07/05の日記

22:08
私の哀しい Nostalgia
---------------
 私の哀しい Nostalgia がまた一絃の古琴にたまたま微かな月光の如くつかずはなれず付纏ふ時に、ある若い人達の集団はこれを唯一の楽器として、行住座臥、凡ての清新な情緒と凡ての苦い神経の悦楽とを委ねて満足してゐる。新人の悲哀は古い詠嘆の絃にのぼせて象徴の世界を観照すべくあまりに複雑であり、深刻であり、而かも而かも傷ましいほど痛烈である、わが友よ、古い楽器の悲哀を知れ。さうしてその幽かな哀調の色に執し過ぎて些かだにその至醇なる謙譲の美徳を傷つくるな。
 ある時はビーヤホールのかたかげにその慎しい音色を懐かしむこともある。しかし私には白昼夏の光のふりそそぐ日比谷公園の音楽堂の上に、凡ての満足と充実した凡ての生の歓喜とを以てその古琴独奏の矜を衆人の目前に曝すだけの勇気はない。そはあまりに無惨である。新人よ、汝の意の趣くままに、汝の心境の移りゆくままに、ある時は新しい戯曲に、小説に、パントマイムに、秋の日のはかないロマンツアに、太棹に、匈牙利古曲に、ピアノソロに、或は菅絃楽の高き調にゆき、銀笛を吹き、道化た面して弄玩品の鉄琴をもうちたたけ。さうして時々その古い一絃の古琴のうへに疲れたる汝の柔軟かな白い手をさしのべよ。遊び尽くした小鳥の日暮れて古巣の梢にかへるやうに、日光と快楽とに倦んだ心のさみしい灯心草の陰影をもとめるやうに。
横浜市中区 歯医者

前へ|次へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ