あやし事務所

□化け物と共に消えた滴
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突然笑い出した姫を他の人はおかしな物を見るような目で見た。
「ひめ、どうしたんだよ」
相棒の問いかけに姫は笑うことしかできない。
「どうした? さあ? どうしてかしら? どうして貴方は分からないの? この茶番劇の目的に」
「目的?」
「そうよ。……それをあの女は隠して何て居なかったんだわ」
「何だよ。目的って……」
 喉が酷く渇いていた。知りたくないと何かが騒いでいる。直感がこれ以上踏み込んではいけないと告げている。そして、姫は知るべきだとその瞳で訴えている。
「分からないの。この状況を見て……。彼の化け物と同じ存在がうようよいるのよ。
 分からないの?
 いいえ、まだ見ようとしないの」
 姫の言葉に千の肩が震える。それは千だけではなかった。豪雨の肩も震えていた。その手は今にも耳を塞いでしまいそうなほど上へと上がってきている。
 知りたくないと全身が拒絶反応を起こしている。
 その様子を姫が哀しそうに見ていて、そんな三人を訳が分からない顔で周りが見ている。
 その中の真里阿や鈴果、亜梨吹に姫が笑いかけた。
「最初から、分かっていたらあなた達も蠱毒にしたのに……。そしたら、きっと楽しかったわ。きっと喜んだ。ほら、仲良しだったじゃない……」
 それは笑顔と言うにはあまりにも哀しかった。すべてを諦めた物の笑みだった。
「どういう事」
 真里阿が聞いた。他の二人はあまり要領を得ない姫の言葉に首を傾げるだけだ。
 蠱毒にしたのに。
 その言葉の意味が分からない。
 どうしてと喉の奥、熱い固まりが蜷局を巻いている。
「仲良かったでしょう。あの子とは」
「あの子?」
 疑問の声に微笑んだ姫は夢を見ている顔をしていた。
「そうよ。……ああ、そう言えば蓮君もなかよかったわね。なら、貴方も蠱毒になれば良かったんだわ」
その言葉にあのこが誰のことなのか蓮は理解できた。ただ、悲しいことに他の回りは理解できないでいる。
「覚えているの」
呆然とした蓮の問いかけに姫は静かに笑う。
「私はあなたと違うわ。覚えて何ていられない。でも、でも、そうそんな存在がいた事だけは今でもほんの少しだけ覚えているのよ」
 二人の会話に千は固まった。豪雨は大量の汗をふきながす。頭の中に一気に空白の部分が出来て壊れそうだった。
「ああ」
 呻き声が落ちるのに嗤う。
 周りの化け物が急に意味を形を作り出す。他の三人も冷や汗をながしだす。そして、後の三人はただ悲しい表情をしていた。
「最初からこうなると分かっていたら無駄にあの子も傷つく事がなかったのにね」
 あたまの中がこれ以上は受け入れるなと拒絶を示す。穏やかな笑顔がとても怖かった。全てが歪んでしまいそうだった。
 ギュッと自分の手を握りしめて、痛みで千はその手を開いた。
 手の平から血が流れていた。
 どうやら伸びていた自分の爪で切り裂いてしまったらしい。そう考えて見つめながら千はおかしいと気が付いた。
 さっきよりも爪がのびていた。
 僅かだがだが確実に爪が伸びていた。
 目に髪が掛かるのが鬱陶しい。イライラとして払いのけようとした時、同じように気が付いた。
 自分の髪はこの前切りに言ったばかりで伸びるには早すぎると。
 その二つの事に気付いてしまえば後は怒濤の如くだった。
 まず目に入ったのは姫だった。相変わらず嗤っている姫の哀しげな瞳。その瞳を隠すように前髪が僅かながら邪魔していた。だけど、姫もまた髪を切ったばかりだ。一緒に切りに行ったのだから分かる。その時姫は眉が見えるほど切っていたのだ。今日ここに来る前だって眉が見えているのを確認した。それなのに、それなのに前髪はもう目を隠している。それに片まで付き自然な形に流れている髪だが、姫の髪はショートだ。括るのも面倒臭いという姫は括らなくても何も言われない、くくる事こそ出来ない長さにまで揃えている。それが今は何だ。頑張らなくても余裕でくくれそうだった。
 それに付いている血の割に怪我が見あたらなかった。返り血が多いだけなのかそうでないのか……。
 次にもう一度自分に目がいく。
 身体は限界まで暴れていたと思っていたのに随分軽い。まだまだ暴れられる。一杯怪我をしたと思っていたのに、怪我をしているところが少ししか見あたらない。捻ったと思っていた右足が、いつからだろう全然痛みを感じず普通に戦っていた。右足を軸にしていた。
 いつからだろう。
 いつもなら此処まで来たら大分呼吸も荒くなっているはずなのに、実際途中までは荒かったししんどかったのに、今は全然余裕だった……。
 いつからこんな風に変形していたのだろうか。
 驚きに歪む視界の中で姫が嗤っている。
 何もかもに気付いた哀しい笑み。
 そして、千もまた唐突に理解した。
 そうか、そう言う事なのだと。
 彼女は、今まさに化け物になろうとしているのだと。なりかけているのだと。
「なんだよこれ」
 掠れた声が漏れた。姫がやっと気付いたと微笑んだ。
「これこそがあの女が望んだ事。この怪物達もまたあの女が望んで作って量産している物」
「何だよ、それ」
 気付いても分からなかった。
「何でそんな事に意味があるんだよ……
 不老不死を作って何の得があるんだよ」 
 衝撃がその場に強く走るのに姫は軽く答えた、
「さあね。分からないわ。あの女が考えている事何て。
 ただ、何かの意味があるんでしょう。
 あの女自体不老不死なんだから」
 静かに落とされた言葉は此処にいる誰にとっても衝撃的だった。
「不老不死……」
「そんな奴らの考える事何て分からないわ。どうせ、ただの暇つぶしでしょ」
 切り捨てるように姫はそう答えた。もうどうでも良かった。いや、最初からどうでも良かった。
 女が企んでいる事などどうでも良く生きている事だけが姫の望みだった。ただ、それでも早く気付いていれば良かったと思う。そうしていたら大事な物を失う必要はなかった。かけてあげる言葉ももっとたくさん用意出来た。
 もう遅いとしても……。
「そうかな?」
 不意に声が入り込んだ。
 ボンヤリとそちらに視線を向けると誰もが何も言えないまま固まっている世界で蓮だけが強い瞳のままそこにいる。
「こんな手の込んだ事が暇つぶしとは思えない。何か意味があるはずだ。それに、たとえこうなると分かっていても何かが変わったとは思えない」
 沙魔敷猫は同じようにきっと化け物の中に埋もれていた。
 其の言葉にああと息を吐いた。
 そう言えばそんな名前だったと、そう言えばそうだったと。そして、きっとそうなのだろうと。
 でも、違う事もある。かけられなかった言葉をかける事。それは、多分今よりも姫の心は穏やかなはず。
 それは完全なる姫のためなのだ。
 生きると決めたこの世界は、それでも生き辛いのだ。
 大事にしていくと決めた記憶たちは、簡単には忘れてやるものかと誓った本来ないはずの記憶は、それでも生きていくのに苦しくて辛くって。
 だから、少しでも和らげることができたのならそうしたかった。
 笑う姫に蓮が哀れみの目を向けた。
「辛いなら止めてしまえばいいんだ。
 最初からやめていたらよかったんだ」
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