IS〜インフィニット・ストラトス《蒼き月の輝き》

□窮地の海斗
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「やっぱり、一番風呂ってのはいいなぁ」
 お風呂に肩までどっぷりとつかりながら、俺はしみじみと言う。声がお風呂場の壁に反響してくる。なぜ、お風呂がある場所は声が反響しやすいのだろう、思わず歌いたくなってくるではないか。
 さて、俺は風呂場にいる。素直にいうと、マドカから強制的に部屋から追い出された。何でも、俺がいると色々と困ることがあるらしい。あの人が女だから、というのもあるだろう。いや、普通に考えたらそれしか思い当たる理由はないな。
 つい数刻前のことだ。俺は学校から家に帰宅する途中、世にも奇妙なものをみつけた。俺と同い年――――外見で判断するならば――――ぐらいの女性である。降りしきる雨の中、彼女はまるで何かから逃げてきたように体のあちこちを怪我していて、服も汚れていた。俺としてはそのような奇怪かつ妙に嫌な予感しかしないものには極力関わりたくなかったのだが、どうもそういった愚行は俺の良心が許さなかったらしい。気が付くと、いつのまにか俺はその女性をおぶるようにして(最初は抱きかかえていたのだが、力及ばず)家まで連れてきていた。
 俺がボロボロの女性と一緒に帰ってきたことにマドカは失神しかけるほど驚いていたようだが、何とか落ち着きを取り戻し先ほどからその謎の女性を診てもらっている。ちなみに、俺が追い出された理由は、ずぶ濡れだったその女性を着替えさせるためだ。
「にしても……一人ってやっぱいいわぁ……」
 なんとも感慨深いことだ。
 今、俺は一人だった。そう、あのいつもうるさく、我がままな幽霊もどきが今この場にはいないのだ。どういった原理かは俺も使用者である俺にもよくわからないのだが、どうやらアオは俺が首に常時下げているヘッドフォンからある程度の距離離れてしまうと俺にすら見えなくなってしまうらしい。そして、また俺がヘッドフォンに近づけば姿も見えるし、声も聞こえるようにもなるのだから、これまた驚きである。無理を通して道理を蹴っ飛ばす、なんてレベルではない、無理や道理どころか次元すら蹴っ飛ばしているではないか。
 なにもともあれだ。アオという存在はどうも俺の理解の範疇、いや現代科学を超えている節がある。あのヘッドフォンに憑りつく幽霊と説明されても、恐らく俺は納得しない。それだけでは彼女の特異性は証明されないからだ。だからこそ、俺はあいつのこを幽霊もどき≠ニ呼んでいる。幽霊のような存在でありながら、幽霊ではない存在、それがアオという少女だ。
 だが、これだけははっきりといえる。
「あいつがどんな存在だろうと……うるさいことには変わりねぇな」
 幽霊であろうが、根源的○滅招○体であろうが、それこそ妖怪や怪異のような類であろうとも、それだけは変わりようのない事実である。そして、俺がそれと一生とまではいかなくとも、かなり長い年月付き合わなければいけないという楽観的かつ客観的な事実も、また覆りようのない現実であった。俺には彼女を、正確にはあのヘッドフォンを手放すなんて、勇ましい愚行は到底できないのだから。
「さてと。そろそろ上がらないと、頭がのぼせるかも……」
 若干頭がふらふらとしているが、大丈夫だろう。一度何かを考えだすと思考の海にずぶずぶと沈んでいってしまう質なのは、こういったときに悔やまれる。そもそも風呂につかりながら黙考する方もするほうだ。馬鹿ではないのか。
 さすがにそろそろマドカたちのほうも終わっているだろう。とりあえず、体をふき服を着ると俺は髪もろくに乾かさないまま、風呂場を出た。髪を乱暴にタオルでふきながら、自然と足が食卓へと進んでいく。仄かに漂ってくる夕食のものと思しき香りが鼻腔をくすぐる。おいしそうな匂いにつられてか、俺の腹が大きな音を立てて空腹を訴えた。
「何かつまみ食いできるものないかね……」
 マドカがいたら確実に怒られそうだが、例の女性に付いている今ならばその心配もなく、物色できそうだ。
 さっそくキッチンの中を見渡す。手軽に食べれそうなものは、ない。夕食の料理はあるのだが、皿にも盛り付けられていないし、どうもつまみ食いには向かないものをばっかりのようだった。
 となれば、残る場所は一つ。冷蔵庫だ。あそこなら、魚肉ソーセージの一本や二本ぐらいあるだろう。それにマヨネーズをつければ、夕食前の腹ごしらえには充分すぎるものだ。
 そうと決まれば、話は早い。
「あれ……一本しかねぇや」
 冷蔵庫を除くと、なぜか前日には大量に保存してあった魚肉ソーセージが残り一本となっていた。そういえば、キッチンのゴミ箱に大量の袋が雑に突っ込まれていたな。やった犯人は容易に想像できるが、なんで食べ散らかしてんだ。俺の分も一応残してあるみたいだが、何かストレスを感じるようなことでもあったのかな。
 と、俺がそんなこの場にいない馬鹿のことについて考えをはせていると、不意に後ろの扉ががらっと開いた。リビングとここをつなぐその扉から出てきたのは、当然と言えば当然なのだが、マドカだった。ちなみに、どこか疲れたような、怒っているような、困っているような、不思議な表情を彼女はしている。表現しにくい、表情から感情が読み取りづらい、そんな顔をしていた。
「どした?」
 とりあえず、声をかける。その隙に物色中だった冷蔵庫の戸を閉めた。マドカは夕食前のつまみ食いにはとてもうるさいため、こういうことの証拠はなるべく残しておかないほうが身のためだ。
 何気ない顔でいたことが功をなしたのか、マドカはそのことについては何も言わなかった。代わりに困った人を見るような視線を俺にぶつけてきた。
「あいつの手当と着替え終わったぞ」
「おお、お疲れさん。で、あの人大丈夫そう?」
「さぁな。私は医者じゃないから、詳しいことはわからん」
 食卓の椅子に深く腰掛けながら、マドカはかぶりを振った。
「そんなに酷い怪我だったのか?」
「いや、軽傷だ。擦り傷や打撲は体のあちこちにあったが、それ以外は目立った外傷も見つからなかったからな」
 そういえば、俺がここへ連れてくる際も目立った外傷といえば額の傷ぐらいだった。熟したトマトをすりつぶしたように真っ赤な血が額からだらだらと流れ出ていたのが、強烈な印象として残っている。それを見た時はとんでもない重症なんじゃないかと内心結構焦っていたので、軽傷だという報告には正直安堵していた。
 胸につっかえていたものがなくなったからだろうか、唐突に俺の腹が音を立てた。そういえば、マドカが来たせいでつまみ食いし損ねてたんだった。
 そして、それを意識するともうだめだ。空腹が再び襲ってくる。人は原始的欲求である食欲にはどう足掻こうが勝てないのだ、と意味のない自説にうんうんと頷き、視線をマドカに移す。その視線に「夕飯食べたいな」という願いを込めて。
「はいはい。支度するから、手伝え」
 どうやら俺の願いは聞き届けられたらしい。俺は「へーい」と気の抜けた返事をすると、準備をするマドカの隣に立ち、俺もその手伝いを始めた。
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