よろず小説

□夏の夕暮れ
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それは【艦娘】として、この鎮守府に来てからも、幾度となく遭遇した出来事だった。
正規空母である赤城は、旗艦を務める機会が多く、それは敵艦の的になる倍率も等しく跳ね上がる。
空母である彼女は、夜戦時は無防備になる為、それを絶好の機会として、敵艦は砲身を赤城へと向けた。

勇ましい砲撃音が、闇に包まれた海上で鳴り響く。

しかし、赤城へ襲い来る筈の攻撃は、彼女に届く事は無かった。
旗艦を勤める赤城を沈める訳にはいかないと、随伴していた艦娘が、その身を挺して庇ったからだ。
殆ど砕けていた艦装は只の鉄屑となり、その澄んだ瞳から、少女は真珠の様な、大粒の涙を零す。
咄嗟に伸ばした赤城の手は、彼女に届く事は無く、目の前の艦娘は仄暗い海の底へと、次第に沈んでいった。

目蓋の裏に鮮明に甦る、仲間の姿。
沈みたくないよ、まだ戦えるから、運命なら仕方がないかな――そう、最期の言葉を、遺して。


「…っ」

途端に目頭が熱くなり、喉が痛みを訴えはじめる。
その苦しさに耐え切れなくなり、俯いた。
視界一杯に広がる廊下の木目は、彼女達が沈んでいった水面の様に揺らいで、次第に霞んでいく。


「...赤城さん?」

ふと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、赤城は顔をあげる。
彼女の視界に写ったのは、赤城と同じ正規空母の加賀だった。
どうやら彼女は、提督室から出ていった赤城の後を追ってきたらしい。
目前に立つ加賀の眉は、への字形を描いていた。
きっと、笑顔が消えてしまった赤城を目の当たりにして、心配しているのだろう。


「加賀...さん」

呟くように、彼女の名前を呼ぶ赤城は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
何時も天真爛漫で、食い意地がはっていて、太陽の様な笑顔を絶やさない彼女が、こんなにも切ない顔をしているだなんて、加賀にとっては只事では無い。
それでも、無理して笑おうとする赤城に、加賀の胸は痛みを訴える。


「いいのよ、赤城さん。大丈夫よ。無理しないで」

ぽんぽんと頭を撫でられて、塞き止めていた涙が一気に溢れ出した。



───何だ、この妙な胸騒ぎは。

那智は先程から【得体の知れない違和感】を感じていた。
そういえば、つい先程、正規空母の2人が慌ただしく提督室から出ていった事を、那智は思い出す。
これからの任務は演習のみだ。夜戦で活躍出来ない彼女達が、その為に出ていったとは考えがたい。
それに───退室間際に、チラリと目視した赤城の表情が、何やら曇っていた様な気がする。
己の名を呼ぶ加賀の声も、どうやら彼女には届いていない様子だった。

那智は、眉を潜める。
提督と何らかの会話をしていたのは知っているが、内容までは知らない。
個人のプライバシーに触れる様な真似をしない那智は、赤城と彼の会話に聞き耳をたてるような事はしなかった。
だが、今回ばかりは何かが違う。
良く解らないが、提督と赤城の話を聞けなかったのが、ずっと胸に引っ掛かったままなのだ。

ふと、鎮守府一の情報通である重巡の姿が、彼女の脳裏を過る。
彼女ならば、この妙な胸騒ぎが意味する事柄を、知っているかも知れない。


「姉さん」
「はい」
「急用を思い出した。先に失礼する」

傍らで、丸くなっている多摩の頭を撫でていた妙高にそう告げると、那智は立ち上がり、足早に扉へと向かう。
戦闘時に感じるものとはまた違う、ざわめき。
艦娘として生まれ変わってから、色々な感情を経験するようになった。
喜び、怒り、悲しみ――そしてこの感情を、彼等は【焦燥】と呼ぶのだろう。

ドアを開けて、廊下へと出た那智の目の前に、柔らかな銀髪が写った。
こちらの気配に気付いたらしく、大事な取材メモを閉じると、那智に視線を合わせる為に顔をあげる。
重巡の青葉だった。


「青葉、少々尋ねたい事があるのだが」

「それってもしかして、北方海域へ出撃した艦隊の件ですか?」

青葉の切り返しに、那智の鼓動が跳ね上がる。
何時もあっけらかんとしている青葉であるが、それでも声のトーンが若干違う様な気がした。


「廊下を歩いていたら、赤城さんから尋ねられたので…」
「あ、ああそうか…」
「北方海域の任務ですが、戦術的勝利Bとの事です」

彼女から伝えられた情報に、那智はホッと胸を撫で下ろす。


「なら、皆無事なのだな…」
「…いえ、それが」

メモを開き、青葉は言葉を続けた。


「旗艦の暁さんは中破、他4名は大破。電さんの消息は…不明と」


「ふ…不明だと!?それは一体どういう事だ!?」


つまり、電はその存在もろとも、海の向こうへ消えてしまったのだ。


「これは憶測に過ぎませんが、電さんは…」

青葉が那智へ、続きを話そうとしたその時、けたたましいサイレンの音が鎮守府に鳴り響いた。
この鎮守府に現在の提督が着任して以来、警報は一度も鳴らされる事が無かった為に、青葉は驚いて耳を塞いでしまう。
那智は、サイレンに驚いている青葉を抱き寄せると、眉をよせた。

「ま…まさかこんな場所にまで敵艦が…!?」
「おー那智!それに青葉やん!」

管制塔の渡り廊下から、飛行甲板を手にした龍驤が、急ぎ足でやってくる。
丁度ドックから上がったらしく、二つに結われた髪は、まだほんの少し濡れていた。

「龍驤!では、このサイレンは…やはり」
「せや!敵艦が一隻、鎮守府に向かってきてる!」
「一隻…!?敵艦の種類は何だ!?」
「駆逐艦みたいやな。北方海域に出撃しとった子らが逃げまわっとる。このままじゃあの子ら沈んでまうで!ウチらもはよ出んと!」

先程、青葉から得た情報によれば、北方海域に出撃した駆逐艦達は、旗艦が中破、その他が大破の状態。
幾ら相手が駆逐艦一隻だからといって、このまま戦うのは得策ではないだろう。
圧倒的に不利なのは解るし、それならば助けに行った方が良い筈だ。
少なくとも、龍驤がこちらへ来たという事は、提督からも出撃命令が出ている可能性が濃厚だろう。

「解った。私も出撃する」
「流石や那智!ホンマ助かるわー!」
「味方艦隊の救助と、敵艦の撃沈か。他には誰が出撃するのだ?」
「今のところ五十鈴と北上やな」
「うむ、なら問題ないな」
「そや、青葉はどないするん?」

龍驤に問いかけられて、青葉は目を伏せる。
何かを伝えたいらしく口を開くのだが、一言も発せずに硬く閉じてしまった。
彼女の反応に、龍驤は訳が分からず首を傾げる。

「どうしたん?何かあったん?」
「…どうやら青葉は、昼間の作戦で疲れているらしい。私達だけで行こう」

青葉の言わんとしている意味を悟り、那智は龍驤へ出撃を促す。
那智に促され、龍驤は飛行甲板を握り、出撃するために玄関へと走って行った。
後姿を見送ると、那智は青葉を抱きしめていた腕を解く。
伏せられていた水色の瞳が、此方を見た。

「青葉、私は出撃する」
「で、でも那智さん、電さんは…電さんはどうするつもりですか」
「その物言い…どうやら電は、敵艦として蘇ってしまったのだな」

那智の言葉に、青葉は咄嗟に口を押さえた。
情報をいち早く手に入れた彼女だからこそ、それだけは他の艦には伝えたくなかったのだろう。
電が轟沈し、敵艦として生まれ変わってしまった真実を。
青ざめた顔をした彼女に、那智は小さく首を横に振った。


「気にするな。私が漠然と感じていた違和感が払拭された。ただ、それだけだ」

そう言うと、那智は踵を翻し、出撃する為に玄関へと向かう。
昔、暗く冷たい水底に沈んでしまった自分が、何時しか艦娘としてこの鎮守府に就いていた。
機械であり、兵器であったこの身が、人間の身体と思考を手に入れた。
もしかすると、それは――。

「…私の考えが正しければ、電は轟沈した悲しみと憤りに捕らわれたままなのだろう。それでも、この場所に帰りたいのだな…その身を変えてまで」

玄関を出ると、大海原には綺麗な夕焼けが広がっていた。
さざなみの音に、カモメの鳴き声が混じる。

「おーやっと来ましたねー」
「あら、本当ね」

砂浜を歩いていくと、波打ち際にいた北上と五十鈴が此方の存在に気付いたらしく、声を掛けてきた。
ふと、辺りを見渡すと、龍驤の姿が見当たらない事に気付く。

「龍驤はもう出撃したのか?」
「ええ、つい先程だけど、駆逐艦の子達の確認と、敵艦の偵察にね」
「一人足りないって。旗艦と後4人は無事らしいよー」
「作戦は?」
「先に救助してから、敵艦撃破みたいね」

敵艦撃破――
その言葉は、こうも重いのか。
かつての仲間を沈めるのは、こうも苦しいものなのか。
兵器が、人の身と意思を持つのは、余りにも惨いな。






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