【胸にたゆたう】
□第一話
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大切な弟が死んで、オレだけがこの糞っ垂れた世界に取り残された。
『いつも空を見上げている兄さんへ』
取り残されたオレはいつも入り浸っているこの温室から空を見上げるより、そう刻まれたオルゴール付きの銀時計を眺める事が多くなった。
飲んだくれの親父が一日の酒代欲しさに売ったのは、まだ幼かったオレ達だった。
オレ達が売られた先は、様々な国々が協力して作り上げた、地図上には存在しない孤島にある暗殺集団組織、ホムンクルス。
使えれば生き残り、使えなければ死あるのみ、というシンプルな理念が息ずく場所だった。
オレ達は死なない為に、殺して、殺して、殺して。色んなモノを殺す事で生き長らえてきた。
こんなカスみたいな人生でも生きていたいと思っていたのは、弟が居たからで、きっと弟も、オレが居るから…。
やがて、外へ脱出する計画が秘密裏に持ち上がり、パソコンに強い弟が外に出る為には絶対に必要な、静止衛生レーザーのシステムを停止させるプログラムを作る事になった。
この静止衛生レーザーは、ランダムナビゲーターによる指示以外のルートにいる物体全てを、容赦なく破壊するシステムを搭載している。
「馬鹿野郎…。脱出する為のプログラムを完成させるかわりに命落としてたら、意味…ねーだろぉーが…。」
義手の右手で銀時計を握り締めると、金属同士が擦れ合う嫌な音が響いた。
「ここに居たのか、エドワード」
「クルスさん…どうしたんだ、何かあったのか?」
「いや。ただ、明日の暗殺計画に急遽メンバーに選ばれてさ。宜しく、って挨拶しとこうと思って」
「誰か行けなくなっちまったのか?」
「あぁ、もう一つ仕事が急ぎで入ったらしくてね。そっちに回されたメンバーの代わりさ」
「へー」
クルスさんは、オレと同じ金髪金目で、二十代後半位の男だ。
この組織で医者をやっているが、こうしてたまに殺しも請け負ったりする。
「…また見てたのかい?」
「…ん?あぁ…まぁ、な」
「…そうか」
カチャリ、と時計上部に付いているボタンを押して時計を開くと、母さんが生きていた頃、よく子守唄に歌ってくれた懐かしいメロディーが流れ出す。
「決意は、変わらないのかな?」
「変わんねーよ。外の世界に興味がねーつったら嘘になるけどさ、俺だけ…逃げちまったら、アルが兄さんだけ狡いーって騒ぐだろうからな」
「そう、かな…。アルフォンスくんは君だけでも外に逃がしたかったんじゃないかな、だから―――」
「クルスさん!!」
「…………エドワードくん」
「その話はナシにしようぜ。もしかしたらそうかも知んねーけど、オレが、オレが納得出来ねーんだよ。だから…」
「…分かったよ」
クルスさんは寂しそうに、それでも穏やかに笑った。
「サンキュ、クルスさん…」
オレの意志を認めてくれるクルスさんの優しさが、嬉しかった。
外へ脱出する計画…オレは手伝いはするが、この島に残ると決めていた。
弟が眠るこの島で、朽ち果てると決めたのだ。
いつの間にかオルゴールは止まっていて、温室のガラス越しに見える空はいつにもまして、どんより曇っていた。
「一雨来そうだな…」
クルスさんの呟きは、まるで何かが起きる事を予言しているかの様な響きを持っていた。
そしてその予言が当たっていたかの様に、次の日から俺の人生は加速し始めるのだった―――。