よろず小説

□永訣
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その情報は、突然舞い込んできた。

何時も通り、トーストと紅茶で朝食を済ませて。
そう遠くない距離を歩いて出勤した。
すると今日は、何だか異様に司令部内がざわついている。
ちらほらと、泣いている人も居た。

何事か分からず、そのまま自分の持ち場へ行こうとしたら。
ロス少尉が、廊下の向こうから駆け足でやって来て、青ざめた顔で俺に告げた。


ヒューズ中佐が、昨日殉職した…と。

最初は、冗談だと思った。
嘘です。あの人が、あの太陽の様な人が突然居なくなるなんて、ある筈が無いですよね。
でも、ロス少尉がそんな冗談を言う人で無い事は良く知っていたし、この一連の騒ぎを見れば、一目瞭然。
嘘なんかじゃない、紛れもなく本当の出来事なのだ。

俺は階級が低いから、中佐の葬儀には参列する事が叶わない。
もし挨拶をするならば、埋葬が終わった後だと、ロス少尉に念を押された。

不思議と、涙は出なかった。
但、どうしようも無い空虚に襲われる。

仕事を何時も通りこなしていると思っていても、頭の中はヒューズ中佐の事で一杯で。
些細なミスを何度も繰り返しては、ロス少尉に怒られそうになった。
でもロス少尉は、俺がつまらないミスをしても、今日に限って怒る事は無かった様な気がする。

ロス少尉も、きっと哀しかったんですよね。
俺も哀しいです。
可笑しいですよね、涙は出ないのに…。




「…ヒューズ中佐」

手に持っていた花束を、ヒューズの墓石の近くに手向ける。
ブロッシュの前にも先客が居たらしく、そこには色とりどりの無数の花達が、雨の中で置き去りにされていた。

しとしとと降る冷たい雫。
それに打たれて、ふと思い出すは、あの遠き日の記憶。

あの日も、今日と同じく雨が降っていた。
傘が無くて困っていたブロッシュに、丁度良く居合わせたヒューズは、己の広げた傘下に彼をいれて。
ブロッシュをアパートまで送ってあげると、言ってくれた。
心からの、親切。

でも、ブロッシュは。
そんなヒューズの優しさを、無下にしてしまう。
だって、こんなにも早く、永訣しなくてはならない日が来るだなんて、思いもしなかった。
指令部に行けば、当たり前の様にヒューズに会える。
遠くから彼の姿を眺めるだけで幸せで、時々偶然にも仕事や食事を一緒にする日もあり。
そんな日が、何時までも続くとばかり思っていた。

でも、人は、限られた時間しか生きていけない。
それが長いか、はたまた短いかは、どうなるかは分からない。
時に、軍人として生きるからには、どうしても死が付き纏う。

それを、忘れた訳じゃなかった。
但、実感が湧かなかっただけ。
イシュヴァールの戦争を経験しなかったブロッシュでは、尚更。


「ヒュー…ズちゅうさぁ…」

ガクンと膝を草原に打ち、葉に付いていた水滴が服へと染みる。
もうこの雨の中に暫らく居たブロッシュは、膝が濡れても気にはしない。
否、気にも止めなかった。

ヒューズが殉職して、二階級特進したのは知っている。否、軍人であるブロッシュが知らない訳が無い。
でも、ブロッシュの中に居るヒューズは中佐で。
ブロッシュに優しくしてくれた記憶の中のヒューズは中佐で、それ以上でもそれ以下でも無かった。

あの、優しかったヒューズ中佐は。
もう、この世界にいない。
いないのだ。


「ごめ…んなさい…ごめんな…さい」

あの時は流れもしなかった涙が、とめども無く溢れては頬を濡らす。
思い出すのは、あの雨の日の事。
日常が何時までもあると思い込み、優しさを無下にしてしまった、あの日。
謝りたくても、その対象はもうこの世界に存在しない。



あの日、雨の日。

ヒューズ中佐の優しさを無下にしてしまって。

取り返しのつかない状態になってから、初めて後悔した。

あの優しさを振り払わなければ、後悔せずに済んだだろうか?

…否、きっと。

あの優しさを手に入れてしまったら、きっとそんな彼に甘えて、新しい後悔を生んだに違いない。


永訣の日。

どんなに俺が後悔したとしても。

貴方だけは、ヒューズ中佐だけは。

そのままで―…。




end.
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