REQUEST
□聡い大人は手札の全てを明かさない
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狡い大人は始まりの合図を撃たない
こちらの短編の続きになります
この細い首が好きなのだ。と、心音を潜めながら、つくづく思う。
尖った喉仏は男の象徴であり、かつ、獣の急所だ。それは下半身と違って、普段からあまりに無防備に晒されているものだから。(吸い寄せられるのは、本能だ…)
そこは私の考える性であり、生である。
そのどちらもに寄生するみたいに付着した、まるで虫のようなキスマークが、荒北さんがベプシを飲み下すのに合わせてうごめいていた。
「…起きたのォ?」
視線に気付いたのか、ペットボトルのキャップを閉めた荒北さんはこちらを見て微笑んだ。
刹那的に陥る、体躯が高い宙に投げ出されるかのような錯覚。上昇する。舞い上がる。
現実、なのだろうか。果たして私は本当にこのひとの。(…かの、じょ?)
「なぁーに潜ってンだヨ」
強いて言うなら、赤い頬を隠すため、かもしれない。
さっきまではベッド脇かそれとも床か、どこかしらに追いやられその存在を抹消されていた薄くて軽い羽毛の上質な布団は、今、私の肌を快く包んでいた。荒北さんがかけてくれたに違いなかった。
本物、よりもむしろ色濃く彼の香りがする。深呼吸をして落ち着くどころか、逆にのぼせてしまいそうだ。
麻薬のように、媚薬のように。この香りは、私の中枢を麻痺させる役割を確かに果たしている。
くいくい、と呼びかけるみたいにして頭上の布地が引かれるのに応えないでいたら、そのうちに彼は私の相手をするのが面倒になったのだろう。ばさっ、と突如として布団を足元からひん剥かれる。
当然、私は考えるより先に身をすくめ、両腕で胸部と恥部を隠していた。
「ハ! 今更隠しても意味ねーヨ。さっき見たっつーのォ」
己の耳すらもつんざく抗議の絶叫をさらりと聞き流し、荒北さんが悪戯っぽく笑う声がした。
「…ねェ千佳チャン、もー疲れちゃったァ?」
目の前に置かれた彼の肘。撫でるように掴まれる私の腕。ギ、と軋むベッド。スイッチを入れたみたいに、一瞬にして色を帯びた声。
おそるおそる荒北さんを見上げてゆく途中に、ごくり。虫が蠢いた。そこに巣食う、私の寄生虫が。
「オメーのカラダ、ンっとにダメだわ」
だめ、という言葉に一瞬ショックを受けるものの、かなしい悲鳴が出るより前に口は塞がれる。
柔らかい、けれど熱い荒北さんの舌は、言葉の通りに私を否定するわけではなく。追われて、求められて、付いていけば、受けとめて、応えてくれる。
キスの合間の呼吸は、湿っぽい。
目を開けると間近にある、無愛想な印象を受ける視線。考えを見透かされるみたいだ。いや、実際、見透かそうとしている目なのだろう。
「ナニ? 何か言いたげじゃナァイ」
鋭い観察眼。それともそう感じ取ったのは、直前にすんと動いた鼻だったのだろうか。
隠すことでもない。私はこの午後からずっと抱えていた疑問を口にする。
――どうして荒北さんは、私を選んだの。
私のどこに、彼に特別に想われる要素があったのか。取り立てて悪いところもないけれど、ずば抜けて素晴らしい何かは自分にはない。
己を振り返って、そうすればするほど、自信がなくなってゆく。
つまり私は、荒北さんの気まぐれや暇つぶしや、最悪、手頃な性欲処理としか見られていないかもしれないのが怖いのだ。
いや、私はその最悪のケースだって一向に構わない。
何でもいい。でも、だったら、さっきみたいに優しく笑わないでほしい。勘違いをさせないで。
絞り出す声に真剣に耳を傾けてくれていた荒北さんは、慈しむように目を細めて私を見た。
髪を一撫で。ゆっくりと、より深く口づけてきた彼が、唇の上で笑った気がした。
脳が溶ける代わりに、筋肉は緊張していった。ふくらはぎと内腿は段々と収縮して、自然と膝を立たせる。背の神経がじりじりと焼かれるみたいだ。縮まって、弓なりになる。
彼の手は膝を割り、内腿を撫で上げる。私が身悶えたその刹那で、閉じるなと言わんばかりに脚の間に自身の身体を滑り込ませた。下腹部の緊張には、気付かれないといいのだけれど。
荒北さんはまるで、陶芸家が手びねりで唯一の作品を創りだすかのように私の身体を扱った。
腰骨を覆った手のひらを肌に密着させて、しなやかな圧力を加えながらくびれを撫でる。一旦背中にまわった手を開いたかと思えば、それぞれの指の腹で肋骨の感触を味わうように戻ってきて胸骨から上へ。喉の直前で鎖骨に沿うように折れ、指と指の間ですら使って、私の腕の付け根を撫で回すように確かめる。
それから切なくなるほど、いっそ泣きたくなるほど扇情的に私の胸を愛撫する。速度はゆっくりというわけでも、かといって速いわけでもない。けれど緩急をつけてただただねちっこく、泥土をいじるように私の左胸に触れる。
「バランス」
いつしか耳に届いたその一言が脳に到達して私が反応を示すまで、かなりの時間がかかった。荒北さんがしゃぶりどおしだった右の乳首はいちばん敏感な神経を晒すかのように鋭く尖って、唾液でぬらりと卑猥に光っている。そんな光景の奥にいた彼はのっそり頭を上げて、にや、と微笑む。
「バランスいーんだヨな、千佳チャンのカラダって」
ぼさぼさになった彼の前髪の奥から、優しげな瞳が覗いた。途端に、喉を射抜かれる錯覚。
寝ているのに、眩暈で倒れそうだ、と思った。まるでこれは、私が恋に落ちたときの再現だ。
入団する前から、まだ若いのに数多の実績を誇る彼がここに在籍していることは知っていた。
雲の上の存在だった荒北さん。人一倍練習する彼の姿を見て、自分も頑張ろうと、この世界で生き残ってゆきたいと決意を固めたのだった。
それから数ヶ月が経ち、レースの開催頻度も増えてきた時期のこと。
「最近ちょっと、キバりすぎじゃナァイ?」
休憩中、荒北さんに初めて話しかけられたときは、緊張のしすぎで何を言ったかまでは思い出せないけど。
「筋肉パンパン。無駄なチカラ入ってっからだヨ。抜くときゃ抜かねェと」
足や背中を触られながらそう指摘され、いい整体を紹介してもらって。
「無理しすぎンなヨ、知古チャン」
と、最後に一言。私の頭にぽんっと手を置いて、去り際の荒北さんが見せた、その顔だ。
あの瞬間から、自転車に乗っていない間の自分は、彼のことばかり考えるようになっていったのだ。
先輩面、という形容が変な話、的確かもしれない。大きな者が、小さき者を思い遣るような、愛おしむような。
荒北さんの眼は、私の全てを覆ってしまうくらいの包容力だった。彼と話をしていると、とても居心地がよかった。
そして次第に全て委ねてみたいと、彼に抱かれたいと思うようになっていった。
胸骨のあたりからおへそまで、指をつうっと滑らされ、緩みかけていた身体に再び緊張が走る。
「ホラ、コレ。見ろよ。ゲージュツ的じゃねェ? 何かの彫刻みてェ」
芸術的、とは。まさか荒北さんの口からそんな言葉なんて出てくるとは思わなかった。
「この完璧なカラダがヨ…こんな体勢になってンの。ジブンの下で。性欲抑えてでも、ずっと触っててェって、思うんだヨな」
成形をされていたというのも、あながち間違いではないと感じた。
上体を起こした彼は私の全体像をまじまじと眺め、次いで屹立した自身を指で弾いて、ニヤリと私に笑いかける。
――要するに私の身体が好きなんですか?
覆いかぶさってきた荒北さんに慌てて尋ねると、距離を取るために胸を押した私の手をひどく不愉快そうな表情で一瞥し、こちらに向き直る。
「オメーってンっとに、バァカチャンだヨなァ…」
眉と唇の曲がり方は、“ありえねェ”とでも言いたげだ。
「千佳チャンのコト、ちゃんと見てたぜ。誰とどう接してるかとか、何にどう取り組んでるかとか。…ずっと見てたヨ、心配すんな」
唇を尖らせて聞いていたら、鼻で笑った彼は不意に私の顎を持ち上げる。
「それともナァニ? 全部口で説明しなきゃなンねェほど、オレの愛し方足りてなかったァ?」
違います、と開いた口にすかさず噛み付かれる。
違わねーよ。小さくそう言って、荒北さんは私を再び愛の淵へと落としめてゆく。
絶頂に荒北さんが仰け反る瞬間、私は下からその虫を見た。
彼は己の急所に私が生息することを許したのだ。そう結論づけたとき、熱いなにかが私のなかを駆け巡った。
( 20141010 // 私だって、もう子どもじゃないはずなのに )
( 黄野さまに捧げます。短編関連のリク嬉しかったです、ありがとうございました!
年を重ねるごとに余裕がでてきた荒北さんは、とてもかっこよいと思うのです…。そんな考えがちゃんと文章に反映されてるとよいのですが! )