【暗闇で孕む】
□第二話
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少し昔の話をしよう。
現首相麻田の手により、父が自殺に見せかけて殺されたのは、俺が高校二年に上がる直前の三月後半の事だった。
「母さん?どうしたんだよ、電気も点けないで…」
この日は母に、父の誕生日を祝うから早く帰って来いと言われていたので、部活が終わってすぐ帰宅したのだが、玄関を開けてすぐの所、薄暗い家の中、廊下にうずくまっている母を見付けて疑問符を浮かべた。
母に声を掛けながら近付くと、小さく震えた声で父を何度も呼んでいるのが判った。
「え?父さんが何?」
そう問い掛けるが、返事は返って来ない。
ますます不信に思いながらも、そのまま何の気も無しに電気を点けながら、父の書斎へ入った。
まず、父が椅子にもたれて座っているのが見えた。
父の、身体が赤黒いモノで汚れている。
鉄の、臭い。
え、
何で、何が…?
───血?これ、全部、血?
…父さんの?
「父さん…?」
首筋の、傷が見える。
カミソリが、落ちている。
血、血、血、血、血の海───。
死んでいる?父さんが!
なんで、どうして、そんな。
嘘だ。
嘘だ、どうして、なんで、なんでなんでなんで!!
今日は父さんの誕生日なのにっ!
「遅くなってゴメンなー。ケーキなんだけど…」
「兄さん」
父の遺体から目を反らす事が出来ないまま、兄を呼ぶ。
背後で、ドサ、と何かが落ちる音がした。
「あーーーーー〜〜!あ゛ーーーー〜あぁっ!!」
母が、狂ったように叫ぶのが聞こえた。
…今思えば、母は何かを知っていたか、見てしまったのかも知れない。
その後母は、あまりのショックに茫然自失状態になり、倒れてそのまま入院。退院後も精神的な回復は見られず、父の葬儀の喪主は、兄が務める事となった。
その葬儀で、俺は麻田がニヤニヤと笑っているのを見ていた。
勿論、兄も。
だがこの時すでに兄は、俺とは違う事を考えて居たのだろう。
色々なゴタゴタが片付き、やっと落ち着いた時、兄が口を開いた。
「暫く、身を隠そうと思っている」
台所の、一本だけ設置してある蛍光灯のみが点いている、薄暗いリビングのテーブルの上、置いてある父の遺骨を見ながら、兄がポツリと言った。
俺達は向かい合わせで座っていた。
「───え?…何で…」
「葬儀の後、父さんを慕っていたらしい種守議員が声を掛けてきたんだ。麻田に復讐しないかと」
「…っそれで、信じるのか!?父さんを殺したヤツと同じ、政治家を!!どうせ父さんみたいに利用されて殺されるのがオチだ!」
兄が蛍光灯を背にして座っているため、逆光になって此方からは兄の顔をはっきり見る事が出来ない。
ただその濃い影の中、白目の部分だけがやけに目立って、爛々と光っているように見えた。
復讐に燃える、修羅の目…。
「そうかも知れない。だが、今の…“成瀬”の息子という立場では、容易にアイツに近付けないのも事実だ。種守議員は必要であれば、お前の分の戸籍も用意すると言っていた」
「───っ!?それって!それってつまり、あんな状態の母さんを見捨てて別人になるって事かよ!?」
「見捨てる訳じゃない。名前を変えるだけだ。───お前も来るだろう?」
「………………っ」
いつの間にか立ち上がっていた俺は兄にそう問われ、何も答える事が出来ないまま、それでも頭の中では復讐についてばかり考えていた。
「…まあ、座れ。俺の立てた計画を話そう」
兄の話した計画は、恐ろしい程に完璧な計画だった。
冷静に現状を見極め、未来を予測する様はまるで、獲物を狙う肉食獣そのものだった。
「…やってくれるか?」
一通り計画を話し終わると、兄はそう問うてきた。
その声に答えようと俯いていた顔を上げると、此方を見ていた兄と目が合った。
その瞬間不意に、父の葬儀で見た麻田の目と眼前の兄の目が重なった。
俺の中を、何かが駆け抜ける。
「兄さん」
気付くと、口が勝手に兄を呼んでいた。
俺は酷く混乱していた。
何故、仇である麻田と被害者である兄の目が重なる…?
「兄さんは、本当に父さんの復讐がしたいのか…?」
言いながらハッと気付く。全てが嘘だとは言わない。けれど全てが本当で無いのも確かな気がした。
「…当たり前だろう?何を言っているんだ」
少し困惑したような表情で、兄が言う。
ゾッとした。
兄の目を見て、疑惑が確信へ変わる。
きっと兄は、最後に俺を裏切るつもりだ。俺を殺して、俺を代償にして欲しいモノを手に入れるつもりだ…。
困惑し混乱し焦る俺を兄が、ジッと見ている。
その、兄の目が…兄の、目が───。
何故麻田と兄の目が重なったのか分かった。
これは、政治家の目だ。
(なんでっ…!)
グルグルと言い知れぬ恐怖が頭を支配する。
何故、父を殺したモノと同じモノになろうとする。何故、俺を裏切ろうとするんだ。何故、そんな非道い事ができる。何故、何故、何故…!?
兄さんは父さんみたいな政治家に成りたかったんじゃないのか。兄さんが成りたかった政治家は、こんなモノだったのか!
困惑から恐怖、そして怒りへと心境が変化した俺はその勢いのままに、もう一度兄の目を見た。
目を見た途端、スッと力が抜けてしまい、椅子にぐったりともたれかかった。
「………俺は、兄さんの邪魔をしない。その代わりに計画にも参加はしない。出来ない」
答えを聞いて、兄が長い溜め息をつく。
「分かった。その代わりこの家にも居られないし、どちらにしても成瀬ではいられないが良いか」
「あぁ」
兄を見れず、テーブルの上で握った拳を眺め続ける。
やがて兄は立ち上がり、リビングから去り際、一言ぽつりと呟いた。
「お前は父さんに似てるな…羨ましいよ」
慌てて兄を見上げるが、ちょうど扉が閉まる所で、兄の姿は確認出来なかった。
「…兄さん…」
それ以上何も言えず、何も出来ずに顔を前に戻すと、父の遺骨が目に入った。
引き寄せ、膝の上で抱え込む。
兄は全てを拒絶する目をしていた。
俺の事も、母の事も、今の兄にとって価値の無いものになってしまっている。
もしかしたら、父の事でさえも。
(父さん…俺は、どうしたら…)
答えは見えず、どうしようもないやるせない気持ちばかりが残って、俺を苦しめるだけだった。