よろず小説

□夏の夕暮れ
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夕暮れの鎮守府は、任務を終えた艦娘達の帰還ラッシュで、何時も慌ただしい。
旗艦以外の艦娘は、食堂や湯殿、間宮へと足を運んだ。

扉の開け放たれた提督室からは、初任務を終えた雪風と球磨達のはしゃぐ声が聞こえてくる。
姉の帰りを待つ那智を見つけた睦月型の艦娘達は、彼女を旗艦に見立てて『那智戦隊ごっこ』を始めた。
他艦隊との夜戦演習の予定を強引に取り付けた川内は、報告書を提督机に置くと、早々に部屋を後にする。

彼女が去った後、今度は龍田が入室した。
すると彼女は、おもむろにカーペットの上へ布団を敷いて、あろう事か、そのまま寝ようとしている。
こんなマイペースな龍田に、一言物申す事ができるのは、彼女の扱いに長けている姉の天龍位しか居ない。
だが、今回は非常に運が悪かった。
一つは、天龍が川内と同じく、夜戦演習を控えていた為に、艤装のチェックをしている事。
そしてもう一つは、眼鏡とマイクチェックでお馴染みの霧島が、報告書を持って提督室へとやってきてしまった事だ。


「なっ…また貴方と言う人は…!」

彼女は、手にしていた報告書を提督机へピシャリと音を立てて置くと、夢の世界へ旅立っている龍田のもとへと足早に向かう。

「あー、また始まったよー。霧島も諦めりゃいいのにねー」
「そうね…」

面倒くさそうに呟く北上に、大井も小さく溜め息をついて頷いた。
それもその筈。
何故なら彼女達は、幾度もこの状況に遭遇してしまった被害者であり、今から何が始まるのか、そしてその結末も知っているのだから。

「龍田さん!貴方は提督室がどの様な場所か理解しているの!?」

恒例の霧島説教タイムが、幕を開けた。
41センチ三連装砲から発せられる様な威力と早さの喝に、提督室の窓ガラスがビリビリと音をたてて揺すられている。
他の艦娘ならば、平謝り状態に陥るレベルの説教なのだが、それさえも龍田にとっては、只の睡眠用BGMにすぎないらしく、どれだけ怒鳴られても、一向に目が覚める気配は無い。
そんな彼女の声を耳にしたのは、近代化改修を終えて提督室へと向かっていた姉の金剛と榛名だった。

「この声は、もしかして霧島の声でしょうか?」
「きっとそうデスネー」
「お姉さま、もしかしたら霧島の身に何かが…!?」
「Oh…それは無いと思いマス…って!榛名!?」

姉の制止を無視して、榛名は提督室へと駆けていく。
そんな妹の行動に、金剛はやれやれと首をかしげて、肩をすくませた。
彼女には、霧島が何故あの様に声を張り上げているのか大体の予測がついている。

「霧島!」

榛名が部屋に入ると、そこには紅いカーペットには些か不釣合いな敷布団と、声を荒げて説教を続けている妹の姿があった。
盛り上がった掛布団の中に居るのは、霧島の説教にも動じずに眠れるマイペースな龍田しか思いつかない。

「Oh、ヤッパリネー」

熱意の引かない妹を宥める榛名の姿を目の当たりにして、金剛は溜め息を吐いた。
提督室を勝手に私室化してしまう龍田と、説教する霧島の光景は日常茶飯事になっている為か、他の艦娘達は、この騒動を特に気にもしていない様子だった。

提督室とは本来、騒ぐ場所では無い。
壁に掛けられた時計の振り子と秒針が時を刻み、紙の上に万年筆を走らせれば鎮守府の歴史が綴られ、窓から届くさざなみの柔らかな音色に身を寄せる。
この水平線の向こうで、異形のモノと戦う彼女達が、無事に帰還する事を願い、祈りを捧げながら。

しかし、日が暮れて艦娘達が帰還すると、提督室は彼女達の憩いの場と化す。
秒針の音も、さざなみの音も遠ざかり、宴の会場となってしまうのだ。
だが、この鎮守府の提督は、彼女達の騒ぎを止める事は無いし、気にも止めてはいなかった。
何故ならこの場所は、別々の任務を遂行していた艦娘達が、お互いの無事をいち早く確認出来る部屋だから。


「おや、今日も賑やかですね」

ふと、少々低めの落ち着いた声が室内に混じる。
可愛らしくはしゃいでいた球磨と雪風が、扉付近に居る声の主を視界にとらえた。
そこには、整えられた艶やかな黒髪と、深い茶色の瞳を併せ持つ青年が、書類を片手に小さく苦笑している。
彼は、数ヶ月前に、この鎮守府に着任した提督だ。
先程まで座り込んでいた雪風と球磨は、すくりと立ち上がると、報告書を手に提督の元へと駆け寄ってきた。

「指令、お疲れ様です!これ、報告書です!」
「提督、報告見るクマー」

太陽の様に眩しい笑顔を浮かべて、ほぼ同時に互いの報告書を差し出す。
そんな少女達の、微笑ましくも一生懸命な姿に、提督は笑みを零した。
片方ずつ受け取るのは避けたいなと、彼は持っていた書類を脇に挟み、自由になった両手を使って、差し出された報告書を受け取る。
可愛らしい筆記で書かれたそれぞれの報告書に、思わずクスリと笑った。

「お二方、初任務おつかれさまです。素晴らしい成果ですね」
「なっ、なでなでしないでほしいクマー!」
「えへへっ」

書類を束ねて、頭を撫でる。
ぬいぐるみ扱いをされたと思ってぷんすか怒る球磨。
嬉しさを隠し切れず、ににこにこと微笑む雪風。
無事に帰還した彼女達の姿に、提督は嬉しさを隠しきれなかった。
皆全て、愛しい。


「おっと、これは失礼しました…では、頂いた書類を確認しますね」

提督が微笑むと、球磨は頬を赤らめ、ぷいっと顔を逸らす。
そして、隣に居た雪風の手を引いて、提督室を後にしようとした。
雪風は、球磨の行動に若干戸惑っている様子だったが、球磨の手を振りほどく事はしない。
半ば引っ張られる様にして、退室する。
その際に雪風は、笑顔で提督に手を振った。

少女達を見送り、提督は椅子へと腰をかけ、机へと向かう。
彼の愛用している提督机の上には、艦娘達が書いた報告書が置かれていた。

キリリと整った文字。
ふにゃりと力の抜けた文字。
英字混じりの流れるような文字。
丸々とした可愛らしい文字。

報告書を眺めていると、先程まで食堂に居た筈の赤城が、提督室へと入ってきた。
彼女の姿を目にした妙高が、軽く会釈する。


「提督、電を見かけませんでしたか?」
「電ですか?」
「はい、明日の作戦に備えて話をしたかったのですけれど、どこにも居なくて…」

赤城の言葉に、提督は机に置かれた報告書の枚数を確認する。
今日の任務において、赤城と電は別の作戦に出向いていた事を思い出したのだ。
確か、暁が旗艦の任務に就いていた筈なのだが――パラパラと報告書を捲っていく。

枚数が、1枚足らない。
それは電が任務に就いていた、北方領域の報告書だった。
それが意味する事柄を、彼は知っている。
希望は持ちたいが、頭に浮かんだ最悪なケースを、完全に払拭する事は出来なかった。
提督は表情を崩さずに、赤城へ視線を向けると、目の前の彼女に、こう告げた。


「解りました。では後程、彼女には私からお伝えしておきます」

提督から返って来た言葉に、赤城は目を丸くする。
長い間、この鎮守府で様々な任務の旗艦を行ってきた彼女が、報告書の枚数が1つ足りない事に気が付かない訳がない。
そして、報告書が足りないという事は、電だけでなく、北方海域へ任務に出た暁、夕立、島風、雷、巻雲の身にも何かが起こっているのだと。
だからこそ、こう切り返してきた提督の言葉に、赤城は驚かずにはいられなかったのだ。


「提督。電の居場所が解るのですか?」
「ええ」

そう返答した提督の声は、ほんの少し震えている。
ああ、どうしてこの方は、これ程迄に分かり易いのだろうかと、赤城は思った。
否、彼女も「只の兵器」から「艦娘」として生まれ変わってから、人という生き物が感じ取る摩訶不思議な部分を知ったと言っても過言では無い。
人は、辛い事や苦しい事に直面すると、嫌でも表情に出てしまう。
それを隠そうと、平常を装っても、根深くある【心情】までもを塗り替える事は、決して出来やしない。
それを証明するかの様に、目の前の若い提督は、滲み出た辛さを密かに、机の下で握りしめた拳にぶつけているではないか。

【察してくれ、せめてこの場では言えないのだ】
提督の願いを、赤城は無言で汲み取った。


「解りました、提督。では宜しくお願い致します」

提督に会釈をして、足早に部屋から退室する。
彼も思い描いたであろう【最悪の事態】が、赤城の脳裏を過った。




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