突拍子のないことを言う。もちろん話の前後がわかるはずもないから、真っ直ぐに見下ろしてくる彼の真意をわたしは戸惑いがちに尋ねる。

「えっ、……え? なんで?」

「なんでて、…んん、まあ聞きたいからとしか答えられんけど」

 少し上ずった声の白石くんはわたしの瞳を腐敗させようと企んでるのかと疑ってしまうぐらいに甘ったるくそして妖艶に笑った。わたしは彼のこの笑い方がとても苦手だ。いつもみたいな全世界に夢や希望を振りまくような笑顔だったら安心してみとれていられるのに、視覚をどろどろに犯すようなこの笑い方はどこかわたしを落ち着かなくさせる。

 矮小で意地汚くはしたない心の中を見透かされているような気になり、堪えきれずわたしは目を逸らした。すると白石くんは悪戯っぽくふふ、と笑うから、からかわれたのだと思い視線を戻すのだけれど、そこにある双眸からは変わらぬ卑猥が色濃く滲みだしていて、わたしは眩暈を覚える。
 ああ、また、騙されてしまった。ここ最近、こんなやりとりを繰り返す頻度が格段に増えている。

「…言うの、いや?」

「い、いやってわけじゃない、けど」

 白石くんはわたしが困惑する様子を心の底から愉しんでいるようだった。そんな白石くんはわたしから言わせてもらえば、すごくすごく変態だった。


 以前までは、少女漫画に出てくるような王子様がついに現実に降臨したのかしらと思うほどの王子様っぷりというか、かっこよくて、テニスが上手で、頭もよくてみんなに優しいのにそれでいてちっとも驕らない、そんなひとだったのに。
 いや、過去形じゃなくて今もそうなのだけれど、どう説明すればいいのだろう。

 たぶん、彼はこういう風にによによとだらしなく、意地わるげな笑顔を浮かべるようなことはなかった。わたしの性分を分かっていて彼自身の我儘を貫き通すようなことはしなかった、なのに。


「なあ、千佳」

 駄々っ子をあやすような手つきで頬を撫でられ、びくりと身体の中が強張る。自然とそういうふうになってしまうよう白石くんに刷り込まれているわたしは、まるで彼の手でとても丁寧に精巧に改造された彼のためだけのコンピュータみたい。もちろん人格までは介入できないけれど、ある程度の臓器感覚は彼によって一から再構築されたようなものだ。

「俺が気持ちええときはエクスタシーって言うてるやろ?」

「ん、うん、でもそれってテニスしてるときの話、で」

「おんなじ言葉、千佳からも聞きたいなあ。だってほら、言葉にちゃんとした意味がたまにはないと、俺かて不安になるねんか。気持ちようさせてるつもりで、実はそうやないかもしれん」

 わたしの否定は届かず、白石くんは淋しげに言う。そのどちらもが虚構だとわたしには解る。解るように仕向けられている。彼は聞こえないふりをしているだけ。淋しいふりをしているだけ。それだけじゃない。このやりとりの全てが茶番だ。不安なんて微塵も感じていないだろうし、己の技巧に絶対的な自信を持っている。


 わたしの仕草の逐一を演技だと疑っているのか。そう尋ねると彼は「ちゃうよ。疑ってるのは俺のムスコの具合」と微笑んで言って、硬いペニスの先でわたしの子宮口をぐずりと抉る。唐突に再開された快感にわたしは声を抑えきれない。

「ん、う、しら、っしく、」

「気持ちよかったら、でええねんで。無理に言わそおもてるんとちゃうんやから。ただ、『気持ちよかったら』、」

 もしよかったら、なんて選挙文句のような謙虚さは白石くんからは微塵も窺えない。一貫してわたしの一番気持ちいいところを確実に突いているくせに。解り易くわたしが恥じ入るよう仕向けているくせに。

 子どもコアラが親コアラに抱きつくみたいにひしりと白石くんにすり寄ると、彼は笑いとも喘ぎともつかない短い息を吐く。

「言うてや、千佳。気持ちいい? よくない?」

 わたしは何も白石くんが変態だということを悲観するわけではない。ましてや落胆なんてもってのほかだ。わたしはそんな思いの丈をこめて彼の目蓋にキスをする。


 まるで少女漫画に出てくる王子様のような、誰に甘えることも許されない白石蔵ノ介が自分の前でだけ無知を装いたがるこの瞬間こそが絶頂なのだ、と、わたしを巡る回路には既にインプットされている。
 うっとりと見つめれば心臓は跳ね、ゆっくりと触れれば膣が収縮するように白石くんがプログラミングしたものだから、彼の求める愛情はわたしと体を重ねる度に完璧へと近づいてゆく。

 白石くんの律動に合わせてわたしは覚束なくも言う。

 「っあ、うえ、くすた、っし、」

 彼から綿密に塗りこめられる精子とわたし自身の人格によって、特殊な言語はようやく形を成す。




( 20120612 // 白石はセックスの最中にこっちがぶん殴りたくなることを言いそうだと思った )



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