小説:ボーボボ

□短篇小説置き場3
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ヒトという生物は、何とも不思議な存在で、彼等の有する思考や性質は、他と比べると大幅にかけ離れている。
彼等が、永きに渡る進化の過程において獲得したのは、脳容積の増加と前頭葉の著しい発達だ。
それは自我の形成であり、ヒトはこれに「ココロ」という名を付けた。

「ココロ」という概念は、不動な存在では決して無い。
「喜怒哀楽」という四柱の感情を主に、状況や質の変化に同調し、めまぐるしく移り変わる。
ヒトの有する感情の構成は、複雑かつ多様化に富んでおり、それを一つの言葉で簡潔に言い表す事は、不可能に近い。

勿論、他の生物にも「ココロ」はある。
しかし、彼等はヒトとは違って、己の感情を隠す事は無い。
犬は不安を感じると、それを拒む為に牙を向き、吠えて威嚇を行うし、逆に嬉しければ、尻尾を振ったり肌をなめたりする。
この様に、彼等は気持ちをストレートに表すのだ。

しかし、ヒトの場合はどうだろうか。
彼等が己の感情を、誰彼構わずにさらけ出す事は、残念だが無きに等しい。
ヒトの社会には、数多のコミュニティが有る。
家族、友人、知人、会社や学校、地域、国...そして、それ等のコミュニティは孤立してはいない。
必ず、どこかしらで繋がりを持っている。
故に、ヒトとして生きる限り、どのコミュニティからも孤立する事は出来ない。
そして、コミュニティからの孤立自体が、生きていくにあたって由々しき事態なのだ。
ヒトは、強い様で脆い。
今夜の夕飯にありつくにも、雨風を凌げる安全な場所で寝るにも、誰かの協力が必要なのだ。
なのに、己の主張の違いによって一々衝突をしていては、何れ孤立してしまう。

その為に彼等は、感情をストレートに表す事を避けるという処世術を学んだ。
複数のペルソナの仮面を使い分けて、コミュニティからの孤立化を防いでいる。
ペルソナの仮面とは、所謂「表の顔」と「裏の顔」であり、どれが己の本心なのかを、他人に悟られる事を隠す存在だ。

故にヒトは、時に疑心し、悩み、苦しむ。

夜闇の中を歩む一人の青年。
彼の脳裏に、ふと燃えるような紅蓮色の髪をした少年の姿がちらつく。
彼は[あの日]以来、詩人に会う事に戸惑いを感じる様になった。

[あの穏やかな笑顔を浮かべる詩人は、果たしてどちらなのだろうか?]

そんな事を自問自答しては、決して見付かりはしないであろう答えを求める。
彼が浮かべる、あの花の様な可憐な笑顔は「表の顔」か、彼の演じる偽りの「裏の顔」か。
彼には解らない。


日が西へと沈み、サイバー都市は夜闇へと引き摺り込まれた。
その中を、足早と掛けていく一つの影が、硬いアスファルトの道を、わざとらしく強く踏みならしていく。
コツコツと耳障りな音が辺りに響き、それに比例して、彼の胸は言い知れぬ不安感に煽られ、ざわついた。
それはまるで、水面に広がる黒インクの様に流動的で、実体を持たない。
それ故に、得体の知れない恐怖がつきまとうのだ。

等間隔で建てられた外灯が、暗闇に紛れた人物をぼんやりと照らし出す。
足早に歩く影──それは、この都市で"参謀"としての役割を担っている、電脳6闘騎士の一人、王龍牙であった。
どうやら彼は、書獄処刑場へと向かっているらしい。
──だが、何やら何時もと様子が違う。
彼の表情はとても険しく、眉間には幾つもの皺を寄せており、噛み締めた口元はかたく閉じられていた。
それはまるで、何かを発する事さえ拒んでいるかの様に見受けられる。

今の彼は、心の底から不機嫌であった。
否、言い知れぬ恐れや不安を感じている──言葉で表すのであれば、そちらの方が正しいのかもしれない。

電脳6闘騎士達には、それぞれの持ち場である「処刑場」での任務がある。
しかし、サイバー都市外部からの「真拳狩り」の命令をギガから受けている龍牙には、それが無い。
ある一定量のノルマを達成すれば、後の時間は自由だ。
しかし彼は、退屈な事を何より苦痛に感じる性格らしく、暇を持て余した龍牙は、取り敢えず任務の無い時間を何で埋めようかと模索した。

ふと、彼は自分に置かれていた"特別な状況に"気が付く。
処刑場の光景を、巨大モニターに映し出されている他の電脳6闘騎士達とは違い、龍牙は顔を表に出していない。
それは「住民達には、一切面が割れていない」という事である。

それから彼は時折、ラフな姿で街へと繰り出し、反乱軍や不穏分子が居やしないかと見回りを始めた。
だが、それも長くは持たない。
何故ならば、見回る必要が無いからだ。
絶対的恐怖による独裁を貫く帝王。
彼に反旗を翻そうと考える様な"身の程知らずな"浅はかな輩など、何処にも居なかったのだ。

結局彼は、街から掻き集められた囚人達を、各処刑場へ送り込む仕事を新たに始めた。
無論、処刑が終わった後の確認作業も、彼が請け負う。
パナの天空処刑場から始まり、自分とJを除く4人の処刑場へ足を運び、彼等と処刑関係で他愛の無い話をしてからは、部下達に無残な亡骸の処分方法を下す。
ただ、それだけの仕事。

だが─その中で、龍牙には格別行きたくない場所がある。
[気が進まない]等という半端な気持ちでは無い。
正直に言うならば嫌なのだ。
もし出来る事ならば、数刻で良いから時間を置いてから行きたい──龍牙は心の中で、そう思って止まない。

しかし、幾ら気が進まないのだとしても、時間を置きたいと思っても─まず優先されなければならないのは、自分の気持ちでは無い。
あの淋しい空間で、龍牙が訪れるのをひたすら待っているであろう、一人の少年の気持ちを、何よりも優先しなければならなかった。

龍牙を待っている人物。
それは、電脳6闘騎士の総長、詩人である。
龍牙より年下である彼は、電脳6頭騎士に入ってきたのは龍牙より後。
しかし彼は、持ち前の才能と実力で、この電脳6闘騎士の中では一番上の地位である[総長]の座にまでのし上がった。
[その才能に、嫉妬をした事が無いのか?]と問われて[そんな事は無い]等と答えれば、きっと嘘になるだろう。
後から入ってきた、17歳そこそこの若造が、自分より上の地位に居る──それはプライドの高い彼にとっては、あまり気持ちの良いものではなかった。

しかし、龍牙が彼を皮肉らず、真っすぐに見つめるのには理由があった
詩人という少年は、自らの地位や知識の広さや深さを、鼻に架ける様な事は一切しない。
それどころか、自分の地位に関係無く、龍牙を含む年上全てに敬意を払う。
その鍛練されたかの様な優しい雰囲気や立ち振る舞いは、何とも知的で──
それは龍牙だけでは無く、他の人をも惹き付けた。


だが、それ以上に彼を魅了するものがある───

それは以前、龍牙が詩人に対して、何気ない一言をかけた時の事だった。
いや、何気ないというよりは、実にくだらない話だったような気もする。
その言葉を聞くと、詩人は小さな声を出して笑ったのだ。

一体、何が可笑しいんだ!──

この際、何か一言でも言ってやろう─そんな事を考えながら、イラついた表情を詩人に向ける。
だが、彼の視界に飛び込んできたのは、頬を桜色に染めて、そうっと微笑む彼の姿だった。
ふと、何故か先程沸き上がったばかりの感情は嘘のように消え去ってしまい、そればかりか、何やら得体の知れない感情が、彼の胸を揺さぶりはじめた。

普段の、大人びた言動や振る舞いの中で、断片的に現れる、幼い子供の部分。
それを映し出すのは、空を焦がす夕焼けのような、あの印象的な紅蓮の瞳。
無邪気に笑うその姿も、口元に手を当てて、何かを考える仕草も、の全てが、龍牙のココロを惹き付けるのだ。

ある日、足がもたついて正面から倒れそうなった詩人を、衝動的に抱き留めた事がある。
その行為に他意は全く無かったのだが、詩人が頬を桃色に染めて、照れる姿を目の当たりにしてしまうと、此方まで鼓動が早くなって。

全てが、魅力的だった。


──しかし。
そのあどけない表情の内側には、自分達に劣らず、残忍な[もうひとつの顔]がある。
それは[処刑を行う詩人]だ。

命を奪い取る詩人からは、普段の優しさや温かみは全く感じられない。
返り血を浴びても、拭う事すらせずに、弱り果てて床へと横たわった囚人達を、まるで熊のぬいぐるみの腹を殴るかの様に蹴りとばす。
絶望と恐怖で、泣きじゃくりながら許しを乞う彼等を、詩人はまるで紙切れでも裂くかの様に、淡々と鉄槌を振り下ろしていった。
さっそう、悲鳴もさえ出せなくなった囚人達を、まるで鬼の様な目で見下ろして彼は溜息を一つ吐く。


「もう壊れちゃたんだ?…あぁつまんないね」

そう、冷たく言い放つのだ。
まるで、そこまで思い入れの無い人から買い与えられた玩具が、壊れてしまったかの様に。
言い表すならば、内面に押さえ込まれていた狂気が、そのまま鏡となって映し出されたかの様な感じである。
あの、何時も日溜まりの様に暖かい、印象的な紅蓮の瞳も魔性をおびて、彼の長い前髪の隙間から、鈍く光るだけ。
炎の様な紅蓮の色からは似つかない、氷の様な冷たい光を湛えている。


今も龍牙は、その時に見た詩人の顔を思い出しては、独り後悔を繰り返す。
きっと詩人は、頬に付いた紅も拭わずに、自分がやってくるのを待っているだろうか。


「───!!」

突如、背の辺りに走った、悪寒。
それが意味するモノは、今日も目の当たりにするであろう光景。
その額に、冷や汗が浮かんだ。


「クソがっ!」

焦燥感を振り払うかの様に、彼は力の限り地面を蹴飛ばす。
敷き詰められていた芝生がえぐれ、宙を舞う。
それを気にも留めず、彼はひたすら、地面を蹴り飛ばし続けた。
そうでもしなければ、この胸のざわめきは納まりそうに無い。




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