IS〜インフィニット・ストラトス《蒼き月の輝き》

□上書き完了
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 異変を感じたのは、いつも通りに登校し教室へと入ったときだった。普段ならば俺が入ってきても別段彼彼女らが反応を示すことはないのだが(明らかに目を逸らしたり、避けたりするのはある)、今日は違っていた。俺が入室するなり、教室にいた全員の視線が俺めがけ移されたのだ。「な、なんだ……?」と戸惑い気味に俺は教室の入り口でたじろぐ。何しろ、俺は幽霊憑き、と噂される(事実だが)人間だ。学校中の人間から悪い意味で一目置かれている。悪い意味で注目を集めることは多々あったが、今この状況で集まる視線はそういったものとは少々毛色が違っていた。悪意、恐怖の対象としてではなく、いい意味での興味や好奇心の対象としての視線が突き刺さってくる。なんなのだ、これは。
「お、おはよー」
 と、普段ならば絶対しない挨拶をかけてみる。しかし、無反応。いや、若干数名はびくりと体を震わせていたので、これはこれでいつも通りと言わざる得ない。相も変わらず俺が置かれているのは、幽霊が憑いているおかしな人間、という位置のようだった。それはそれで釈然としないものが込み上げてくるが、もはや慣れた。彼彼女らも俺から何かアクションを起こさなければ、基本俺に対して何か言ってくるわけでも、してくるわけでもない。他に追随を許さない程に距離が開いているから、基本的にはクラスメートと俺の関係はクラスメート以上に赤の他人という色合いが強いのだ。
 少しばかり不審なクラスメートに眉を顰めながら、俺は自席に着席した。そして、普段通り時間が来るまで呆けるように窓の外を眺める。
「どうしたんでしょう、皆さん。今日は一段と、こちらを見てきますが」
 とアオが俺の頭の上に座り、足をバタバタと眼前でばたつかせながら首を傾げた。どうやら、彼女も俺と同じ見解だったらしい。
「ほっとけ。どうせ、また変な噂でも流れてんだろうさ」
「でも、なんだか皆さん…………御主人を哀れむような、そんな表情をされてるんですけど」
 言いよどみながらも、アオは言い切った。その声にはいつもの彼女らしい覇気は感じられない。不調というわけではなく、ただひたすら困惑しているといった様子だった。しかし、彼女の言いたいことはわからなくもなかった。好奇心や興味本位の視線が突き刺さっているのは紛うことなき事実なのだが、問題の本質は少し違う場所にある。今この教室内にいる生徒ほぼ全員から浴びせられている視線の中には、いくつか哀れみとも同情とも取れるものが混じっていた。それも強烈なものが、一つや二つではない。耳を澄ましてみると「えー、じゃああの噂はデマだったてこと!?」「そうそう。本当はその逆だったとか!」「可哀想だよねー。不憫だわー」などという会話が聞こえてくる。その会話全てが、俺に向けられているのがこれまた居心地が悪い。話の要にいるにも関わらず、当人である俺はその話の主軸に関わらせてもらえないのだから、いささかおかしな話だ。
 そして、本格的にその異変が表面化したのは、この話のもう一人の当事者であろう藍染が教室へとやってきたときだった。
 ざわ、とクラスが騒めいた。明らかに俺の時はその度合いが違う、好奇心に塗れた視線。それが登校してきたばかりの藍染に、躊躇なく向けられる。
「え……なに?」
 と、藍染も俺と同じくいつもと違うクラスメートに困惑するように呟いた。入学して以来ずっと噂という正体のない幽霊のような存在につきまとわれていた俺とは違って、彼女はこの手のことには耐性がないはずだ。噂が流れた次の日に学校を欠席したのが、何よりの証拠である。人間考えてもいなかったことが唐突に訪れると、その人物の脳の処理能力は尋常ではないほど跳ね上がり、そして――――――
「お〜い、大丈夫か〜」
 ――――――簡単にオーバーヒートを起こして、機能を停止させてしまう。
「え、ああ、結城君……こんばんは」
「今は朝だよ……!?」
 どうやら思った以上に深刻だったようだ。混乱して朝と夜の区別さえついていない。
「はっ……そうだったね、おはよう」
「おう、おはよう」
 とりあえず挨拶をかわす。そういえば、こうやってまともに挨拶をかわすのは会って以来初めてではなかろうか。そう思うと何だか感慨深いものがあるが、今はそんなものに浸っている時ではない。
 一方で俺が藍染に話しかけたことで、周囲の騒めきがより一層高まり始めた。「な、なんだかヤバい感じじゃないですか!? 御主人!」とアオも隣であたふたと慌てふためている。藍染だけではなかった。俺もアオもまた、このような事態は初めてなのだ。動揺や困惑がないといったら嘘になるし、この状況にどうしたらいいのかなんて見当もつかない。藍染に話しかけたのだって、単にアオ以外の味方が欲しかっただけという理由からだった。こういう時に仲間がいるのと、いないのでは心の持ちようも全然違うだろう。ついでに吊り橋効果で勧誘も成功させたいところだが、それはさすがに欲張りすぎなので自重した。
「で。藍染はこの状況、何か知ってる?」
 俺と藍染。この両名が関係するといったら、やはり例の噂しかない。しかし、それにしては皆の反応がこの前と違いすぎる。あの噂は俺や藍染を侮蔑や気味の悪いものを見る目に晒したりはするが、決して同情するような類のものではなかった。それに昨日の放課後まで、あの噂は尾ひれがついてかなり壮大なものとなって、一年生を中心として出回っていたはずだ。当事者と、覗き見と盗み聞ぎさせたら世界一の幽霊が言うのだから、まず間違いない。
 では、この状況は何か。俺の問いに藍染は反応を返してくれなかった。まだ状況をうまくつかめていないのだろう、しきりに瞬きを繰り返している。
「おい、御主人が質問しているのに無視するとはどういう了見だ! ゴルァ!」
 俺と藍染の間に入って、メンチを切っているアオはこの際見えていないことにしよう。
「あ、うん……えと、私にもわかんない……かな」
「……だよね」
 期待はしていなかった。だが、彼女も知らないとなると他に考えられるのはあまりない。
 推測されるのは二つ。
 一つは、新たな噂の発生。二つ目は、先輩の言っていたあの噂を上書きするための噂が既に広まっているのか。
 前者は、もはや語る必要もあるまい。噂大好きなこの学校らしい、逆にらしすぎて「またか」と呆れてしまう。
 そして、この状況がもしも後者によるものだったとしたら…………俺は今すぐに先輩を呼び出して、事情聴取しなければならないのだが。さて、どっちなのだろうか。
 俺がじっと状況を観察し、答えを導き出そうとしていると、不意にとある男子生徒が(おずおずと)俺の前に歩いてきた。
「結城……であってるよな」
「あ、うん……そうだけど」
 名前も知らない(顔は見たことある)男子生徒が俺の名前を口にして、改めて自分が(悪い意味で)名前を知られているのだな認識させられる。そんな俺の悩みを知る由もない、A君(仮名)はまじまじと俺と藍染を見比べ、つばを飲み込んだ喉を鳴らした。
「あ、あの藤堂達にやっつけたって本当なのか!?」
 一拍の間の後、表情を一変させA君(仮名)は言った。それはもう叫び声に近い、歓喜の声だった。英雄を称えるかのような眼差しがA君(仮名)から俺ら二人に注がれる。そして、そんな彼を皮切りにそれまで遠目から見守っていたクラスメートが次々に押し寄せてきた。それはもう、怒涛の勢いだった。
「結城君が襲われているところに、藍染さんが颯爽と現れて助けたんだよね!? マジでイケメンだよ、あたしらと同じ女とは思えないね!」「いやいや、それを言うなら結城だってあの藤堂達相手に果敢に戦ったんだぞ! 名字の読み方通り、勇気ある男じゃねえか!」「幽霊よりも怖いものなんて、存在しねえ! なんかすごいセリフだよね!?」「馬鹿っぽいその台詞が逆に笑えよねー」「怖いイメージが一気に吹っ飛んで、もう馬鹿としか思えなくなってきたよ、私」
 呆然と当事者である俺と藍染が立ち尽くすなか、クラスメートのマシンガンの如く吐き出される言葉は俺の理解を次々と撃ち抜いてしまう。処理能力がどうとかいう問題ではない。何がどうなったら、昨日の今日でこのようなことになるのだ。おかしい、明らかにおかしい。まるで神様が介入して、彼らの記憶を書き換えたかのような掌返しだった。
「藤堂……ああ、確かここ最近有名になった不良グループのリーダーのことですね。確か、私の記憶が確かだと、つい最近暴行か何かで警察に捕まったはずですけど」
 俺の混乱がさらに深まる中、アオだけは普段通り冷静だった。どこからそんな情報を得たのかは知らないが、この嵐のような質問攻めの中では非情にありがたく、また状況を理解する上で欠けていたピースも埋めることが出来た。
(なるほど、そういうシナリオか)
「ど、どういうことなの……これ」
 事前にこうなるとを(内容までは知らされてはいなかった)知っていた俺と違い、藍染はひたすら困惑していた。当然だ。彼女からしたら、俺の主観以上の掌返しだ。俺だったら人間不信になってしまうレベルである。
 しかし、だ。これは一体、何の噂を流したのだろうか。クラスメートが一様に俺たちに賛辞を(俺へは馬鹿にしたようなものが多い)送るなど、前代未聞の出来事だ。突然すぎて、ドッキリではないか、もしかしてこの人たちは洗脳でもされたのではないか、と妙に疑り深くなってしまう。藍染も同様に、驚愕と困惑と動揺が入り混じり、どんな表情をしたらいいのか迷っているようだった。
「ごめん。話合わせて」
「え? そ、それってどういう」
「いいから。適当でいいから」
 小声で藍染に耳打ちする。敢えて強気な口調で言ったのが功を奏したのか、藍染は訝しむような視線を俺に向けながらも、恐らくでっち上げられた自らの英雄伝説を語っていく。途中から高を括ったのか、迫真の演技で俺を密かに驚かせていたが。逆に俺が適当が過ぎてボロばかり出すものだから余計、藍染の演技で誤魔化すしかなかったというのもある。「なんで、こういうときに限って馬鹿なんですか! 御主人は!」と耳元で叫ばれたりもしたが、御愛嬌というやつだ。
 それから始業を知らせるチャイムが鳴り響くまで、俺たちは偽物の英雄譚を長々と語ったのだった。
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