PEDAL


□Day by Day
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 だいたい私の両親もどうかしている。どうして尽八に鍵を渡すのか。それじゃまるで意味がない。自分自身を変えるために手っ取り早くあの過保護な環境から抜け出したかったのに、肝心の尽八が、よりによって一番私を甘やかす尽八がついてきてしまったら元も子もないではないか。
 何より憤りを感じるのは、私の貞操などお構いなしだということだ。尽八くんならいつお嫁にやっても大丈夫だから、だとか孫の顔が早く見たい、だとか。それが成人もしていない娘に言うセリフであろうか、いやない。


「もうすぐ出来上がるよ。顔を洗っておいで」


 尽八は立ち上がり朝食の仕上げにかかった。私は無言で洗面所に向かう。

 鏡に映るのは数ヶ月前と何ら変わらない、相も変わらずひとりじゃ何もできないことをひがんでむくれている子どもの顔だ。それどころか髪を切って、余計に幼く見えるような気さえする。


「今日はスカートを履いてほしいな。水色の、エスニック調のものがあっただろう? あれは今の髪型によく似合っている」


 もそもそと朝ごはんを口に運んでいたら、微笑む尽八が私の憂鬱を突くようにのたまう。尽八はこのショートカットをいたく気に入っている。
 理由は解りやすく言えばさっきみたいに、項にキスをしやすいから。
 おそらくはフェチというやつで、彼は首周りに女性的魅力を感じるらしいのだ。それが始終無防備に晒されるとなれば好都合とばかりにその辺りに口づける回数が増えた。

 却下の意をこめて睨んでみるが、言葉にしなければ尽八には通じない。不思議そうに私を見つめて卵焼きを咀嚼していたが、やがて視線は納豆に落ちた。納豆の匂いが私は大嫌いで、目の前で食べないでと何度も言っているのに聞き入れてはもらえない。――否、あまり匂いのしない銘柄を選んでいると主張する時点で彼なりに譲歩しているつもりなのだろう。しかし冷蔵庫を開けて納豆のパックが視界に入ると、自分のテリトリーに相手の存在を許しているみたいで気分が悪い。


「ちょっと、そのまま置いておいてって言ってるのに!」
「そう目くじら立てるな。いいだろう、オレにはまだ時間があるのだから」


 歯を磨いて戻ってきたら、尽八は勝手に食器を洗っていた。
 何を何度言おうが、彼が私の思い通りになった試しはない。いつだってそうだ。尽八が彼の友人と一緒に希望していた大学も、私がそこを受けないと知るや途端に興味をなくして私と同じ大学に進路を変えまでして。
 自分の思った通りにしてよと言っているのに、そうしているじゃないかと反論するのだ。いつだって、そうなのだった。


 化粧が終わって時間を確認すれば家を出たい時刻の既に5分前だった。慌てて立ち上がって振り向くと嬉しそうに笑う尽八がいる。その手にはスカートが握られており、いつの間にやら整えられたベッドの上には白いトップスやアクセサリーなど一通りの組み合わせがご丁寧に下着と併せて乗っていた。

 私が女友達に「おしゃれだね」と褒められていい気がしないのはこのせいである。何が悲しくて尽八のコーディネイトで大学に向かわなければならないのか。
 そのことについて議論はしたが、服を買っているのは私自身なのだからこのファッションは全て私のセンスということで、それが褒められているのはいいことじゃないか、と首を傾げられたところで結局私が折れてしまった――というより、いつものようにそれ以上考えることを諦めたのだった。


「もう時間がないな」


 とどめの一言で私は顔を歪めて尽八の手からスカートをひったくる。この間買ったスニーカーを合わせたらかわいいだろうな、と背後からブラジャーのホックを留めつつ尽八が、今度は肩に口づける。上と下の唇で挟む寸前、柔らかくて熱くて濡れた塊が触れた。


「あ、朝から、やめてよばかじゃないの」


 一瞬で身体が熱くなるのをごまかしたくて荒っぽく言ったのに、尽八は離れるどころか抱きついてきた。そして腰から胸へ、少し力のこめられた手は這うように登ってくる。


「うむ…そんなつもりはなかったが、そんな反応をされるとその気になってしまうからやめてくれないか」


 知るか、と案外に緩かった腕の中から脱出して無事時間内に着替え終わる。
 一人で外に出ると、ごみを出しに先に行っていた尽八がリドレーのサドルを押さえながら私を待っていた。


「というか、尽八は今日2コマからじゃないの」
「そうだが…何だ、覚えていてくれたのか?」
「ちがっ、嫌でも覚えるでしょ! 毎日まいにちこれだけまとわりつかれてたら!」
「まとわりつく? 心外だな、一緒にいると訂正しないか」
「しない!」


 私は尽八がいなくたって生きていける。尽八だって私がいなくても生きていける。というより、そういう風に生きるべきなんだ。
 なのにどうして尽八はそれを拒むのだろう。まるで真綿のようにその気になればすぐにでも引きちぎれる手錠で2人を繋いで、私が一生それに縛られることを知りつ尚そうしているのだろうか。

 近付いてくる私――もしくは私の格好をじっと満足気に眺めていた尽八は「千佳は今日もかわいいな」と笑って私の後頭部にするりと手を回す。ここで疑いなく目を瞑ってしまうのも、私のだめなところなんだ。


 日を追うごとにこの、精巧に天国を模した地獄に落ちていく。新しい朝が来る度に思い知らされる。ここから抜け出すなんて、彼が私を欲する限り不可能なことなのだと。

 おそらく私は、目が覚めて一番に温かい香りがするよりもっとずっと前に“おかしい”と気付くべきだったのだ。





( 20140419 // 思わず続きを書いてしまうかもしれない、それだけ親公認というのはおいしい設定なのである )


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