モンスター・ロバーズ!
□第02話 世界を知らないお嬢様
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世界。
その言葉を聞いても、今一つピンと来ないこともあるだろう。
この世の中は広すぎて、世の中の全てを把握している者など多くはないはずだ。
しかし、世界、という言葉を聞いても何の反応も示すことができない者は少ないはずだ。
生きている以上、人は色々なものを見て、知って、体感して、感動して、記憶して、やがて世界というものの存在を自分の解釈で形にしていく。
世界、という言葉を聞いて何も思い浮かべることができない者は、きっと、人としての生活を送っているとは言えない人生を歩んでいるはずだ。
これは、そんな境遇と環境の中で育てられた、とある屋敷のお嬢様の物語。
一人部屋にしては、広すぎる部屋。
分かりやすく例えれば、一般的な小学校の体育館くらいはあるだろう。
異常なの広さを持つその部屋は、お嬢様の寝室だった。
寝台も一人で寝るにしては大きすぎる。
多分六人が川の字になっても狭くはないはず。
執事長「失礼いたします。お嬢様、おはようございます」
広すぎる部屋にノックが響き、扉が静かに開かれる。
扉を開けた執事長が部屋の前で一礼、入室してから更に一礼。
そして、お嬢様の眠っている寝台の傍に立って、最後に一礼。
執事長「イリヤお嬢様、朝でございます。起きてくださいませ」
イリヤ「………あー…」
ゆっくりと上体を起こし、無表情のままぼんやりと立ち上がる。
執事長がパンッと手を合わせて合図すると、三人ほどのメイドがイリヤお嬢様の衣服を持って入室してきた。
彼女たちも最低限の一礼を忘れない。
執事長「さて、本日のご予定は如何いたしましょうか?」
イリヤ「…………」
優秀な家柄のお嬢様なら、恥をかかせないためにも勉学に勤しむはずだろう。
一般常識など知っていて当然、世の中の動きを知っていて当然。
しかし、イリヤには何も求められていない。
イリヤ「………外、行きたい…」
執事長「成りません」
言ってみただけだった。
どうせ却下以外の答えが返ってこない。
イリヤのリクエストは絶対に叶わない。
執事長「お嬢様は世間など気にする必要はございません。外出する必要性もございません。お嬢様にとって、お屋敷から出ることは危険であります。そもそも、外の世界を知る必要性などないのです」
イリヤ「…………」
イリヤは、世界、という言葉を聞いても何のイメージも浮かばない。
屋敷から出たことのないイリヤは、空も海も町も山も川も雲も花も風も、本の中の知識でしか知り得ていない。
誰もが羨ましいと思う、何の不自由もないお金持ちの生活だったが、イリヤにとっては苦痛でしかない。
イリヤにとって、自宅である屋敷は“牢獄”以外の何ものでもなかった。
執事長は、退出する際に一人のメイドへと釘を打った。
執事長「お嬢様の朝食をお持ちいたします。着替えが終わりましても、絶対に退出させないでください」
メイド「かしこまりました」
イリヤ「…………」
寝室から……否、屋敷内のあらゆる移動は必ず三人ほどの付き添いが必須だった。
執事とメイドが二人ずつ付き添うのが望ましいようだが、大体どちらか一人分が欠けるため三人での付き添いが多い。
食事も、入浴も、読書も、お手洗いまで、イリヤは必ず何かに縛られて生きている。
イリヤ「…………」
全ては父親の決めたことだ。
生まれた頃から母親と共に過ごしており、父親の顔は見たことがない。
だが今は、そんな母親も傍にはいない。
“とある事件”で母親を失ってから、イリヤはずっと一人きりだ
数人の使用人に囲まれているものの、一人きりの寂しい生活に変わりはない。
そんな生活に慣れてきた頃、イリヤは密かに独断行動を計画するようになった。
イリヤ「…………トイレに行く」
メイド「かしこまりました」
さすがに個室の中にまでは入ってこないが、それでも二人のメイドと一人の執事がお供した。
個室に入り、二人のメイドが個室の外で、執事がお手洗い場の前で待機する。
イリヤ(………よし…ッ)
そしてイリヤは、この日、屋敷の脱出に成功した。
執事長「ーーーッ!! す、スカルディーナ様!! お嬢様が、お屋敷を逃亡されましたぁッ!!」
イリヤの父である主君の名を叫んで屋敷中に事件を知らせていく執事長。
トイレの隅に作られた小さな抜け穴。
何ヶ月もかけて掘り続け、個室から出てくるたびに隠して、ようやく脱出可能な大きさまで空け切った穴を抜けて、イリヤは屋敷から抜け出したのだった。
初めて風を感じた。
外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
もう太陽は沈んでおり、外は薄暗い。
深夜というほどではないが、屋敷の中で生活していたイリヤにとって見えにくい足場は危険だった。
だが、そんなものはもう関係ない。
イリヤ(……これが、外の世界…ッ)
ワクワクする、興奮する、跳ね回りたくて仕方がない。
屋敷からどんどん遠くへ離れていき、夜の町をキョロキョロとしながら歩いていく。
そんな時だった。
柄の悪い男「……おやぁ〜? お嬢ちゃん、迷子かい?」
イリヤ「……ッ!?」
いかにも柄の悪そうな男たちが五人、イリヤへとニヤニヤした表情を浮かべて近付いてきた。
柄の悪い男「こんな時間に危ないぜぇ? 俺たちが家まで送ってやるよぉ」
イリヤ「……け、結構だ…」
柄の悪い男「そう言うなって。なぁ? 怖い男たちに捕まっちゃうかもしんねぇぜぇ?」
それは明らかにお前たちだ。
そう直感したイリヤは、男から伸ばされた腕を払い除け、町の路地裏へと走り出した。
柄の悪い男「うあッ! おい、待てクソガキ!」
すかさず、五人の男たちもイリヤを追って走り出す。