小説:ボーボボ

□短篇小説置き場1
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「ぅ…」

途端、詩人は睡魔に襲われ、小さくよろめく。
右手首に付けていた腕時計を見ると、針は深夜の2時半を指していた。
このままだと、明日の処刑に響いてしまうかもしれない──ぼんやりとそんな事を考えていると、彼は後ろのから人の気配を感じ、フッと振り替える。


「…J?」

そこには、この階の住民であるJが、サングラスをかけたまま、ソファーに腰掛けた姿で静かな寝息をたてて眠っていた。
その手元には、まだ詩人が幼かった頃にプレゼントした、一冊の本がある。
大方、読んでいる途中に眠気が来て、そのまま眠ってしまったのだろう。
几帳面な彼が、スーツを着たままで…ましてやサングラスをかけたまま寝る事は、まず無い。

Jは、詩人にとって[とても大切な存在]である。
両親を失い、心細かった詩人を気に掛け、面倒をみてくれたのは何時も彼で。
詩人にとって、Jは親友でもあり、親代わりでもあり…そして、初めて淡い恋心を寄せた人であった。


「J…」

そう無意識に呟くと、詩人は彼の元へと静かに足を進め、静かに寝息をたてる彼のソファーの傍に腰をおろす。
そしてJの額に、己の唇を寄せようとした。


「………っ!」

だが、詩人はキスを落とす事が出来ず、目をきつく瞑る。
別に、その行動をJに拒まれた訳では無かった。
現に彼は今も、ソファーで眠っている。

それを拒んだのは、サングラスへ映りこんだ詩人だった。
彼の首筋には、蚊に刺されたかの様な、赤い痕跡が浮かんでいるのが見える。
愛の無い行為の合間に、そこを啄まれた事を思い出した。
[コイツは俺のモノ]と、恋人でも妻でも無い己に植え付けた、生々しい主張。
その証が、自分が汚れた身である事を再確認させてくれたのだ。


(この主張が、あったから)
何とか、とどまる事が出来た。
もう少しで、この陽だまりの様に暖かいJまでも、汚す所だった。
間に合った。彼を汚さずに。

(この主張が、あるから──)
─彼に、触れちゃいけないんだ───


「うっ…──」

ガクリと床に膝を付き、顔を歪ませる。
再認識した途端、今まで押さえていた様々な感情が、急にブワッと喉元に込み上げてきた。
詩人の心は、この4年間で宵闇に蝕まれ、悲痛な叫びをあげている。
例え、帝王に身体を捧げたとしても、この心は渡さない──そう強く言い聞かせて、今まで堪えてきたのだ。
だが──例え心がJにあったとしても、この4年間で汚し尽くされてしまった身体は、清らかだった頃には戻らない。


[他言してはならない]

[助けを求めてはいけない]

ふいに、その言葉が頭を過る。
だが、よく考えてみれば、他言する事も助けを求める事も、無理ではないか。


「…ごめんね、J。ボクは…もう君の元には居られない……」

だって──


「ボクは、汚いから………っ

君…まで、汚れてしま…うから……」

はらり、はらり。
零れ落ちる涙。

己の体が既に汚れている事実を、Jにだけは知られたくなかった───





それは、暗闇の夢。

前も後ろも解らない、宵闇に包まれた世界で、Jは足を進める。
脇目もふらず、ただひたすら、有りもしない出口を求めて歩む夢──それは、詩人が13歳になり、初任務を言い渡された後から、よく見る夢だった。


(た……て)

すると、何処からか微かな声が聞こえてきて、Jは足を止める。
呟く様に小さな声は、うまく聞き取れない。

これも、何時もの事だ。
何かに怯え震えている、少女の様な、声。


(助けて)

だが、今日は違う。
今までは、何を話しているのか解らなかった曖昧な声が、ハッキリと言葉となって、Jの耳へ届いた。
少女のモノであると思い込んでいたそれは、何処か聞き覚えがある。
過ぎ去っていった過去に、毎日聞いていた、あの子の声に似ていた。


(誰か、ボクを助けて)

[詩人…?]

その声は、もう名前を呼ぶ事の出来なくなった彼のモノだった。
少女と思ったのは、きっと声変わり前だからだろう。


(ねぇ、誰か助けて)

(苦しい…苦しいんだ)

[何処にいるのですか!?詩人!!]

詩人の悲痛な声に、Jは彼を探そうと駆け出す。
闇の中、がむしゃらに走る彼は、夢の中だというのに、今にも息が切れそうだ。

どちらへ走ればいいのか?
それは、彼の声がする方。
ただそれが、この宵闇の中での道標だ。


(痛いよ…つらいよ)

[詩人っ!]

(誰か、誰か…)

暗闇の中、紅蓮色の髪をした少年が、Jに背を向けて座り込んでいる。
そこに居たのは、13歳の頃の詩人だった。


[やっとみつけましたよ、詩人]

(えっ…J?)

Jの声に、詩人は振り替える。
その瞳は薄い膜を張り、うっすらと充血していた。
頬にも、涙が伝った跡が残っていた。


[どこか痛むのですか?]

そう問い掛けると、詩人はコクリと小さく頷く。


[もしや怪我を?]

詩人に触れようと手を伸ばすと、彼はビクッと震えて。


(だっだめ!ボクに触っちゃだめ!)

そう叫ばれ、Jは手を途中で止める。

[…何故ですか?私が怖いのですか?詩人]

(違う…っ

ボク、汚いから)







「詩人…!?」

「ふぇ!?」

ふと、今まで眠っていたJに自分の名を呼ばれ、詩人はビクッっと体を震わせた。
Jも、まさか詩人か目の前に居るとは思いもせず、サングラス越しに目を丸くする。


「な…なんだJ、起きてたんだ…ビックリさせないでよ」

そんな彼の言葉に、Jは自分が不自然な格好である事に気付いた。
何時も、ヨレる事を嫌って脱いでいるスーツ、そしてかけたままのサングラス。
手元に固さを感じて視線を落すと、そこには開いたままの本。
どうやら自分は、ソファーに座ったまま寝むってしまったらしい。

彼は軽く上半身を起こすと、折り曲がったスーツの裾をサッと直した。
そして、暗闇に溶け込んでいる詩人を見つめたが、サングラスと寝起きの霞んだ視界のせいか、彼の姿はハッキリと見えない。


「総長殿、このような夜更けにどうなさったのですか?」

「えっ…ちょっと眠れなかったから散歩していただけだよ。起こしちゃってゴメンね」

Jの質問に、詩人は動揺して言葉に詰まりながらも、なんとか笑ってみせる。
だが、一番彼を驚かせたのは、Jの口から久し振りに、自分の名前が聞けたからだった。


「…左様ですか」

「じゃあ僕は部屋へ戻るね。Jも早く寝ないと、明日の処刑に響くよ?」

そう言うと、詩人はソファーの前から立ち上がろうと力を入れる。
何故、自分が此処に居たのか?と深く追求されなかった事に、ホッ…と胸をなで下ろした。


(早く寝てしまおう…)

そう考えながら、詩人はJへ背を向ける。


「……!」

その姿が、先程Jの夢の中に出てきた幼い頃の詩人と重なった。
助けを求めていた、小さな彼が発した最後の言葉───


(だって、ボクは汚いから……)




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