短話

□対価
2ページ/7ページ

その後、教授はすぐに眠ってしまった。
狭いソファで私の体を半分押しつぶすように重なっているせいで、簡単には抜け出せない。
それでも目覚めるのを待ち、そこに私がいるという状況は遠慮したい。

ゆっくりゆっくり体をずらし、足をソファから下ろした瞬間、

『痛ッ!』

先ほど割れたグラスの破片が足の指に軽く刺さってしまった。
思わず漏れた悲鳴に自分の手で口を押え教授を見る。
するとゆっくりとその目が開き、私を捉えた。
しかしその目はいつもの力強さはなく、ぼんやりと漂っているようで、まだ状況に気づいていないようだった。
そっと後ずさった私の手首をまた強く握り、じっとこちらを見ている。
そのまま沈黙が続くとまたゆるゆると目を閉じ、急に力の抜けた腕を、今度は私が握りソファにそっと置いた。
寮に戻ろうと数歩進んだところで振り向く。
教授が目覚めたとき、あのグラスの破片を踏んでしまうかもしれない。
杖を軽く振り割れたグラスを元通りにしてテーブルに戻し、

今度こそ、部屋を出た。






頭痛がして目が覚めた。
部屋にはアルコールの香りが充満している。
酔ったとはいえ、ソファに突っ伏して寝てしまうとは。
ソファに座りなおした瞬間、自分に起きた変化を感じた。
服が着崩れている。
それも上ではなく…
そういえば、充満するのはアルコールの香りだけではない気がしてきた。
まだ酔いが冷めず、頭が回らない。
頭を抱えながら目の前のテーブルを見るとグラスが乗っている。
酒を飲むのとは別のものだ。
なぜそうしようとしたのか分からないが、そのグラスを床に落とした。

小気味のいい音とともに、
とんでもない事を思い出した。

「苗字ッ…」

驚きに丸くした目で見上げられ、抵抗するでもなく、受け入れるでもなく、ただ耐えていた。
記憶にあるその光景は断片的であるのに、感覚だけは全て鮮明に覚えている。
苗字に触れたこの両手を切り落としたい気分だ。

明日はクリスマス休暇前の最後の授業。
それまでの数時間で、覚悟をしなくてはならない。


   
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ