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□義務
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私は人間の形をしているが、後頭部は魚の形をしている。

私は、自分の姿が好きではなかった。


自分と同じ姿をした物が、何一つ無いから。


……それは、沼での生活を台なしにする。



この沼の生物たちは、皆同じ種族同士で食べ物、居住地の共有、縄張り争い等の行為を行うことが多かった。



それは私にとって、同じ種族が居る喜びと苦しみを、目の前で見せ付けられるということ。


ただ、悲しくて、寂しかった。





……私の親も、私のような姿をし、私と同じ気持ちを味わっていたのだろうか?


…というか、そもそも私に親という存在があったのだろうか…


私は、気が付いたらこの沼に存在していた。


自分が何故誕生したのかも、自分が何から出来たのかも、自分が何者なのかもわからない。







もしかしたら私は沼に産まれただけで、実は魚では無いのかとも思った。


事実私は、ある程度の時間水中に潜れるが、地上での息継ぎが必要だった。

それに、魚の形をしているのは後頭部だけであって、後は違う。

沼で溺れかける事も少なくなかった。
……私は地上の生き物かもしれない。


ある日、私は思い切って地上に出てみた。

私と同じ者に会えるか希望を持って。

…もし同じ種族に会えたら何を話そうか。

何を食べているのとか、何処に住んでいるとか、毎日をどうやって過ごしているのとか。


…考えいるだけで、顔が綻んだんだっけ。


でも、現実はそう甘くなかった。


同じ種族が居なかっただけならまだマシだったのに。



あの叫び声。泣き声。怒鳴り声。



…今でもハッキリ覚えている。


あれは、髪を赤いリボンで結っている、可愛らしい女の子だった。

その可愛らしい子は、可愛らしいその顔をシワクチャにして泣いていた。

私を指差しながら。



大丈夫だよ、私は貴女に危害を加えないよ。


そう伝えたかっだけなのに…

当時私は人間の言葉を知らなかったため、せめてとその意味を込めて、しゃがみ込み女の子の頭を撫でようとした。


…とたん、女の甲高い悲鳴。

何事かと顔を上げたその時、私の背中に何か硬い物がぶつけられた。

痛い、と思う暇もなく、次々とその何か硬い物をぶつけられるという感覚は身体全体に広がる。
私は駆け出した。

沼のある森に向かって。

人々の叫び声が、背中を震わす。


怖かったやるせなかった寂しかった痛かった。



私は、沼にそのまま沈んだ。

傷が出来ていた様で、水がピリピリとしみた…





その後のことは、よく覚えていない。




…次、私の記憶が始まるのは、太子が沼に落ちてきた所からだ。


太子は、私と同じ種族じゃない。

むしろ、私に痛い事をした種族だった。

正直、始めは怖かった。



でも太子は、私と普通に接してくれた。

色んな所に連れてってくれた。

私の心は太子の暖かさに、溶かされた。


…今では、太子は私にとって初めての友達であり、親友であり、家族とさえ思っている。


そんな太子の願いを叶えてあげるのは、私の仕事じゃないのか…?


『太子はイナフの事が好き。』


太子とイナフが両想いなら、太子は幸せ。

太子が幸せなら、私も幸せ。


……簡単なことなのに…




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