小説:ボーボボ

□短篇小説置き場2
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青空へと昇った日が、西の空へと少しだけ傾き始めた。
流れる白い雲達は、綿菓子のようにフワフワして美味しそう。
もしも、この手で触れる事が出来るのならば、是非ともこの青い空を飛んで、この肌で柔らかさを感じてみたい。
遥か上空を見上げて、少女は微笑んだ。

彼女の生活空間は、サイバー都市の情景を眺める事が出来ぬ様に配慮されて造られている。
設けられた窓から望む景色は、何処までも広がる海と空しかない。
絵画の様な大海原が、少女の知るサイバー都市の世界だった。


「お兄さん遅いなぁー、もう約束の時間過ぎているのに」

タッチパネルを出すと、彼女はおもむろに電子カレンダーを起動させる。
縦にスライドさせれば、ウィンドウに膨大な量の文字列が映った。
それは、サイバー都市の中枢に住まう者達の全スケジュールであり、彼女は、兄である帝王のスケジュールに触れると、一通り目を通す。


「なんだ、今日もお仕事なのね・・・お兄さん」

小さく溜息を吐くと、窓辺の椅子に座っていた彼女は、海に背を向けて立ち上がる。
トボトボと歩いた先には、天蓋つきのベッド。
身を投げるようにして、彼女は掛け布団の上に突っ伏してしまった。

最近、実の兄であるギガが、彼女の部屋へ来てくれる回数が大幅に減ってしまっている。
この都市を統治している帝王なのだから、年の離れた妹の遊び相手だなんて出来ないのかも知れない。
それ位の事は、彼女だって理解している。
しかし、だからといって独りの寂しさが紛れる訳ではないし、遊び相手のメイドがこの部屋に来るのは、まだまだ先の事。

寝転がったまま、彼女はおもむろにウィンドウを開き直し、他の者達のスケジュールを覗き見る。
電脳6闘騎士の欄に差し掛かった時、少女は思わず目を見開いた。
1人だけ、今現在空き時間のある者がいる。
年が一番近くて、自分の事を子ども扱いしない、紅蓮の髪が眩しい彼が。


「そうだ!」

少女は、先程のお菓子作りの際に焼いたばかりのクッキーをバスケットへ詰めて、部屋を飛び出す。
絨毯の敷かれた廊下を走っていくと、何時しか周りは殺風景になり、コンクリートと剥き出しの配線が折り重なった姿へと変化した。
その長い道は、彼女の生活している空間とは大きくかけ離れた世界。
本来、彼女が此方の場所へ来る事は無い。ベルの音一つで、誰かしら部屋に来てくれるからだ。

未知なる場所へと突き進む、まるで探検家になったかの様な気持ちに、彼女の胸は高鳴る。
この小さな冒険のゴールは、彼の居る部屋。
少女は靴音を鳴らしながら、廊下を駆けていった。



■  ■   ■

昨日の処刑によって疲れていた詩人は、読みかけの本を乱雑に枕元へと放った。
書物を大事にする彼にとって、本を痛めるような扱いはご法度であったが、この疲労感と朧気な意識の中では、その意思さえも簡単に揺らいでしまう。
ヒトは「睡眠欲」の前では、理性や忍耐など全くもって無力だ。
それを証明するかの様に、ぼやけた頭は今にも、水底へと引きずり込まれるようにして、眠りの世界へと誘われようとしている。

うっすらとベールのかかった意識の向こうから、 とたとたと、廊下を掛けていくお嬢様の足音を拾った。
それは一定の速度で、間違いなく此方へと向かって来ている。
靴音の距離からすると、他の部屋は既に通り過ぎており、残るは詩人の部屋へ続く少々長い廊下のみだ。
この部屋に用があるのは明確で、もしかしたら入ってきてしまうかもしれない。
頭の端で、詩人は焦っていた。
もしも、男性である自分の部屋に、女性である彼女が入って来てしまったら、後々誤解を招きかねない。
出来るならば、詩人が先に部屋の外へ出て、廊下で一度、彼女と話をするのが懸命だし、そのまま送り届けるのがよいだろう。

しかし、このどうしようもない疲労と眠気に中々勝つ事が出来ない。
詩人の体は、出迎えようと考える脳に反して、ベッドから起き上がる事すら拒絶してしまっている。
ぼんやりとしている合間にも、足音は段々と此方へ近付いているのが分かり、焦燥感に襲われた。
もう少しすれば、あの扉を開けて部屋へ入って来てしまう。
回らない脳内で詩人が思考を巡らせていると、近付く足音がピタリと止んだ。

ああ、これはまずい。


「詩人くーん」

そんな事を詩人が考えているとは露知らず、少女は彼の名前を呼びながら、ガチャリと扉を開けて入って来てしまった。
ベッドにうつ伏せで倒れていた詩人は、能天気なお嬢様の声を耳にして、頭の片隅で唸る。
詩人のベッドは本棚で隠れており、入り口からは死角になっているのだが、彼女が詩人の姿を確認せずに、そのまま部屋を出るとは考えがたい。

ヒトは、見えないモノほど見たくなる。
目の前に置かれた箱を『開けてはいけない』と言付けられたのならば、気になって開けたくなるのが心理。
探究心という名の欲に、ヒトは抗えない。それは知識を得る事に貧欲な詩人が、最もよく知っている。
ならば、このお嬢様が次にとる行動は一つだけだ。


「詩人くーん?どこに居るのー?」

閉まる扉を背に、より深く、詩人の部屋へと入る事。
一度静かになった靴音が、部屋の主を探している。
カツコツ、カツコツ。
少しずつ此方へと近付いてくる少女の気配に、詩人は焦燥を募らせた。
幾ら、自分が兄の部下であっても、一応この空間は男性が暮らしている部屋であり、第三者の目も届かない場所である。
それを知らない筈が無いのに、この都市に暮らすお嬢様は、全く気にしていない。
さも、同性の友達の家へ遊びに行くような感覚で、異性の部屋へと入ってくる。

世間知らずと言うか、何と言うか・・・。
もしかすると自分は『男性として見られていないのではないか』と思えてくる。
別に、それに対して『不服だ』と感じてはいけないし、己は少女を護衛する立場であり、決してその様な淡い気持ちを持ち合わせてはいけない。
そう強く言い聞かせているのに、彼女はその理性すらも揺すぶらせるのだから。

近付く靴音。彼女の気配。
焼き菓子の甘い香りに、鼓動が早まる。
それを誤魔化すように、シーツを握り締めた。


「あれ?詩人くん、寝てるの?」

ベッドに伏せている詩人を目の当たりにして、少女は少々呆けた声で話しかける。
耳の近くで、カタンと軽やかな音と共に、あの甘い香りがふわりと漂った。
彼女に察せられない様に、うっすらと瞼を開ける。
何時も殺風景なサイドテーブルには、この部屋には似つかわしくない、淡い花柄の布が覗くバスケットが置かれていた。
位置的に、少女の姿を目視出来なかったが、声は近いままだから、退室した訳ではないらしい。


「折角、私の焼いたクッキー持ってきたのになぁ」

その言葉と同時に、ベッドが軋む音がして、詩人は息を飲んだ。
まさか、そんな馬鹿な事はない筈だと自分に言い聞かせる。
だが、温かい手が肩に触れてきた瞬間、その希望にも似た願いは簡単に打ち砕かれてしまった。
意図は全く無いにしても、彼女が詩人の伏せているベッドへと、自らの意思であがってきている。
鼓動が高鳴ると同時に、頬が熱を持った。


「詩人くん、ほら起きて。クッキー冷めちゃうよ?」

ゆさゆさと揺する手に触れられた肩が、熱い。
これ以上、このお嬢様を誤魔化す事は出来ないなと、詩人は腹をくくった。
ゆっくりと瞼を開けて身体を身動くと、想像していたよりも近い場所に少女の顔があって、思わず声が裏返りそうになる。
脈打つ音も、先程より増してしまった。
詩人が目を覚ましたと認知した彼女の表情が、ぱぁっと明るくなる。


「あっ!詩人くん、おはよう!良く眠ってたねー」

「・・・おはようございます、お嬢様」

バクバクと煩い心臓の音から耳をそらして、目の前のお嬢様に挨拶をする。
すると彼女は、むすっとした表情で、詩人を見ながら言葉を返した。


「もーっ!だから私を『お嬢様』って呼ぶのは止めてくれない?ちゃんと名前があるのに」

「で、ですから・・・お嬢様のお名前を呼んではいけない決まりでして・・・」

そう応える己の言葉に、詩人の心臓がスッと冷える。
この説明に偽りはない。
【帝王の妹】である彼女の名前を、詩人が呼ぶのは大変おこがましい事なのだ。
それ故に、彼女の名前すら呼べない身分の違いを思いしらされては、心が凍てつきそうになる。
【帝王の妹】として、彼女がこの世に生を受けた。それは大変喜ばしい事だ。
もし違ったっていたら、この都市をさ迷い歩く市民達と同じ結末を辿っていたかもしれない。
この手によって裁かれる側として出会うか、寧ろ逢う事すら叶わなかっただろう。

けれど、手を伸ばせば届く距離に彼女が居るのに、触れる事も、名前を呼ぶ事も出来やしないなんて。
それはきっと、彼女と出逢えなかった世界よりも辛くて、苦しい現実。
電脳6闘騎士の総長として、お嬢様を護る事は出来ても、寄り添う事は許されない。
最も、囚人を紙切れのように引き裂きながら存命を乞う、この汚れた手で触れてしまったら。
彼女が身に纏う真っ白なワンピースの様に、無垢で純粋なその身まで汚してしまいそうで───

怖かった。


「詩人くん」

眉を寄せて困惑している詩人に、少女は溜め息を吐くと、その白く柔らかい手で、詩人の手を握る。
驚いて情けない声をあげそうになった所を難とか堪え、詩人は彼女へと視線を向けた。


「私はね、詩人くんには『お嬢様としての私』と接して欲しくないの」

儚げに伏せられたダークブラウンの瞳が、揺れている。
手の温もりと、彼女の想いが伝わって、詩人の鼓動がドクリと一際高く跳ねた。


「お互いに気兼ねなくお話しをしたいし、お茶もしたい。相手が詩人くんだから、そう思うみたいで」

ああ、なんてワガママを。
もう駄目だ。

「他の誰かじゃ駄目なの。詩人くんじゃないと──!」

少女が言い終わるより前に、詩人は空いていた腕を彼女の腰に回し、抱き寄せる。
クッキーとはまた違う甘い香りが、詩人の鼻腔をくすぐり、触れたことのない体温を感じて目眩がした。


「あっ、あの、詩人くん?」

「わかったよ。これからは君の事、名前で呼ぶから」

「…!本当!?」

「ああ。だけど二人きりの時だけだからね」

「はーい」

ニコニコと笑みを溢す少女に、詩人は小さく笑った。


end
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