【胸にたゆたう】
□第五話
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マスタング、通称「大佐」は新聞を握り締めながら怒りに打ち震えていた。
【ICPOマスタング刑事を襲った銃弾、グリードの物と一致!!】
ふざけるな、とその怒りのままに声を張り上げる。
「グリードが撃ったのではありません!アイツは完全にこちらに背を向けていたのです!アイツが犯人ではありません!」
マスタングは傷の痛みを半ば忘れながら、ベッド脇に立つブラッドレイFBI長官に向かってそう食ってかかっていた。
「そう騒ぐな、傷に障るぞ」
「しかし───っ!」
「分かってはおるが、現状としてグリードが愛用しているワルサーP38の使用弾が君の体内から見付かっているのだ。生半可な証言ではそれを覆すのは難しいのだよ。例え被害者本人の証言であってもな。往々にして、被害者の証言は怪我による記憶の混濁がみられる、と判断されやすいものだ」
「……っ!では私に捜査の陣頭指揮を取らせて下さい。必ずや犯人を逮捕して見せます!」
一瞬、重傷患者だと忘れてしまいそうになる程の怒気をベッドの上から発するマスタングを見て、ブラッドレイ長官は眉尻を下げて浅い溜め息をついた。
「そう言うと思っていたよ。だがその傷では無理だな。まずは治療に専念したまえ。では、大人しくしていたまえよ!」
「長官!!」
そう言い残し、颯爽と病室から立ち去るブラッドレイ長官に慌ててマスタングは追い縋ろうとするが、肝心な時に痛みを思い出し、ベッドの上で痛みに呻くだけになってしまった。
マスタングの額に脂汗が滲む。
「───長官の命令を聞いていなかったのですか?マスタング大佐」
「う……」
不意に涼やかな女性の声が響き、聞き覚えのあるその声にマスタングは顔を上げ、ハッと顔色を変えた。
「っリザ君!君もFBIに入ったのか!?」
かつて、まだヒヨッコだった自分に刑事としてのイロハを叩き込んでくれた男の娘の、リザ・ホークアイがそこにいた。
「はっ!亡き父が妻と子を省みず、没頭する程の価値がこの仕事にあるのかを、この目で確かめる為に入った次第です!」
綺麗に背筋を伸ばして見せながら話すホークアイに、マスタングはやれやれというような笑みを浮かべた。
ホークアイは幾分か緊張を解いてからマスタングをベッドに横たえ、水色のハンカチを差し出す。
マスタングは一言詫びを入れてから、ハンカチで額の汗を軽く拭った。
彼女が亡き父を尊敬し慕っていた事は良く知っている。彼を貶すような発言は、彼女なりの愛情の示し方だった。事件に巻き込まれた女性を庇って死ぬだなんて仕方のない馬鹿な人だと、やりきれない思いを吐いているのだ。
素直になれない娘である。
「しかし大佐とは…確かに軍には在籍していたが大佐にはならなかったし、もう退役しているんだがな。何故皆そう呼びたがるんだ」
「さあ…あまりにもしっくりきすぎているからでは?あぁ、それからこれを大佐に…」
「ん…あぁ、成る程」
「まだ、持ってらしたんですね」
ホークアイが差し出したのは、古い銀の懐中時計だった。そのほぼ中心部は弾丸によって射抜かれている。
マスタングは常にこれを持ち歩いていた為に、九死に一生を得たのだ。
「これは…もう修理出来ないだろうな」
「えぇ。でももう、寿命だったのだと…」
「そうだな…。君の父上に感謝せねばな」
昇進祝いに、と彼が愛用していた銀時計を譲り受けた過去が脳裏を過ぎり、彼を想う。
そんなノスタルジィな空気を払拭するように、ホークアイが敬礼をしてハキハキと告げた。
「改めてまして、本日付けでマスタング警部の助手となりました、リザ・ホークアイ刑事です」
「あぁ、ご苦労。監視の役目、しっかり果たしてくれたまえよ」
ホークアイの顔に笑みが浮かぶ。
「やはり気付いていましたか」
「上層部を納得させる為と私を蔑ろにしていない、という事をアピールする為に“助手”を付けるのは良くある手だ。因みにこれは、分かりやすすぎる長官の激励の仕方でもある。監視役に旧知の人間を送り込むほど、あの人は甘くないからな」
「では…」
「動けるなら好きに動け、という事さ」
その言葉を聞いて、ホークアイは溜め息をつく。
「動けるなら…今の大佐には難しいのでは?とにかく、後二・三日だけでも大人しくしていて下さい。その間に私の脚で調べられる事は調べておきますので」
「すまない…」
「無茶をされるより数倍ましです。まずは襲撃した輩の資料集めですか?」
「あぁ。グリードは予告状を出した覚えが無いと言っていた。おそらく囮に使い、かつ罪をなすりつける為に襲撃犯が出したのだろう」
ホークアイは口元に手を当て、一考した。
「しかし、妙ではありませんか?要人暗殺の罪をなすりつけたいのなら、何故その時にワルサーを使わずに大佐に対して使ったんでしょう?しかもグリードの目の前で。…もしかして今回、奴らの狙いは暗殺では無くグリードにあった…?だからグリードの琴線に触れるような事を?」
マスタングが頷き返す。
「おそらくな」
「分かりました。帳場に知り合いが居ますので、資料は簡単に手に入ると思います」
「それから、ウロボロスの刺青についても調べてくれ」
「ウロボロス…?」
マスタングは己の右手の甲をホークアイに向けて掲げた。
「私を撃った男の手の甲にその刺青があったのだ。遠かったのと硝煙とでハッキリとは判らなかったが、おそらく襲撃者全員の手にも同じモノがあったように見えた」
「分かりました。早速調べてみます」
そう言うなりクルリとドアに振り返って出て行こうとするホークアイだったが、その直前に、まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるような表情で口を開いた。
「絶対に!大人しくしていて下さいね」
「分かったよ…どの道動けん」
「では」
静かに閉まったドアを見届け、一気に押し寄せてきた疲労感にベッドへ沈み込むように身を預ける。
「グリードが狙い、か…」
どうやらデカい山を引き当ててしまったなと、マスタングはこれから来るであろう激務に備え、眠りに着くのであった。