06/11の日記

14:46
奈良の唱門が
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奈良の唱門が陰陽師・ヒジリ・梓神子・猿引・傀儡師・番非人などになっていると同じようなことは、全国各地に存在したことを疑わぬ。かくてもとの流れは比較的簡単な俗法師の徒から出でても、その末ははなはだ多くの流派となって、多くは別々の名に呼ばれ、もとの声聞という総括的の名称は次第に失われて、ある地方、ある種類に限ってのみ、比較的後の世までもその名が存しておったが、それも近世ではほとんど忘れられてしまったのであろう。
 声聞師がもと俗法師の亜流たることはすでにうるさいほど繰り返した。しかしその「声聞」の文字が不適当とあって、「唱門」の文字を用うべしと言われた時代にあっては、彼らはよほど本来の法師からは縁が遠くなっていた。否、正直に旧縁を保っているような徒輩は、もはや声聞の名をもって呼ばれなくなっていたことであろう。しかもなお彼らは文安の『※曩鈔』の頃においても、主として鉦打聖の徒であるとして認められていた。降って応仁・文明頃の大乗院所属の五ヶ所唱門についても、彼らの人名に徳善・福善・心覚などと、明らかに僧名と見るべきものの少からずみえているのは、彼らが社寺荘官に属して非人の賤称をもって目せられ、雑役に服し、警察獄吏の事務に鞅掌するようになっても、なおいくぶん往時の声聞僧の名残りを留めていたものと言わねばならぬ。
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